4 山田と鈴木の見分け方と海鮮丼
榎木は俺と同じぐらいの背丈で、黒い髪は短い。鼻筋は通って、意志の強そうな口元、瞳は黒くて切れ長……。
うっ、目が合ってしまった。慌てて目を逸らす。どうして頬が染まるんだ。
意識し過ぎだと思うんだよな。隣の奴らだって、うるさいし。
マイペースな榎木はウワサにはウンザリしたようだが、面倒なのか生活ペースを崩さない。俺も余計な事を気にしている暇はない。勉強は大変だし、バイトもあるし。
その日は俺のバイトの日だった。お客さんが途切れて手が空いたので、カゴの整理やら、なくなった備品の補充をしていると、段ボール箱を肩に担いだ隣の住人が通りかかった。
「やあ、篠原君。今日も可愛いね」
「あ、隣の鈴木さん。今日も綺麗ですね」
「俺は山田」
「あ、スイマセン」
舌を出して肩を竦める。山田というと、どうしても体格がいい奴に思ってしまうのは俺の偏見かなあ。
品出しを終えた綺麗っぽい山田が、にやけた顔を引っ込めて、側に寄って小声で聞いてきた。
「どうしたの? 浮かない顔して」
「あ、別に――」
にやけていないといい顔なのに、何で男と……。もったいないと思うと、ついポロリと聞いてしまった。
「ええと、山田さんはどうして鈴木さんと恋人同士に……」
しかし山田は思いがけない返事を寄越す。
「うーん。まあ、妥協かな」
「妥協……?」
恋人になるのに妥協ってありか!?
「そう、我々のお仲間は少ないんだ。お隣にお仲間が居て嬉しいよ、俺は。で、篠原君は榎木君のどこが好きになったんだい」
いつものにやけた顔で聞いてきた。
「えっ、あっ、だから違うってっ!!」
「赤くなって、可愛いなあ」
もう。意識してしまう。でも、俺も榎木もノーマルだもんな。
そこに売り場主任の夏目さんが来た。
「山田ー。初心な子をからかうな」
そう言いながら、肩に手を置いて引き寄せる。
本当にお仲間は少ないのか!? 何だか夏目主任は怪しいように思えるが。
むさ苦しい男の腕の中でジタバタと藻掻いていたら、先輩のオバちゃんが呼んでくれた。
「篠原君。お客さん」
「はーい」
俺はやっとの思いで太った夏目主任の腕から逃げ出したのだ。
くたびれ果てて、お腹が空いた。今日は榎木、何を作ってくれているかなあ。
バイトを終えて、晩飯を楽しみにアパートに帰った。
だが、ドアを開けると、今日も榎木に来客があったのだ。
女だ。黒い肩までの髪はストレート。グレーの細かい模様の入ったスーツを着ている。キッチンの椅子に腰掛けて、テーブルを挟んで向かい合った二人。
……。何か深刻そう。
「あ、お帰り」
榎木が気付いて俺に声をかける。女の人が振り返った。前髪をパラパラと額に散らし、そのすぐ下に大きな瞳がある。黒い二重の瞳。赤い小さな唇。左の目の側に小さなほくろが一つ。
すげえ美人……。
榎木は男ばかりの四人兄弟だから、お姉さんという事はないし。一体、誰――。
「悪い。今日、当番、出来なくて」
榎木が立ち上がって謝る。女の人も頭を下げた。
「ちょっと出てくるから、篠原、適当に食って」
榎木は美女と一緒に出て行った。彼女とすれ違った時に清楚で高潔な花のような香水の香りがした。柔らかな香りをふんわりと身にまとった、美しい人。女の子なんか相手にしない筈だ。あんな綺麗な人が居るんだもん。
何かショック。何でショック!?
