懐古? 新味? ”学び”の解と。ひき肉団子のスープ ②

「滞在が長引く事を考えるとホテルより朝食のみの簡易宿、共用キッチン付き等諸々の条件を揃えておく必要があると思ったからな」


 フィーネが東広場の注目の的に勇気を振り絞って近付いた後、三人は宿へと向かった。


 長々と宿の選定理由について述べながら案内するシリウスだが、要はメルトムントでもカイの手料理を食べたいという理由をそれらしく飾っているだけらしい。


 因みにフィーネはブレスレット着用とシモンの監視付きという条件で官舎外への宿泊を許可されている。

 またカイも無事に拘留や行動制限までには至らず、同じ宿へと逗留する事となった。

 その辺りはシリウス曰く、都市部の魔法に対する取り締まりや街全体の警備体制、管轄内に配属された魔術師の数が影響しているらしい。


 フィーネ達は東広場から一旦大通りへ。最寄り駅とは真逆の東側へと通りを進んでいく。


 大通り付近や駅近くには素材やデザイン等が斬新で前衛的な建築物もちらほらと見られたが、少し奥へと入ればピゴス同様、少なくとも二百年前から同じ姿であろう建物が続いている。

 所々土が露わになっている石畳の道路脇に、瓦屋根や階段状の屋根を持つ漆喰や石造りの家々。個人宅には大きな庭や畑が。


 魔法と縁が薄かったフィーネの素人考えではあるが、たしかに家々の間隔はピゴスと大きく違っているので魔法による取り締まりはしやすそうに思えた。


「部屋は三部屋、居間が一部屋に寝室が二つ、続きで取ってある。この間まで伯爵家の別邸の一つだっただけあって一般的な簡易宿と造りは異なるが、その分なかなか広い。浴室に手洗い、洗面も完備だしな。共用キッチンだけが不便だが、ないよりは良いだろう」


「パープストマト、乾燥できるかもね……!」

 上機嫌の兄を邪魔しないように、フィーネはそっとカイに耳打ちする。囁きかけたすぐ下で細身の肩が大きく跳ねた。


「っ⁈ あ、うん⁈」

「ご、ごめん!」


 己の失態に気付いた時には時既に遅く。

 パッと身を引くフィーネの前でカイの耳と頬が真っ赤に染まり、すぐに朱に染まっていた顔が青ざめていく。フィーネもまた同様に、熱かった顔から血の気が引いていくのを感じた。


(ど、ど、どうしよう。お兄ちゃんに気付かれないようにってそればっかりで、私! また?! かがむ角度を……絶対、数度? いや10センチ位? どうしよう、くすぐったかった⁈ ううん。なんかこう、ぞわっと生理的に受け付けない的な感じで、ものすごく気持ち悪かったんじゃ……⁈)


「どうしたんだ? 二人して赤くなったり青くなったり、突然飛び退いたり忙しなく……疲れたのか?」


 怪訝な様子で振り返るシリウスに二人は同時に言葉を発する。


「ううん! お兄ちゃん、疲れた訳じゃないよ!」

「僕も⁈ うん、全然!」

「そうそう、ちょっと私がうっかり悪行を……」

「え⁈ 違うよ、フィーネは何も! 僕の方が気を抜いてたから魂を売りそうに……!」


 慌てる二人にシリウスは首を捻って一考し。


「お前ら、神獣ではなく悪魔にでも取り憑かれたのか? まあ冗談だが、メルトムントは丘が多い。そのせいで都市部にしては自動車や機会馬車等の交通手段も少ないからな。俺達のような短期滞在者の移動手段の多くは徒歩になる。今後は少しでも疲労を感じたならば、すぐに伝えろ。疲労は万病の元、怪我の元、あらゆるトラブルの元だ。見慣れぬ街で心躍る気持ちは理解するが、遠出の最中に自覚を怠る事は命取りになりかねない。突然坂から転げ落ちたら、俺でも対処仕切れない場合もあるからな」


