7 卵焼きと唐揚げで旅行気分


 電車の空いた座席に並んで座る。浮き浮きして、ちょっとした旅行気分だ。

 隣に座った榎木の腕と俺の腕を比べると、生っ白い俺の腕に比べて、榎木の腕は日焼けして筋肉が付いている。いつの間にこんな逞しくなったんだ、こいつ。

「榎木、何のバイトをしていたんだ?」

「植栽地の下草刈りとか間伐とか」

 思いがけない返事が返ってきて、榎木の顔をまじまじと見た。

「へえ。何処かの山に行ったのか?」

「そう。ウチ、山があるんで毎年やらされる。今年はバイト料を貰った」

「山があるの? 榎木んち金持ち?」

 俺んちと大して変わらないと思っていたんだが。そういや、榎木の家は少し内陸部の隣の市にあって、遠くて行ったことはなかった。

「全然。商売もしょぼいし。大学に入ったら自分のことは自分で何とかしろって言われていた」

「そうなんだ」

 シビアだな。俺んちと全然違う。俺って結構甘やかされているのかな。

「弁当作ったぞ。食うか?」

 榎木が荷物の中から三段重ねの折り詰めを出す。

「食う!」

 久しぶりの榎木の手作りだ。小さく作った俵型のおにぎりに、山盛りの玉子焼きとから揚げ、ポテトサラダ。やっぱコイツの作る飯は美味い。


 修学旅行気分で二時間弱の電車の旅を満喫したが、駅で乗り換えて電車がアパートのある駅に近付くに連れて、隣人のことが気になってきた。

 どうしているだろう。夏の間に仲直りしていればいいけど。

「隣の奴ら、どうしているかな」

 俺がポロリと聞くと、

「隣なんかほっとけよ」

 途端に不機嫌な返事が返ってきた。どうして?

 榎木がむっつりと押し黙ってしまったので、楽しい雰囲気がぶち壊しになった。

 何を怒ってるんだ?

 腕が触れ合うぐらい、すぐ側にいるのに、榎木の気持ちが分からなくて、とても遠くに居るみたいだ。何か寂しい。



 駅に着いて、重い荷物を提げて、榎木の後を半歩遅れてとぼとぼと歩いた。振り返らない背中は、やはりがっしりと逞しくなっていて、夏の間に何かあったのだろうかと、余計な憶測がわく。

 そして、すっかり忘れていた女性のことを思い出した。こっちに帰るってことは、また彼女が来ることもあるんだろうな。

 榎木は隣人が気に入らないみたいだし、もし引越ししたいとか、彼女と一緒に住みたいとか言い出したらどうしよう。

 背中を見ながらそんな事を考えていたら、いきなり振り向いた。

「話があるんだ」

 うわ。来た――。



 榎木は俺をアパートに着く前の小さな公園に誘った。もう夕方で、公園には誰もいない。重い荷物を木陰のベンチに置いて一息ついた。

 榎木が中々話し出さないので聞く。

「話って?」

「お前、隣のことどう思う」

 俺に隣なんかほっとけと言ったくせに、そう来るか?

 やっぱし、引っ越したいのかな。ホモなんか、嫌なのかな。


「いや、だから――」

 コホンとわざとらしい空咳をして、横を向いて早口に喋り出した。

「ホモなんて興味なかったし、男なんて冗談じゃねえと思っていたんだが」

 俺だって、ホモなんて冗談じゃねえって、明るく言いたい。きっぱり言いたい。そう言ったら、榎木がずっと一緒に住んでくれるのなら。


「その……、お前が嫌なら、俺は他所に行ってもいいし」

 いつもの榎木に似ず、歯切れの悪い言い方だ。

 やっぱり引っ越したいのか!? あの綺麗な美女と暮らしたいのか!?


「俺も色々考えたんだが、その――」

 ふと、榎木は横に向けていた顔を元に戻した。俺の顔を見て目を見開く。

「篠原……。ど、どうしたんだ」

 きっと榎木は隣の住人が嫌になったんだ。そしてあの美女が誘って、一緒に暮らそうとかいう話になったんだ。でも、俺が居るから――。


 俺を同居に誘ったのは榎木だし、言い出しにくいよな。

「だ、大丈夫だよ、榎木。俺バイトするし――」

 ああ、でも鼻水が出ちゃうんだ。お前ってホモなんか冗談じゃないよな。でも俺、そう言われると無性に辛い。お前に言われると。


「篠原。何で泣いてんの?」

 榎木はバッグからハンカチを引っ張り出した。でも、俺の顔を拭く前に、掠れたような声で囁いた。

「お前の泣き顔って、可愛い……」

「え」

 榎木の顔が近い。ハンカチより、手の方が先に俺の頬を拭った。ついでのように顔が近付いて、唇が軽く頬に触れる。最後にハンカチが来た。


 涙は止まってしまった。同時に顔からボッと火が出るような気がした。俺の顔は真っ赤に染まったと思う。

「帰ろう」

 と榎木が掠れ声のままで言った。話というのはまだ聞いていないが、もうどうでもいいような気がする。

 ベンチに置いた荷物をもう一度持って、小さな公園を後にした。

 ずんずんと先に帰る榎木の後を追いかけて、やっと懐かしいアパートに着いた。榎木が俺を振り返って少し笑う。

 えへへ。何か照れくさくて頬が染まる。

 一緒にアパートの階段を上がろうとしたんだ。そしたら、俺たちの部屋の前に誰かいるじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る