ぐう……。
俺、ショック受けてんのに、何でお腹が空くんだ。俺って全然、色気もくそも無い奴じゃん。
今から何か作るのも億劫で、よろよろと外に出る。アパートの階段を下りたところで、隣人の片割れが帰って来た。
「おーい。見たぞ。あの美人は?」
高い上背からガタイのよい男が聞いてくる。
「彼氏、浮気してんの?」
「ち、ちがわい……」
それだけ言うのがやっとだった。グシ……。
あれ。何で鼻水出んの?
「ほれ、顔拭け」
目の前にブルーのタオルハンカチが差し出される。
「ありがとう、山田さん」
そう言って受け取ったら、背の高いガタイのよい男は訂正した。
「俺は鈴木」
「あ、スイマセン……。グシ……」
頼りがいのありそうな人だよな。榎木より、もっと大人で――。
山田は何で妥協だなんて言うんだろう。男同士っていうのは置いといて、お似合いだと思うけどなあ。
「どこに行くんだ?」
「あ、晩飯買って来ようかと」
「ああ」
同情っぽい表情で見られた。と思ったら続けて提案してきた。
「今日山田、実家で晩飯を食うって言っててさ、俺、家で残りもの食おうかと思ってたんだけど、一緒になんか食いに行こうか」
いいかな。いいよな。余計な気を使うこともないよな。俺、ノーマルだし。ちょっと晩飯にありつけなくてガックリ来ているだけだし、こんな時に一人で食うより二人の方がいいよな。
そういう訳で、鈴木が案内してくれたのは、近所の居酒屋風海鮮料理屋だ。黒っぽい倉庫のような建物の中に入ると、大きな水槽とカウンター席がある。右手には一段上に席があって入り口を見下ろすようになっている。客の入りはよくて店は賑やかだ。
「へえ、こんな所があったんだ」
「上に行こうか。ほら、サルと何とかは高い所が好きだって云うだろう」
鈴木は、店内を見回す俺を、右手の階段を上がった席に促す。
ちょっぴり高そうな店だ。でも、貧乏バイト学生の俺だが、たまにはいいか。懐と相談しつつそう思っていたら鈴木が言う。
「俺が誘ったんだから、今日は俺のおごりだ」
「いいんですか?」
「ああ、何でも注文していいぞ」
と、店員が持って来たメニューを寄越す。いい人だなあ。でも少し遠慮して、一番安い定食を頼んだ。
最初に会った時は二人とも普段着で二十歳過ぎに見えたんだけど、こうしてネクタイとか締めているともっと年上に見える。
「鈴木さんって幾つですか?」
「俺は二十三、山田は二十四」
にやけた方が年上なのか。男同士のことはよく分からないが、下になる方が年上って事は、姉さん女房みたいなもんかな。
「山田さんと同じ職場なんですよね」
「ああ。あいつの営業先にバイトに行っているんだって?」
「ええ、今日も来てましたよ」
「そっか」
二人のアレを見た時はびっくりしたし、常識外れな変態かとも思ったけれど、あれからそういう事は無かったし、知らなければごく普通の人間だと思っただろう。しかし、ごく普通の人間の定義とは何だろう。
そこに店員が注文した品々を運んでくる。海鮮丼定食にチューハイだ。チューハイで乾杯して丼に向かう。海苔の上に乗っかったイクラとイカが、見た目も綺麗で味も中々いける。今度、榎木に作ってやろう。
「篠原君は美味しそうに食べるなあ」
「え、そうですか」
鈴木が手を伸ばして、俺の口元に付いたイクラを取って食べた。
ええと……。まあいいか。
何か俺、段々耐性が付いてきたような。
にやけた山田はいつも俺をからかうんだけど、この人は真面目っぽくて、どことは云えないけど榎木と似ているような気がする。
切れ長の目で見られて、ちょっと頬が染まったような気がしたけれど、きっとチューハイの所為だ。
すっかりお腹も一杯になって、一杯機嫌で俺たちはアパートに帰ったんだ。そしたら、山田と榎木が一緒に出迎えてくれた。
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