第10話 バレンタイン

 沖縄旅行から帰ってきたユリコ店長と何かギスギスした関係が続いていた。厳密には私から彼女に近寄らなくなっていた。それでも、彼女を嫌いになった訳ではない。大好きだった。たまに応援としてくる別店舗の従業員が男だった時にユリコ店長が話している姿を見ると嫉妬した。ユリコ店長の笑顔がこちらに向けられたものじゃないと思うとどうにも辛いものがあった。

 催事が終わる頃、ユリコ店長が私に言ってきた。

 「短期で雇った子、君より少し年上なんだけど凄く良い子なんだ?君もこれから試験勉強が大詰めになると休み多くなるよね?だからこのまま長期で採用しようと思う。気分悪くなってほしくなかったから先に言っておくね。」


 ユリコ店長からのこの一言に実は酷く傷ついた。私の代わりはいくらでもいる。仕事に来られないあなたはいらない。そう言われている気がした。

 短期から長期へと契約が変わろうとした人の名前は塩野さんといった。正直、最初から好きにはなれなかった。ユリコ店長のお気に入りになりそうだったからということもあるかもしれない。当時の私は男女関係なく嫉妬することが多くなった。ユリコ店長が誰かと話しているだけで嫌な気分になった。でも、何よりも確信していた。この女は何かを隠している。匂いも好きではなかった。香水の匂いが夜の匂いだった。

あの洗脳女に近いものを感じていた。洗脳女はキャバクラ嬢だった。夜は男性客の前で自分の胸を曝け出し、触らせることで金銭を得る。私がこの洗脳女と出会ったのは友人の結婚式だった。

 派手な人間と付き合うことに美徳を感じたバカな私が気付いた時には洗脳されていた。

 平気で嘘をつき、平気で自分の主張を繰り広げる。あの女と同じ感じがしていた。

 しかも塩野さんに感じていたのはただの嫌悪感じゃない。塩野さんを信じているユリコ店長が裏切られるかもしれないということが許せなかった。

 自分の目の前で、自分の好きな人がショックを受ける姿を見たいと思う人間はそうそういない。だから私はユリコ店長に言った。

 「塩野さんは危険です。店長が嫌な思いをする前に切った方がいいです。店長は優しすぎます。勤務数に制限がある俺がいうのはおかしいことだってわかってます。でも、塩野さんは絶対にダメです。」


 「うーん。そんな子には見えないよ?みんなと和気藹々にできてるし、何よりうちの店って沖さんとか堀さんとか癖のある人多いじゃない?あの2人とうまく出来る人ってあんまりいないと思うの。でも塩野さんはうまくやってる。だから大丈夫。」


それ以上返す言葉はなかった。


もういい。所詮世帯持ちの人妻、母親。傷付けばいい。結局私のいうことを信じてはくれない。誰も私のいうことなんて聞いてくれない。どん底の底辺野郎の言うことなんだから。ユリコ店長と距離を置こうと決めた。


ユリコ店長と塩野さんが楽しそうに話す姿を見る機会が多くなった。私がいたポジションにいるのは塩野さんなのだ。


私は暇さえあればお客さんに声をかけた。そしてこの時期、たくさんの知人が来店してくれた。昔のアルバイトの先輩、ボランティアの人達。色んな人が来てくれた。ユリコ店長に相手にしてもらえなくても遊びに来てくれる知人と話すことでどうにか暇な時間をやり過ごすことができた。私にとって、当時の暇とはユリコ店長と話していない時間のことを暇と表現していた。


ユリコ店長にもかまってもらえない日々を送っていたがロッカーを開けると1枚の板チョコレートが出てきた。


たまたまなのかわからないがユリコ店長がバックルームに来て言った。

「私からの義理チョコです!みんなにあげてるんだー!ちょっと良いチョコレートだよ!奮発したの!」


「え、なんで俺にくれるんですか?いいんですか?もらっても。嬉しいなー。今日が忘れられない日になりました。ありがとうございます!Facebookでみんなに自慢しちゃお!」


「だから、義理チョコだって言ってんのに!」


ユリコ店長から本命がもらえるはずはないってわかってた。ユリコ店長には自宅に帰れば本命がいる。その本命には手作りのチョコなのかな?甘い香りがする自分自身がプレゼント?そんなことを考えていた。

 それでも、義理チョコであっても好きな人からもらえるチョコレートには特別なものがあった。

 ユリコ店長を守りたいと思った。何か起きる前に守れなかったとしても何か起きた後に自分が守ってあげればいい。そう思っていた。

 

 数日後、塩野さんが消えた。

 ことの発端は体調不良で休むという連絡だった。

 その日、一本の電話が鳴った。私が受けたその電話は塩野さんの在籍確認だった。

 ユリコ店長は体調不良を心配していたが、間違いなく何かやらかしたに違いなかった。

 次の日、塩野さんから退職したいとの連絡があった。付き合っている彼氏が遠いところに行くことになったからついていく。それきりで終わった。

 急に人が辞めるということは他の従業員に負担がかかる。いなくなったところを補う必要があった。

 ユリコ店長が休みを返上して出勤しようとしていた。

 「桶谷店長、俺塩野さんいなくなったとこ入りますよ!勉強もちゃんと出来てるし、催事終わった後の店長と被る機会多くなったから一緒に話せますし、そっちの方が嬉しいです!」

 咄嗟にでた言葉だった。


 「大丈夫?!すごーく有難い!ごめんね!急に。でも君の言うとおりだったね。」


 「いいんですよ!俺はユリコ店長のためならなんでも頑張ります!」


 本音を言えば勉強する時間も欲しかった。入れていたボランティアもほとんどキャンセルした。予定だってあった。その全部をユリコ店長のために注いだ。当たり前のように店長のためにという言葉も出てきた。今にして思えば、私はあなたが好きだと言っているようにも聞こえる気がする。恋をすると徐々に隠すことが出来なくなっていくものなのかもしれない。どんどん溢れて最後はどうなるのだろうか。この結末が幸せなものであればいいのに。そんな思いでいっぱいだった。

 そして店はなんとか持ち直した。

 またユリコ店長と構ってもらえるポジションに返り咲ける気がした。

 この日を境にユリコ店長との距離が縮まっていった。

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