陽に焦がれる騎士

めぐむ

第一章

第一話

 ふぅーと息を吐き出して、呼吸を整える。

 対峙している女の子は、真っ赤だ。ハーフアップにしている紅のロングヘアが揺れて、身体を包んでいるかのように真っ赤だ。

 そして、彼女はその印象と齟齬のない炎魔術を放出した。




 魔力のあるものが通う魔術学園は、整えられた広大な土地に建設されている。学園都市と呼ばれる敷地に、校舎も体育館もグラウンドも寮も、生活に必要な店舗すらも押し込められていた。

 魔力持ちはほぼ強制的に入学することが決められていて、ここで魔力の使い方を学ぶ。そうして良い成績を収めれば、王宮魔術師としての将来が約束されていた。そうでなくとも、魔術師になるのがここに通う生徒たちの行く末だ。

 そして、魔力持ちであった俺も、例に漏れず今年の春に学園へ入学した。入学試験の成績でクラス分けをされて、学園生活を開始している。二人部屋の寮で、同室者とともに慣れない魔術の講義を受ける日々を送っていた。

 そうして、二週間。俺たちは、早速次のクラス分けの実力試験を受けることになっている。あまりにも早い。だが、基礎の座学の後には、実技が待っているのだ。今のままのクラスで問題はないか。入学試験だけでは識別できないということらしい。

 基礎を学んだうえで、どういった形でそれを応用できるのか。そういったものを見るための試験である。だからこそ、試験に向かって学園内の緊張は高ぶっていた。

 クラスのあちこちで、どうやれば無事に模擬試合を乗り越えられるか。そうした会話がなされていた。対戦相手になるかもしれない相手であろうとも、話さずにはいられないらしい。

 そんな中で、俺の同室者である一百野義嗣いおの よしつぐは、妙に落ち着いた態度を保っていた。同室者が苛ついたり落ち着きがなかったりするよりは、遥かにいい。しかし、それにしてもどっしりと構え過ぎていて、逆に焦りを生ませた。

 俺と一百野は同じEクラスだ。AからFクラスのある学園は、序列構造になっている。その下から二番目という位置にありながら、一百野はちっとも準備するつもりがない。

 よほどのことがない限りは、落第はないと言われている。だから、この試験で失態を犯そうとも、Fクラスに落ちるくらいのものだ。だが、最下位。そのレッテルは好ましいものではなかった。

 厳しい序列世界だ。嫌がらせが目に見えるかどうかはともかく、明らかに差別意識の瞳に晒されることはある。そして、何もそれは最下位だけのものではない。

 俺たちは、今でも落ちこぼれという烙印を押されている。蔑視されることもあった。ただでさえ、そうであるのだ。Fクラスに落ちた際を想像することはできる。

 と言うよりも、想像するまでもなく、目にする機会はあった。そして、それに手を差し伸べるわけでもない。俺たちは序列に組み込まれていて、それを大幅にはみ出してまで何かをすることはできなかった。

 一対一の態度では対等を貫けても、周囲の空気に飲まれれば、それは大した力にはならない。俺自身、この序列をどうにかしてやろうなんて精力はなかった。

 だから、最下層には落ちたくない。そういう消極性で序列に組み込まれてしまう。蔑んでいるわけではない。ただ、自分より下がいれば安心できる。その胸底を偽ることはできなかった。だから、俺も多くの生徒と同じように、緊張感に苛まれていたと言うのに。

 だと言うのに、一百野にそんな気配は微塵もない。さも当然の顔をして、淡々とした日々を過ごしている。その泰然自若とした態度が末恐ろしかった。何か対策があるのだろうか。一百野の様子を窺ってしまう。


