魔法少女に温もりを
涼坂 十歌
魔法少女に温もりを
「ありがとうございました」
温かな紙袋を手渡し、わたしはお客様を見送った。小さな子供連れの女性は、すぐに駅前の人混みのなかに消えていく。
わたしの名前は宮下あかり。
駅前のたい焼き店『あん堂』で働く二十七歳だ。
『あん堂』は安藤さんというお婆ちゃんが経営するお店で、私は二年前から働きだした。学生時代によく食べに来ていたので、今はここで働けるのがとても幸せだ。日替わりのわたしたち社員に対し、毎日出勤している安藤さんだが、今は腰を痛めて入院中。小さなお店だから、営業は一人でもそんなに大変ではない。
わたしは作業の手をふと止め、改札口のほうを見やった。
今日は、水曜日。もうすぐ彼女が来るはずだ。
電車の到着を知らせるアナウンスが流れる。
人の波がホームから押し寄せ、改札に向かってまっすぐに進んでくる。やがて、黒々とした人の群れの中から一粒の点が抜け出す。一人の女の子が、店にやってきた。
「こんにちは! つぶあん一つください」
二駅先の高校の制服を着たこの少女は、毎週水曜日に必ずたい焼きを食べに来る常連さんだ。
大きな目が印象的なかわいらしい子で、カールしたポニーテールがとてもよく似合っている。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
焼きたてのたい焼きを渡すと、彼女はにこやかにお礼を言ってレジの側のベンチに腰かけた。
「きいてくださいよ、たい焼き屋さん。今日学校で体育があって――」
お客様が少ないと、そんなふうにして彼女のおしゃべりが始まる。
彼女がたい焼きを食べ終わるまでの数分を、わたしはとても尊く思っていた。
わたしたちのそんな不思議な関係が始まったのは、一ヶ月ほど前からだ。
わたしは、もともと人づきあいが得意ではない。学生の頃から友人らしい友人はおらず、親しくなれたのはそれこそ安藤さんくらいのものだ。この仕事を始めてからも、特に常連さんと仲良くなろうなどとは思っていなかった。
けれどこの少女にだけは、わたしから声をかけた。
通学かばんについた、六角形のステンドグラスを見つけたから。
それは、ただのストラップではない。
そのステンドグラスが光ると――
「っ!」
彼女のおしゃべりが、止まる。
表情が先ほどまでの幸せそうなものとはほど遠く強張った。それまで大切に、少しずつ食べていたたい焼きの残り半分を三口でたいらげ、彼女は立ち上がった。
「ごめんなさい、たい焼き屋さん。わたし、もう行かなくちゃ」
ごちそうさまでした! と頭をさげ、人気のない路地へ走っていく。
わたしはいたたまれない気持ちで、その小柄な背中を見送った。
わたしは、彼女がこれからどこへ行くのかは知らない。けれど、何をするのかは知っている。
わたしは、彼女の名前も知らない。けれど、彼女の秘密を一つだけ、知っている。
ステンドグラスが光る。
その意味を、わたしは知っている。
この町には、魔界と繋がる穴がある。
そこからときどき、悪魔が出てくる。
彼らから人々を守っている存在がいる。
そんなことを、わたしは知っている。
この町には、魔法少女がいる。
わたしは知っている。
だって、わたしも
そうなりたいと望んだわけではない。ただあのときは、わたしが魔法少女にならなかった未来の滅びた世界を見せられて、頷くしかなかった。
(あの子も……)
だからわたしは、ステンドグラスを見つけて声をかけた。青春を棒に振って、がんじがらめにされているだろう彼女に。
誰もいなくなったベンチに、夕日が差していた。
その翌週も、彼女はやって来た。
「こんにちは。つぶあん一つください」
はい、と返事をしながら、わたしは彼女を観察する。気のせいだろうか、今日はなんだか元気がない。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
お金をくれる彼女の指が細くて冷たい。
少女はいつものようにレジ横のベンチに座り、たい焼きを食べ始めた。
今日はお客様が多い。
彼女がたい焼きを食べるのが、いつもより遅い気がした。
