第3話

 それから二日後、純也は自宅に一人の人物を招いた。

 南条なんじょう 陸人りくと、プロ時代の同期生である。

 自尊心が傷つけられるのを避けるため、人と会うことは最も忌避すべき行動だった。それが同業者のサッカー選手であるなら尚更だ。しかし、彼の考えを遂行するためにはどうしても、他人の手が必要であった。

 そこで思い当たったのが、南条 陸人だった。

 陽気で人が良く、物腰柔らかい彼には野心や悪意というものが微塵もない。人が良いと言えば、聞こえはいいが、要するにただの馬鹿だと純也は思っていた。

 確かにサッカー自体は純也も一目置くほど上手い。だが、厳しいプロの世界。上手いだけでは生きていけない。選手同士の謀略によって彼は、あっという間にレギュラーから蹴落とされ、今は下位リーグで万年冷や飯喰らいという有様だ。

 彼になら、多少の頼み事をしても自尊心が傷つく恐れはないし、その内事に妙な猜疑を巡らす危険性も少ない。親友と呼べるほどの仲ではなかったが、計画の遂行には適任の人物だった。

 案の定、自宅を訪れた陸人は突然呼ばれたことへの違和感はまるで抱いていなかった。久々の再会を喜び、時折沈痛な表情を浮かべて、事故のことを憂慮する彼の様子に純也は思わず、笑みを浮かべそうになった。

 彼の近況も純也を安心させた。1993年にJリーグが発足して以降、日本でもプロサッカー選手として食べていく土壌が出来てきてはいたが、下位リーグとなるとそうは行かない。多くの選手がプロでありながら、仕事を掛け持ちしていることがほとんどだ。暗にそのことを尋ねると、陸人は躊躇いもなく、机の上にB5サイズの茶封筒を出した。

「これは?」

「うちのチームで出してる会報誌だよ」

 反射的に茶封筒を持った純也の手が震えた。

 純也の所属していたサッカーチームは月に一度、サポーターやスポンサー向けにチームの動向を乗せた冊子を発行している。それは彼が最も嫌悪している外界の情報だった。

 純也の動揺をよそに陸人は苦笑しながら続ける。

「会報誌の封入作業とか、あとは物販品の袋詰めとか……いわゆる内職だよ。そういうちょっとした手伝いを回してもらって、なんとかやってる」

 嘲笑の冷ややかな笑みが神経を伝って、頬を紅潮させた。純也は笑みが顔から零れ落ちないよう、必死に耐えるだけで精一杯だった。

 両足を失い、部屋に閉じこもる自分と内職をしてまで食いつないでいる陸人、一体どちらが幸せなのか。優越的な憐憫が差し迫っていた動揺を解し、安堵が全身の筋肉を弛緩させた。

 純也は茶封筒をテーブルの上に投げ、カウチの中で姿勢を整えた。

「今日呼んだのは、ぜひ君に頼みたいことがあるからなんだ」

「なんでも言ってくれよ。僕でいいなら、力になるよ」

 前のめりで、神妙な顔を浮かべる陸人に、純也はまた笑みが浮かびそうになった。

「……妻の素行調査をしてもらいたいんだ」



つづく




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