 呆れと心配をない交ぜにしたような表情でシリウスは苦言を呈す。


 フィーネとカイは同じように深く頷き、それぞれの言葉で注意を怠らぬよう努めると宣言。

 フィーネは真相に気付かぬ兄に何故か少しだけほっとしながら。そして少しだけ、兄もさっきはしゃいでなかっただろうか? と疑問に思いながら。

 二度と間違えないようにと心に決め、機会があれば後でカイにはそれとなく謝ろうとも思った。


「ところで俺も用があるので夕食を共に出来ない」

「えっ?! シモンさんは夕食間に合わないのに? お兄ちゃん、監視を頼まれてるんじゃ?」


 咎めるフィーネにシリウスは頷く。


「ああ。だからもっと、俺を監視するお偉いさんが直接見るだろう。そのあたりは俺を監視役代理にした時点で双方同意済みと、推し量れるから良いのだが。問題は……カイ。シモンが到着するまで、精々数時間だろうが、気を付けろ」

「え?」


 瞳を瞬かせるカイに、シリウスは黄金色の眼差しを鋭くさせる。『気を付けろ』との兄の言葉の意味はフィーネにもわからなかった。


「良い機会だ。今夜のキッチンの借用申請はしておいた。簡単なものでいい。大事な話の前なら尚更。フィーネに作ってやってくれ」


「お兄ちゃん、そんなカイに……」

「大丈夫だよ、フィーネ」


 堪らず声を上げたフィーネをカイはやんわりと、しかし普段よりも硬い声音で制す。

 無茶振りから何かの意図を読み取ったのだろうか。カイは少しだけ困ったような、安堵したような微笑みが零して、真剣味を帯びた声と眼差しはシリウスへと移っていった。


「シリウス君、わかったよ。ところでシリウス君が後で食べる分はいい? あとフィーネも。本当に簡単な物になってしまうんだけど、大丈夫?」

「私は大丈夫だけど……」

「俺は今夜について言えば、遠慮する。もちろん明日以降はまた話が別だ。特別な理由がない限りいつでもやぶさかでない」

「わかった」


 二人して頷き合うシリウスとカイに、フィーネはこれで良いのかと少々納得がいかない。

 少し前まで疲労がどうのと私見を並べ立てていた男はどこへ行ったのだろうか。


 フィーネは訴えるような目で兄を睨んだが、シリウスは我関せずに話を続けた。


「件の店主への提案についてや神獣の呼び出しについてはお前達に任せる。まあ、縄等の捕獲道具が揃っていない事や記録、万が一の際の後々を考えれば明日以降、俺が居る場で呼び出す事を勧めるが、シモン・アンティーヌの口ぶりから危険性については少ない傾向にあると見て間違い無い。……兎にも角にも。お前達のそれぞれの思いも選択も、俺の希望や期待を大きく裏切らない限りは、出来うる限り尊重したいと思っている。最後はフィーネとカイ、それぞれの、そしてお前達の問題だ。何を活かすも殺すも、何に重きを置くかも、どの手段を選ぶかも。よく考えて焦らず決めろ」


 フィーネとカイは頷きを返す。

 兄のもったいぶったような、改まったような意味深長な言い方は少し気になるが。善意以外の理由から軽々しい嘘をつく兄ではない。


(言い方は問題だけどお兄ちゃんなりに私の変化やカイのこれからのこと、心配してくれての言葉なんだろうなぁ。もしかしたらお父さんがいない間の出来事だったし、カイを巻き込んでしまった事とかも責任を感じてるのかも)


「フィーネはうっかりブレスレットを外さないように。宿でも落ち着いてよく考え、考えてから行動しろ」

「はい」

 シリウスの美しくも鋭い眼差しにフィーネは姿勢を正す。


 三人は道路をまたぐ石門をくぐり、ベージュ色のこぢんまりした建物の入り口前と立った。アーチ型の大小二つの扉と、間には大きなショーウィンドウ。ガラス張りの店内は薄暗く、午後三時まで休憩中との札が下がっていた。


 どうやら一階部分はレストラン兼バーになっているこの三階建ての建物がメルトムントでの住まいとなるようだ。シリウスは右手の大きな扉へと手をかける。


「カイもだ。不要な恐怖や謙遜、あらゆる根拠のない推測は判断力を鈍らせる。利他の源が己にある事を忘れるな」

「はい」

 フィーネに続いてカイもまた、短くも偽りのない返事をシリウスに返した。


 後ろ背の兄の表情は見えない。にもかかわらず、何故かフィーネにはあの親しい者しか感じ取れないシリウスの微笑が背中越しに見えた気がした。

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