しばらくして店が落ち着くと。
「たい焼き屋さん、高校の修学旅行ってどこに行きました?」
少女がきいてきた。
顔を向けると、たい焼きはもう尻尾がわずかに残っているだけで、包み紙がもてあそばれてしわになっていた。
修学旅行……。
行き先はたしか、沖縄、だっただろうか。
楽しげな海水浴の写真がホームページに載っていた記憶がある。
「沖縄でしたね。でも、わたしは行ってないんです。子どものころは……少し体が弱かったので」
そんな適当な言い訳を口にする。
行けなかったのは嘘ではない。魔法少女として、この町を離れるわけにはいかなかった。
「そうなんですか。実は、私も行けないんです」
少女が言う。
「再来月にあるんですけど、私、こっちでちょっとやらなきゃいけないことがあって」
「そうなんですか」
そっけなく答えてしまう。それ以上は言えない。彼女の悲しみに寄り添うことは、わたしには許されない。
けれど、地味だったわたしとは違う、華やかな彼女のことだ。友達も多いだろう。修学旅行にはいっそう行きたいはずだ。
わたしは少女を見つめた。残り少ないたい焼きをもて余す少女。口元は微笑んでいて、涙もない。だけど、笑ってはいない。
「これ、よければどうぞ」
わたしは彼女に、オレンジジュースのカップを差し出した。奪い取られる青春の重みも、残される心の嫌な軽さも、わたしには手に取るようにわかる。
ぽかんとする少女。
「賞味期限が近いんです。今日はもう、お子さんが多い時間も過ぎたので」
少女が、大きな目をぱちぱちと瞬いた。
こんなものでは満たされないとも、わたしにはわかる。けれどどうすることもできなくて、歯がゆい思いで言葉を続ける。
「修学旅行、行けないのは寂しいですが、案外悪くないですよ。高揚した友人が高いお土産を買ってきてくれたりしますし」
柄でもなくそんなことを言ってみる。本当は、まともな友達なんていなかったのに。
少女は何も言わない。二人して硬直していると、やがて少女のほうが小さく笑った。
「あはは、ありがとうございます。ふふ、たい焼き屋さんみたいな優しい人になれるなら、修学旅行なんて行かなくてもいいかもなぁ」
乾いた声で、少女が言う。
息がつまる。何か言うべきだと思ったが、わたしには何も言えなかった。わたしには、彼女からだけは、『優しい』と言われる資格がない。
「なんかちょっと元気でました。ありがとうございます」
そう言って、少女は弱々しく笑った。
それから、少女が来ない週が続いた。
次に来たのは、安藤さんが復帰する前日。山間の民家での不審火が報じられた翌日の、雨の降る水曜日だった。
「お久しぶりです。つぶあん一つください」
久しぶりに聞く声に、ぱっと顔をあげる。けれどその姿を認識したとたん、わたしの呼吸が止まった。
注文する彼女の笑顔が、やつれている。
制服には皺が多く、髪もいつもほど整えられていない。様子がおかしいのは一目瞭然だった。
「……すみません、ちょうど品切れなんです。焼きあがるまでお待ちいただけますか?」
保温庫の中には、既に焼けた商品がいくつか入っている。けれど、それを渡してすぐに帰すのではいけない気がして、とっさに言った。
彼女の視線が、一瞬保温庫に向く。けれど少女はいつもよりゆっくり瞬いて、こくり、と頷いた。
いつものベンチに座る少女。ローファーの先をぴたりと合わせ、膝の上に置いたスクールバッグを抱えてうつむいた。
私はなにも言わず、いつもより丁寧にたい焼きを作り始めた。
駅の喧騒が遠く感じる。
生地が焼ける音と、自分の呼吸音だけがやけに大きく響いて聞こえた。
「ねぇ、たい焼き屋さん」
静寂を破ったのは、少女のかすれた声だった。
「たい焼き屋さんは、これまでに大きな失敗をしたことってありますか?」
頭の中で彼女の言葉がこだまする。
脳裏であの日のネオンサインがちかちかと光った。眩しさに目がくらんで、私は心の目を閉じる。
「失敗、ですか」
ぼんやりと繰り返す。
失敗。
そんな言葉では言い表せない出来事が、わたしの過去にはある。
あれは、高校二年のことだった。
