02 ー 安眠点滴と画数がおどる夢
「……よしっ!」
フミは満足げに頷くと、コーヒーを飲むため立ち上がった。その瞬間、強烈な眩暈に襲われ膝をつく。
「くっ……」
暫し呻き、こめかみを抑えた。世界がぐらぐらと揺れる。
体調不良の原因は分かっている。
平素は綺麗に片づけている、モデルルームのような整った1LDK。ところが今は、そこかしこに積み上げたコーヒーの缶。
連休をいい事に、不眠不休で仕事をしてしまったのだった。
フミはこれまで効率重視をモットーに生きてきた。徹夜によってパフォーマンスを下げることは、彼女にとっては唾棄すべき事である。
しかし、眠れないのだ。
フミは脳と同期した健康管理アプリを起動すると、「眩暈 緩和」の数値を上げた。頭をしめつけていた不快感が、ジトジトと和らいでいく。そうやって眩暈をやり過ごすと、フミは宙に浮かんだ液晶画面を見つめた。こらえきれない笑みが受かぶ。
画面の表に、ずらりと並んだ単語。
アオイ、アサヒ、アマテラス、オトメ、カスミ、キキョウ、キク、クリス、サクラ、ジャスミン、チヨ、ツカサ、トワ、ナデシコ、ハナ、ヒカリ、ヒマワリ、マドカ、ミサ、ヤヨイ、ラン、ルナ、ワカナ、などなど。
実に、150。
人工生命体の名前候補である。
名前の隣に個人的オススメ度を星5つで評価し、選考した理由を一言で添えてある。
眠れないのだ。
響きの良い名前を思いつけば画数が気になり。画数を気にすると、通り一遍の名前になる。
ありとあらゆるシミュレーションを、未来予想型人工知能に読み込ませもした。
それではじき出された名前に絶妙に納得がいかず、うんうん唸りながらベッドで「名前 考え方」で検索しつづけていたら夜が明けた、そんな連休。
「ひとまず1200から150までは絞ったから……あとは、エルカさんに決めてもらえばいいよね。でもやっぱり、サクラとルナは二強だわ……」
フミがひそかに思いを寄せるエルカと共に開発した、自分の命と等しく愛しい人工生命。
昨日、ポニョンと音を立て「丸い形状」から「三画の形状」に変化したときは思わずスマホのカメラ機能を連打したものであった。
コーヒーを飲み、洗面所で顔を洗い、鏡を見てフミは絶望した。
「うっわ顔やっば」
こんな顔を愛するエルカに見せられない。フミは目覚ましアラームを設定すると、さきほどの脳の健康管理をするアプリを開いた。「睡眠加速」モードにセットして、ベッドに横になる。
とはいえ自身の高揚は、きっとアプリが脳に広げる快眠物質にさえ勝るだろう。
「ぐぅ」
とはいえ普通に心身は疲労に溶けており、わりと一分ぐらいで寝落ちたのであった。
夢の中では、エルカがフミの住む1LDKに遊びに来ていた。二人で「名前 画数」で検索したらとんでもない文字数が出てきて噴き出して笑いあう、そんな夢を見た。
「えへへ……エルカしゃん……」
***
「承知しました。ではその件はこれにて」
高値の猫。そんな異名を持つ、異性からも同性からも距離を置かれる秀才、フミは今朝も廊下をカツカツと闊歩する。
ぷしゅん。
自動ドアが開くと、先に研究室内に居たエルカが光あふれる笑顔をフミに向けた。
「あ、おはようフミ」
「おはようございます」
「ねぇフミ。知育をしていくならやはりこの人工生物にも名前が必要じゃないか、って話をこの間したの、覚えてる?」
フミは胸の内から漏れだす興奮を深呼吸でなだめつつ、静かに眼鏡を抑えた。
「勿論、タスクとして記憶しています。それが何か」
「そう、よかった。あのね、私いくつか名前を考えたの」
フミは、すんでのところで漏れそうになった「えっ?」という声を、喉を引きつらせ抑え込んだ。
「は……エルカさんも名前考え……んん、幾つか候補を選考していたのですね」
「ふふ、私だってこの子の事気になるもん。だからね、色々考えたよ」
「参考までに伺いたいです」
フミは、ドキドキする胸を抑えながらコーヒーカップを手に取った。
「うん、あのね」
エルカはきらきらと輝く笑顔で言った。
「スライムの、スラちゃん。どうかなぁ」
ずるん、どさっ。
フミはその場で倒れた。
「あれ、フミ!? ……フミ!?」
フミはその後、エルカによって丁重に医務室に運ばれた。
「あのーあれだね、普通に栄養失調と睡眠不足。ちょっと仕事根詰めすぎだね。脳の緩和物質アプリとかで何もかも改善しようとしちゃだめだよ君ィ。あれ所詮一時しのぎなんだからね。はい疲労回復の点滴ね。いやもう最近の若い子本当にこういう無茶の仕方多すぎだからねほんと」
「そ、そんなに思いつめてたなんて……」
ぼーっと医務室の白い天井を見つめていたフミを、泣きそうな顔のエルカが覗き込む。
「フミ、何かすごく思い悩むことがあったのね」
ぐすっ、と涙ぐむエルカに色々言いたかったフミだが、
「……ぐぅ」
疲労回復の点滴は彼女に何かを口にさせる暇なく、十二時間弱の健康的な睡眠へといざなうのだった。
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