第3話 レイアウト

 ブー、ブー、ブー。家の中では常にマナーモードに設定している携帯電話が鳴った。あの靴屋だ。

 私は、大慌てで通話ボタンを押した。店長だ。

 「もしもし、きみを採用します。よろしくね。それじゃあ、11月7日が初出勤でいいかな?持ち物なんだけど、、、」

 店長の陽気な声が心地よく耳に残った。見た目だけではなく、声も可愛い人だった。机に向かって勉強していた私は、飛び跳ねて喜んだ。野田に電話、、、と思ったがさすがにしつこすぎる気がしたのでこの気持ちをグッとこらえた。

 

 11月7日、初勤務。

 店に行くと髪を人形のように巻き、化粧が厚塗りで太ったおばさんがいた。沖さんというらしい。挨拶をしたが一言「よろしくー」と軽くあしらわれた。

 もう一人、面接の時に見た若い女性店員がいた。赤石という静かそうな人で自分より年下なのがわかった。

 そして店長は桶谷ユリコ。

 ユリコ店長が靴の知識から靴の機能について手取り足取り教えてくれた。私は、店長の言葉を一言も漏らさないように全てメモした。私は昔からメモをとるのが苦手だ。結局見返すことはないし、書いた自分に満足してしまいそれ以上何かを覚えようとしなくなってしまうから。

 でも、今回は違う。店長が教えてくれることはなんでもメモした。店長に同じ質問をして出来ない奴と思われたくなかったから。むしろ褒められたかった。承認欲求に近いものがあったのかもしれない。出来る人と思われたかった。だから自分が実はドジで物事をよく失敗することも後先考えずに動いて何も出来ずにフリーズしてしまうことがあることもバレないように必死に見繕う必要があった。そのためにメモをとって店長の気を引こうとした。

 店長の言うことに対して賢い返答が出来るようにも努力した。

 「いい?このゴアテックスっていう素材はね、水は通さないんだけど、足が蒸れにくくなるようになってるの。膜に小さい穴が開いていて、水分は侵入させないんだけど細かい水蒸気は外に逃すの。」


 「はー、オムツみたいなものですね!オムツは外に水は漏らさないけど蒸れさせない!ですもんね!」


 「ん?なんか例えが、、、でもそういうことかな!よし、じゃあ自分で売り場のレイアウトも考えてみようか!いいなー!って思うことあったらどんどんやっていいからね。ただ靴の箱の積み方には注意して。大体5段積みくらいが綺麗かな?それ以上になるとお客様が取りにくくなったり見栄えもよくないから!」


 ユリコ店長に言われるがまま、レイアウトを考えてみた。どうすれば店長は喜んでくれるのだろう。どんな配置なら褒めてもらえるかな?

「ふふふ」

あの心地よく響く笑い声がした。

真剣に悩む姿を見て、店長がそばに見に来ていた。


「きみは、ほんとに面白いねー!そんなに真剣に悩む人、初めて見たよ!いいレイアウトにしてね!」

店長が微笑んだ。


その日、結局私は売り場のレイアウトをうまく完成させることができなかった。


 それよりも気になることがいくつもあった。

沖さんは何も教えてくれないどころか最初から私にキツく当たってきた。

 「あのさー、ずっと話してないでちゃんとやってくれる?邪魔。」

 私は誰とも話していない。完全にあてつけだ。最初から感じた。私はこの人は無理だと。


 そうして私の靴屋勤務一日目は終わった。

 帰る時には既にメモがぎっしりだった。

 当時サッカーノートというものを作っていた。どんな練習をしたか、自分の課題は何か、明日はどんなことをしたいか、そういった日誌のようなものを作っていた時期がある。

 靴屋でもそういったノートを作る必要があると思い、靴ノートを作成して、その日に教えてもらった仕事はそのノートに書き写すようになっていった。

 でも、、、ノートを書いている時にも浮かぶのはユリコ店長の笑顔、声、サラサラの髪の毛、甘い匂い。

 もっと店長のことを色々と知りたいと思った。

 この時点での店長像は自分自身より5歳上、仕事熱心で独身、男性には興味なし。それが私の見立てだった。

 そんなことを考えていたあの日の私は完全にどん底とは言えない生活をしていた。初給料が出るまではあんぱん一つの生活ということは変わらなかったが。


 

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