夜中に光ったステンドグラス。わたしはそれに気づけなかった。繁華街に悪魔が現れて、多くの人や物を傷つけた。死者も、出た。駆けつけた頃には手遅れだった。
変身中は体が丈夫なはずなのに、あの日投げつけられた石の痛みを、わたしは今でも覚えている。
それは、どんな敵からの攻撃よりも、痛かったから。
「……ここで働き始めたばかりの頃、生焼けのたい焼きを提供してしまったことがありますね。先輩がすぐに気づいてくださったので何事もなくすみましたが、あのときは肝が冷えました」
これも嘘ではない。
あの時は、間一髪のところを安藤さんに止められて間に合った。
「わぁ、それは大変でしたね」
彼女の声音に、少しだけ生気が戻る。
「私も……お仕事っていうか、私がやらなきゃいけないことで、失敗、しちゃったんです」
彼女がやらなくてはならないこと。
頭の中を、今朝のニュースがよぎった。
夜中に突如上がった火の手。老夫婦が暮らす小さな民家をのみ込み、周囲の木々を巻き込んで燃え広がった。
出火原因は不明。放火魔がわざわざ行くような場所でもない。
人ならざるものの仕業でもなければ、火事など起こらないはずだった。
ここが彼女の最寄駅なら、現場はかなり遠い。
夜中の不審火に、彼女の対応が間に合うはずがない。
「……そうですか」
きしきしと痛む胸を抑えて、できるだけ平静な声を返す。
震えた声で彼女が続ける。
「私が、もっと気をつけていればよかった。油断してたんです。慣れちゃってた。たかをくくってた。大丈夫だって、思ってました」
彼女の手が、ぎゅっとスカートを握る。
守り損ねた幸せを、必死につかもうとするかのように。
見ていられなくて、わたしは彼女から目をそらした。
それは違う、と、言ってあげられたらよかった。魔法少女として、あなたはよく頑張っている、と。でも、言えない。
『自分が魔法少女であったことを明かしてはならない』
魔法の残り香をまとうわたしたちが悪魔に狙われないための契約。それが、魔法少女をやめる――代替わりする条件だ。
それに、もし言えたとしても、そうやって行き先を失った怒りほど苦しいものはない。
あの時だって、わたしは何度も自分に言い聞かせたのだ。
わたしのせいじゃない、わたしは頑張った、できるだけのことをした。
けれどその後に残ったのは、じゃあどうしてあんなことに、という疑問だけ。誰も、何も救われなかった。
あの頃の圧迫感が心によみがえる。
トラウマ、とでも言うのだろうか。魔法少女として生きたあの日々は、今でもわたしの人生に影を落としている。
忘れたはずなのに。もう戦う必要はないのに。彼女に全て押しつけて、逃げ出したのに。
それでもわたしは笑えなくて、そうしてここへやって来たのだ。あの頃、わたしは安藤さんや店員の女性たち、そしてあん堂のたい焼きに救われていた。だからここへ、戻ってきた。
何が正解なのだろう。
どんなことを言えば、どんな顔をすれば、一人で苦しむ魔法少女を救うことができるのだろう。
その答えがないことを、けれどわたしは知っている。
わたしは焼きあがったたい焼きを紙に包んだ。
いつもより、餡を少しだけ多く入れたたい焼き。
ブースを出て、ベンチに座る少女の前に立つ。
幼子のような目で見上げる彼女を見つめ返し、商品を差し出した。
「いつも、ありがとうございます」
わたしたちのために戦ってくれて。
わたしたちの幸せを守ってくれて。
ぽかんとした表情で、少女がたい焼きに手をのばす。
届け、と願う。
口に出せない思いが、たい焼きの温もりを通じて彼女の心に届くように。
たい焼きを手にした少女の頬を、一筋の涙が伝った。
「あ、あれ……?」
意図せず流れ出したらしい涙に驚き、少女が目をこする。
けれど、拭えど拭えど涙は止まらない。それどころか次々に溢れだす。
「なんでだろう……!ごめんなさい、突然こんな」
ごまかすように笑いながら言う少女に、わたしは首を振った。
脳裏を、今より少し若い安藤さんがよぎる。
「いいんです。泣きたいときは、泣いてください」
しきりに目をこすっていた彼女の動きがぴたりと止まる。縮こまった肩が、自分のもののように見えた。
「無理して笑わなくていいんです。もっと、自分の心に正直になっていいんです」
