5 肉団子の餡かけで偵察


 榎木の顔を見た途端、無理やり心の隅っこに追いやっていたあの美女を思い出した。彼女はどうしたんだろう。もう帰ったんだろうか。何処へ――!?


「じゃあな」

 と鈴木が片手を上げて、山田の方に歩いてゆく。

「あ、どうも。ご馳走様でした」

 鈴木に頭を下げてから榎木を見ると、彼は鈴木を見ている。俺の視線に気が付いたのか、ゆっくりと背中を向けた。

 山田が相変わらずの軽い調子でにやりと笑って俺に手を振り、部屋に帰ってゆく。俺も榎木の後から部屋に入った。


「榎木、夕飯食った?」

「ん? あ、ああ」

 振り向かない背中が答えた。何か他の事を考えていたようだ。

 何を考えていたんだろう。あの綺麗な女の事か。榎木はあの人と付き合っているんだろうか。彼女がいるとか、そんな話は一度も聞いた事はないけど。聞いてもいいのかな……。


「あの、榎木。さっき来ていた女の人。綺麗な人だな」

 榎木は別に照れるでもなく「そうだな」と頷く。

 それってどうよ。自分の恋人をそんな風に言うか?

「一体どういう知りあい……」なんだと聞きかけた時だ。

「ガシャーン――!!!」

 隣で物凄い音がしたかと思ったら、ドアがバターンと鳴った。榎木と顔を見合わせて、慌ててドアから外を覗く。


 山田の後姿がアパートの階段を下りて行くのが見えた。隣のドアを見たが、一度閉まったドアはシンとして、もう開く気配は無いようだ。

「どうしたんだろう」

 そう言って榎木の方を見ると、曖昧に肩を竦める。

「さあ」

「榎木、山田さんと何か話した?」

「いや、別に。俺、ちょうど帰って来たとこだったし」

「そうか」

 何だか今の出来事で、榎木に彼女のことを聞く気が失せた。


 よく考えるとあの美人は榎木より年上っぽいし、もし訳ありだったら、聞いたら反って不味いかもしれない。

 俺と榎木は、腹を割って何でも話すことの出来る親友というわけでもないし、もちろん恋人同士でもない。一緒に住んでいるだけの赤の他人なんだ。それならそれで割り切っていれば、榎木は全然面倒な奴じゃないんだけど。

 そういうのって、何か寂しいと感じる俺は、相当隣に毒されてきたのかもしれない。



 その日から俺と榎木の間には、何となくギクシャクした空気が生まれた。何となくお互いの顔色を読むような感じ。

 隣の住人に会ったのはそれから三日後だった。俺が学校から帰ると、にやけた山田がちょうどアパートから出てきた所だった。手にバッグを提げている。

「何処か行くんですか? 旅行?」

 そう聞くと、にやけた顔のままで違うと言って手を振った。

「あの、喧嘩したんですか?」

 思い切って聞いてみる。

 山田は少し真顔になって「鈴木のこと頼むね」と言った。そのまま俺に背を向けて、振り向かずにすたすた行ってしまう。

 おーい、頼まれても困るんですけど。



 今日は俺の当番なのだ。夕飯を多めに作って、隣に届けがてら様子を見ることにする。

 鈴木が帰って来たので、早速、用意した夕飯のおかずを持ってドアホンを鳴らすと、大男が顔を出す。機嫌はあまりよくないようで、どこか体が強張っている。

「こんばんは。晩飯をたくさん作ったんで、よかったら」

 今日のメニューの肉団子のあんかけを盛った皿を差し出した。

「ああ、ありがとう」

 鈴木は少し笑った。肩の辺りに入っていた力みが取れる。

「今日、山田さんを見かけましたが。その、バッグ持って……」

 その途端、鈴木はしかつめらしい顔を顰めた。

「あいつ、他の奴と付き合えって言うんだ。妬きもち焼きな癖に、何考えてんだか――」

 吐き出すように言う。

 信じられない。一体どうしたって云うんだろう。

「篠原君も山田に会ったら、余計なこと考えてないで、さっさと帰って来いと言っといて」

「はあ……」


 何か深刻な感じ。溜め息を吐いてアパートに戻ると榎木が帰っていた。

「何処に行ってたんだ?」

 俺が作ったスープを温めなおしている。

「お隣。なあ、俺どうしよう」

 今あった事を説明しようとすると「隣のことはほっとけ」と、榎木は俺が皆まで言う前に冷たく遮った。

 俺が唇を尖らせると「犬も食わないって奴だ。他人が口を出すと余計こじれる」と断じる。

「でも、お前は――」

 お前の事もほっとくのか?

「俺が何だって?」

「いや、何でもない」

 どうせ俺は他人だよな。聞きたいけど、あの美人とお前のこと。俺が余計な口出したらいけないんだよな。どうせ俺はただの同居人だもんな。山田と鈴木たちと違って――。


 そうだ。根本的なことが違う。俺たちの同居に意味なんか無かった。修学旅行の延長のような気安さで、簡単に同居に踏み切った。

 それでいいじゃないか。意味なんてあって堪るか。ホモなんて冗談じゃない。

 なのに俺、何を落ち込んでいるんだ!?

 自分の気持ちが分からない。


 二人向かい合って、もそもそと晩飯を食っていると、榎木の携帯が鳴った。

「もしもし――」

 榎木は携帯を耳に押し当てたまま、自分の部屋に行く。シンと静かな台所に、抑えた榎木の声が時々聞こえるけれど、何を話しているのか言葉の意味は分からない。

 二人で暮らしていても、何だか一人ぽっちのような気がする。寂しい。


 食事の後で榎木が聞いてきた。

「篠原、夏休みどうする?」

「え?」

 もうそんな季節か。気が付けば夏がもう間近に迫っている。

「俺、家に帰るけど」

 榎木が言う。

「あ、俺も帰る」

 榎木はその後しばらく俺を見ていたが、結局何も言わなかった。何が言いたかったんだろう。あの美女と付き合うことになって、俺を捨てて彼女に乗り換えるとか。

 うわ。何考えているんだ、俺。

 しかし、そうなったらどうしよう。

 そうして、もやもやしたまま夏休みに突入してしまった。

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