「どうした?」


 そんなものであるから、出し抜けに声をかけられたりするのだ。

 同室者になってから、それほど親しい会話をした覚えもない。最低限の日常会話がほとんどだった。そこから外れたような問いかけに、俺は苦笑いを浮かべる。


「一百野は余裕なんだな」

「余裕……?」


 首を傾げた一百野の髪が、肩口から零れ落ちた。

 肩まで伸ばした藍色の髪は、艶やかで目に映える。光の魔術師として名を馳せている一百野家の嫡男。イケメンの見た目で注目されていたそれが、落ちこぼれの噂に変化したのはすぐのことだ。


「テストに向けて準備しなくていいのか?」

「模擬試合か?」

「他に何があるんだよ」

「模擬なんだから、それほど真剣にならなくたって大丈夫だろ? 人生が決まるわけでもないんだし」

「でも、クラスは決まるだろ」

「どのクラスになったって、やることは一緒だ。実技の講義だって、上と下で組ませるようになってる。下だからって、外されるわけじゃないだろ。序列は便宜上必要なだけだ」

「……それはそうかもしれないけどよ」

「なんだ。塔山とうやまは意外にそういうの気にするやつだったんだな」


 別段、馬鹿にしたり決めつけたり、という偏見めいた呟きには取れなかった。嫌味はない。ただ、卑屈な自分が少しだけ幅を利かせてくるというだけの話だ。


「一百野がまったく考えないのも意外だけど」

「一百野家の長男なのにって?」


 今度ははっきりと皮肉めいた響きに変わった。片頬だけを持ち上げる笑い方が、やさぐれた雰囲気すらも持つ。試合への緊張は確かにないようだが、何も考えていないというのは言い過ぎたようだ。


「気にしてるんじゃないか」

「まぁ、うるさいからなぁ。でも、お前は言わないよな」

「面倒だからな」


 枠組みで一百野を見る気はない。

 そんな崇高な思想があるわけでないけれど、先入観など持っていたところでいいことはないだろう。何しろ、同室者であるのだから。素のままの一百野と三年を過ごすことになる。面倒な視点で揉め事を起こすつもりもなかった。


「じゃあ、その能天気な感じで試験にも臨めばいいだろ?」


 部屋は机が二つ並んでいて、間には机と同じくらい高さの本棚がある。その棚を挟みながら声を交わす一百野は、のんびりとしたものだ。それこそ、能天気であるかのように。


「感情の問題と実技の問題は一緒にできるもんじゃないだろ」

「実技にも感情が伴うもんじゃん?」

「うわぁ……それは技術あってこそだろ。一百野は元の魔力が多いからそういうことが言えるんだよ」

「俺、魔力が多いなんて言ったか?」

「生活見てれば分かる」


 机二つと本棚。逆側の壁には二段ベッド。入り口側の両壁にクローゼット二人分。狭い部屋だ。どれだけ不干渉を貫いたところで、相手の生活なんて手に取るように分かる。

 一百野は日常のささやかな行為でさえも、さらりと魔術を行使していた。ささやかではあるが、魔術である以上魔力を使う。それを見ていて魔力量を測れないほどではない。


「塔山が魔術を使わないだけじゃないか?」

「俺は使えないからな」


 肩を竦めると、一百野は目を丸くする。黄金色の瞳に光が瞬いた。


「外部魔術は発動できない」

「なるほど。強化特化」

「それ以外は何もできないから、実技に不安があるんだよ」

「強化で突っ込めばいいだろ? 内部が得意なら、エンチャントだって利用すればいい」


 やはり環境による知識の違いというのはある。どれだけ一百野家の嫡男だと偏見を持たずとも、こうして打てば響く知識が身についているのは一百野家という環境があるからだ。

 一百野家であるから、ということが第一ではないだろう。重要な点は、魔術師の家系だという部分だ。うちもそうであるので、それくらいは分かる。魔術師家系とそうでない家系では、天と地ほどの差があるのだ。

 そして、俺の家系と一百野の家系とでは、やはり差がある。俺がエンチャントに秀でている可能性に気がついて、そこに熱を込めるようになるまでには、それなりの月日を必要とした。そこには、完全なる裏方になりかねないエンチャントに転換することに躊躇う自分の感情との折り合いもあったが。