少女のスカートに、大きなしずくがぽたぽたと落ちた。
少しずつ、小さいけれど声をあげてしゃくりあげ始める少女。
背負いこんだ責任の重さで、彼女がとてもとても小さく見える。大人として、元魔法少女として、何もしてあげられない自分が悔しかった。
わたしは、小さな魔法少女の隣にそっと腰かけた。
彼女に代替わりした事実に、胸を痛めながら。
その翌週、少女はいつもどおりやって来た。
「こんにちは!つぶあん一つください」
カールしたポニーテールに、張りのある頬。制服のシャツにはしわ一つない。元気な姿だ。
「はい。少々お待ちください」
わたしは保温庫を開けて準備をしながら、横目で彼女を観察した。
肩でリズムをとり、人々の往来を楽しそうに眺める少女。気のせいだろうか、彼女の表情が、心なしか以前より明るくなったように見える。
あの日のあと、少しでも気持ちの整理がついたのだろうか。彼女が心から前向きに生きられるようになったなら、それは本当によかったと思う。
もっとも、そんなことは彼女に戦いの運命を強いたわたしが言えることではないのだが。
「お待たせしました」
温かいたい焼きを持って、少女に声をかける。
少女はぱっと顔をほころばせて両手をのばした。愛おしそうにたい焼きを持ってほほえむ。
「あの」
彼女が不意に言った。
「この前は、本当にありがとうございました」
力強い瞳が、わたしをまっすぐに見つめる。
「変なこと言っちゃうんですけど、あの時たい焼き屋さんが隣にいてくれて、私、一人じゃないんだって思えたんです。私の仕事は誰かに手伝ってもらえるものじゃないんですけど……それでも、一人でやってるわけじゃないんだって思いました」
その言葉に、わたしの心は喜びと痛みとを同時に抱いた。
『一人じゃない』
――あなたを、家族や友人と違う、異質な存在にしたのはわたしなのに。
少女は続ける。
「だから、もしかしたらまた、この前みたいに辛くなるときがくるかもしれないけど。でも、夢を叶えるまでは、くじけずに頑張ろうと思います」
瞳を輝かせて、そう宣言する少女。
わたしは後ろめたい気持ちで彼女に問い返した。
「夢って、何ですか?」
すると、少女は昔のことを思い出すかのように遠くを見た。そして、言う。
「私、私の前にこの仕事をしていた人に、助けてもらったことがあるんです」
心臓が、跳ねる。
「中学校の入学式の帰りに、ちょっと危ないことになって。そのときに」
はにかむ少女。
わたしは息をのんだ。
覚えている。
五年前、わたしが魔法少女を辞める年。悪魔が乗っ取ったトラックの暴走から、女の子を一人守った。
まさか、彼女が。
「本当は直接会ってお礼を言いたいんですけど、顔も名前もわからないので……。今度は私が、その人みたいにたくさんの人を助けようって決めたんです。それが、私の夢です」
晴れ晴れとした表情で言う少女。
ずっと昔になくしたまばゆいものが、彼女の瞳からわたしの中に入ってくる。いつも何か足りなかった心が、満ちていく。胸の奥から、何かがこみ上げてくる。
目もとににじんだものを隠すように、わたしはそっと笑った。
「そうですか。素敵な夢ですね」
たい焼きを持った少女がいつものベンチへ歩いていく。
彼女から見えない位置で、わたしはそっと涙を拭った。
わたしは、彼女の人生に影を落としてしまった。そのことをずっと悔いていた。けれどわたしは、彼女の生きる希望にもなれた。
わたしたちは、ときに一人で戦わなければならない。でも、わたしたちは孤独ではないのかもしれない。
どんなかたちであれ、わたしたちは支えあって生きているのだ。
わたしは鼻をすすった。
その音に、かすかな笑い声が重なる。
声のしたほうを振り返ると、たい焼きを作りながら、安藤さんがほほえんでいた。
「大人になったわねぇ」
「安藤さん?」
わたしが声をかけると、安藤さんはいつものようににっこりと笑った。
「なんでもないわ」
魔法少女に温もりを 涼坂 十歌 @white-black-rabbit
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