第4話
素行調査、と言ってもそれは所謂ただの尾行であった。陸人に一週間ばかり、自宅付近に張ってもらい、妻の外出と同時に尾行を開始する。
調査は念を押して2回遂行された。
「特に問題はなかったよ」
一週間後、家を訪ねてきた陸人はさも祝うような口調でそう言った。
「外出時間が長かったのは、カフェで本を読んでいたから」
彼が見せたスマホの写真には、確かにカフェのテラス席で本を読む妻の姿が写っている。
「あとは買物に少し時間がかかっていただけ」
ショッピングモールで陳列棚に手を伸ばす妻の写真もあった。
「奥さん、一日家に籠りっきりで少し気分転換したいんだよ、きっと。少しの外出ぐらい気にすることはないんじゃないかな」
陸人はそう言ったが、純也には一つ引っかかることがあった。
昔、プロに入りたての頃、陸人が試合中に横転し、足首を捻挫したことがある。無論、それは不注意で誰かに妨害をされた訳ではなかったが、純也はトリッピングを受けたと訴えるよう助言した。戸惑いながらそれに従う彼の表情を純也は今でも覚えていた。
表情筋は硬く凝固し、目は追及を避けるように左右に泳ぎ定まらない。瞼は罪悪感と緊張でぴくぴくと震えていた。
嘘を付いたことなど今までほとんどないのだろう。内に潜む真実を隠す術が彼にはなかったのだ。
尾行の結果を伝える陸人の表情は正にそれと同じだった。
陸人は何かを隠している。印象だけの推論ではない。彼が尾行中に撮ったという写真。僅か4、5枚程度だったが、どれも特定の時間に集中している。より多くの写真を撮れたはずだが、陸人がなぜか撮影を拒んだ空白の時間が5時間近くあるのだ。
では、妻は一体何をしている。純也には最初から心当たりがあった。
浮気だ。彼の頭の中で渦巻いていた疑念の殆どは、その可能性について憂慮していた。他人に頼んでまで、妻の動向を調べたのはその可能性を完全に消し去りたいからだった。
だが、恐れは現実となった。自分がサッカー選手ではなくなった今、他の人間を求めるのは自然な成行きだだとも思えたが、それを受け入れることは出来ない。
疑問なのは、どうして陸人がその事実を隠しているのかという事だ。陸人自身が妻の浮気相手とも考えて、あり得ないと一蹴した。妻との接点が希薄なうえに、彼女がわざわざ下位リーグで燻っている陸人を選ぶとは思えない。ほかに相手になりそうな人間はごまんといる。
純也は茫乎として、海を見つめた。三浦半島の向こうには大きいな雲塊が煙を纏ってゆっくりと北上しているのが見えた。
尾行が妻に気づかれたのではないか?不意にそんな考えが起こった。あの陸人のことだ、尾行を完遂させたこと自体疑わしい。恐らく、妻に気づかれ、金銭を渡され説得されたのだろう。
怒りは反射的だった。自分自身、何に対しての怒りなのか純也にも分からなかった。激しい情動の揺らぎが捌け口を求めて暴れているような虚しく、やり場のない焦りだった。
純也はその日のうちに、妻の外出を1時間以内で済ませるように言って聞かせた。
「でも、そんな短い時間だと買うものも限られるし、遠くのスーパーには変わった物もあるし」
「今は生鮮品でもその日のうちに届けてくれるサービスだってある。遠出や遊びに行きたいときは、俺を連れていけばいいだろう? それとも、俺に言えないようなことをしてるのか?」
妻がそれ以上応えられるわけがなかった。彼女は不服そうな表情をしながらもそれを受け入れ、力なく点頭する。真実を隠さざるを得ない妻の苦渋な表情が、純也の優越感につながった。
この家も彼女の車も、彼女の服も、全ては自分が買い与えたものだ。彼女は自分以外なしでは生きていけないのだ。
純也の心には久方ぶりの凪が訪れた。妻の行動に神経をとがらせることもなくなった。だが、その平穏も長くは続かなかった。
つづく
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