 それを抜きにしても、ここまでのほんのわずかなやり取りで、すぐにそこまで辿り着く思考が身についているのは、環境の賜物だろうと思わざるを得なかった。

 ただし、それを不自然に羨望しているわけでも、過度に褒め称えているわけでもない。ただ、端然とした事実として受け止めているだけだ。


「模擬だとエンチャントできる武器の限度がな」

「木刀はありだろ?」

「エンチャントすると、木刀の許可条件をはみ出そうなんだよ」


 とんとんと机の端を指先で叩いていたのは、知らず識らずだった。

 模擬試合の日程を告げられてから、ずっと考えている。エンチャントと一口に言っても、その大小は種々雑多だ。ただの強化から、刃物レベルへの変化までも含める。そして、刃物までになれば、木刀の意味がない。

 だが、そこまでいかなければ、俺には攻撃の手段がなかった。無力だ。その程度を見極めてエンチャントするしかない。


「そこまで器用なのか。何かエンチャントしてるのないの? 見たい」

「なんだよ、急に」

「興味あるけど、やったことねぇんだよ。魔術が第一だとエンチャント武器なんて使わないしな」

「羨ましいことだ」


 ひょいと肩を竦めながら、三十センチほどの木の棒をカバンの中から取り出した。いつもこんなものを持っているというのは、はしゃいでいる小さなガキのようで苦くなる。だが、俺にとっては立派な携行武器だった。

 本棚の上から、一百野のほうへと木の棒を突きつける。不格好なことこの上ない。一百野は興味津々に棒を手に取って、矯めつ眇めつする。


「へぇ」


 感心したような声は、無邪気なものだ。金色の瞳が瞬かれて、木の棒相手にきらめきを振り撒いている。


「すげぇなぁ……これ、使えばいいんじゃねぇの?」

「大丈夫だと思うか」

「むしろ、これが限界だろ? これ以上行くと模擬じゃNG出るんじゃないの? こんな緻密な強化、十二分に凶器だし」

「それでも魔術に比べたら、威力もないし、間合いもなぁ」

「魔術陣でも組み込んでみたらどうだ?」


 言いながら、棒が返される。指に馴染む棒を改めて眺めた。魔術陣か、とその解決方法を考えてみる。

 一百野は楽々と言い放ってくれたが、簡単ではない。魔術陣は組み込めてもせいぜいひとつだ。

 属性の攻撃魔術をひとつ。

 それだけで勝負になるほど、模擬試合は軽くないだろう。みんなが必死になって、あれこれ考えているのを見てきたのだから、それくらいの予想はついていて、だからこそ俺だってエンチャントの塩梅に悩んでいたのだ。


「風の増幅魔術なら、自然現象の強化だ。塔山の得意分野じゃねぇの? それに自然にあるものを使うんだから、属性ひとつでも魔術陣を一発で使い捨てにする必要もない」


 はっとして、棒から目を離して一百野を見る。

 一百野は、悪くないアイデアだろ? とでも言わんばかりに、自慢げな顔でこちらを見ていた。魔術について語ることが好ましい。そういった生き生きとした黄金色の光は、普段一百野をかっこいいと評している人間が見れば存分に見惚れることだろう。


「……そうだな。ありがとう。助かった」

「どういたしまして〜」


 緩い返答に緩い笑み。何も特別ではないとばかりの日常の延長のような態度に、俺の気持ちまで緩んだ。今まで焦っていたものが嘘のように落ち着く。

 たとえEクラスであっても、一百野は一百野としてその実力を発揮するだけなのだろう。声をかけてみてよかった、と素直に思った。

 それは、有益な情報が手に入ったから、なんてげんきんな理由じゃない。こいつが同室でよかった、と思うようなものだ。それを口にする青臭さは持ち合わせてなかったが。

 だが、俺は紛れもなく一百野のおかげで静心を取り戻して、模擬試合に向かう心構えができたのだった。

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