8 お土産はウニの瓶詰三点セット
肩までの黒いストレートヘア。この前のスーツ姿と違って、今日はジーンズにTシャツというラフないでたちの美女だ。
彼女は俺たちを見つけて、階段の上からにっこり笑いかける。
あれは榎木の美人の彼女じゃないか!?
帰るのを知らせていたのか!? やっぱりその美女と一緒になるのか!? さっきの公園でのあれは、一体なんだったんだ。
俺の手は自然と、榎木の唇が触れた頬に行く。
「あんた、何でここに居るんだよ」
榎木が慌てたような声を上げて、美女に駆け寄る。どうしよう。俺は階段の下で立ち止まった。
美女が俺の方を見たので、榎木が振り返って首を傾げる。
「篠原、何してんの?」
仕方なしに階段を上がった。
鬼が出るか蛇が出るか、緊張しながら近付いた俺に美女がにっこり笑いかける。
だがそこに、お隣から出てきたのは山田だったか、鈴木だったか。後からすぐ片割れも出てきた。
よかった、仲直りしたんだ。
そう思ったのも束の間、俺たちを見て笑顔になりかけた二人は、美女を見て顔を強張らせた。
どうしたんだろう。知り合いかな?
美女が山田ににっこり笑いかける。
「あら。あんた、よりを戻したんだー」
低い声だ。誰の声? ここに居るのは五人だが、俺が声を聞いていないのは美女だけで……。
ま・さ・か?
チラッと榎木を見ると、榎木も俺を見て頷いた。彼女、男……? いや、オカマだったのか!?
「バイト先で知り合ったんだ。他のバイトがばれて、もう辞めたけど」
榎木のバイト先は塾で、講師をしている訳で……。
「この前、街で偶然会ったっていうか声かけられて、びっくりした。最初は分からなかったし」
榎木が肩を竦める。そりゃ分からないだろうなあ。男が突然女になっていたら。
「恋花ですー。こういうお店に勤めているの。よかったら遊びに来て」
彼女は名詞を取り出して、そこに居る四人に配った。
ええと、ゲイバー『真夜中の動物園』か……? 塾の講師がこんなバイトをしていたら、やっぱしまずいかな。
それにしても本当に美人だよな。肌も白いし、骨も細い感じで、左目の横の小さなほくろが色っぽい。男だなんて全然分からなかった。世の中にはこういう綺麗な人もいるんだなあ。
名刺を持ったままぼけらと見惚れていたら、彼女が爆弾発言をした。
「あたし、ここに引っ越して来たの」
「ええっ!?」
と、驚いた声を上げたのは山田と鈴木だった。
「こ、困るよ。た、確かに君には慰めてもらったけど――」
焦った山田が問題発言をかます。
慰めてもらったって、誰に? 彼女に? うわ、山田って浮気したのか? その後でよりを戻した訳?
でも、山田って女の役だよな。彼女もどう見ても女の役をやってそうだけど、どっちがどっちだったんだろう。綺麗っぽいにやけた山田と、本物の美女に見える榎木の元同僚を、見比べながら考える。
「お前が、年上だ何だと、余計な事をぐだぐだと考えるから、あちこちに迷惑をかけるんじゃないか」
鈴木が高い上背から山田を睨んで言う。そうそうと、鈴木発言に頷いた。
だが、すかさず「お前も余計な事に首突っ込まないでいいから」と、榎木が俺の腕を掴んだ。
榎木って、だんだん鈴木に似てきたんじゃないか?
「だって……、この人、お前の彼女かと……」
掴んだ腕を引っ張って、そのまま部屋に帰ろうとするので聞く。
「なら誤解は解けただろ」
そりゃあ、誤解は解けたかもしれない。彼女は彼女じゃなかった訳で……。
「この前、何でウチに来ていたんだ?」
男なんか冗談じゃないって云うのなら、それはそれなんだけど、でも榎木は俺の頬に……。
あれは、キスといわないか? それとも、ただ単に、俺が榎木の弟みたいにガキっぽかっただけなのか。
「ちょうどよかったし、ちょっと相談に乗ってもらった」
榎木はいったん口を噤んだが、思い切ったように言った。
「隣に聞くのは癪で」
「何が……?」
榎木はそれには返事をくれなかった。
「ほう? 癪だったか」
交ぜっ返してきたのは鈴木だ。榎木はチラッと鈴木を横目に睨んで、俺の腕を引っ張った。
「ちょっと待って――」
俺は榎木に引き摺られながら、バッグからお土産を取り出して、一番近くに居た山田に押し付けた。
「これ、お土産ですー」
「ああ、ありがと」
受け取った山田が、ニヤニヤ笑って手を振る。榎木は玄関の鍵を開けて、もう入りかけている。
「あらあ、ウニの瓶詰めじゃない。あたし、これ大好きなのよー!!」
美女が山田の手元を覗き込んで嬉しそうな声を上げた。
「これは、俺んちに貰ったんだ」
山田は、お土産の網に入ったウニの瓶詰め三点セットを、しっかりと胸に抱え込む。
「いいじゃない。家に美味しいお酒があるわよ。引っ越し祝いに一杯どう?」
そこまで喋っているのを聞いたところで、バタンと部屋のドアが閉まった。
「榎木。美味しい酒……」
側に居る榎木を見上げて、言いかけたら睨んだ。俺が首を竦めると、今度は苦笑い。
「行きたきゃ行けば」と背中を向ける。
外はまだ賑やかだ。けど、まあいいか。
一ヶ月ぶりの部屋だ。榎木と俺の部屋。バッグを手に、榎木の後を追って部屋に上がった。
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