アンチ宿題派
本日は8月31日。夏休み最終日ということで、夏休みの宿題に纏わる思い出を三十分くらいでパパッと書いてみる。
夏休みの宿題といえば「すぐやる派」と「最終日にやる派」に分かれることで有名だが、皆さんは子供時代、どちらの陣営に属しておられただろうか。
私はといえば、「終わってからやる派」だった。
さすがに工作などの時間がかかるものに関しては、8月後半くらいからしぶしぶ手をつけたけれど、それ以外の宿題は完全に2学期が始まってからやっていた。
そもそも日頃からして私はアンチ宿題派。
家で勉強など絶対にやるものかという硬い決意の元に日々を送っていたので、宿題は出された瞬間から先生の目を盗んで学校で進め、どうしても終わらない時は潔く忘れて行って、宿題忘れ常習犯の男子と一緒に怒られていた。
なぜそこまでして宿題をやらなかったのか。
それには自分なりの正当な理由があった。
まず私は、自分がなぜ小学校へ通うことになったのか、その理由がわからないことに腹を立てていた。
集団生活など幼稚園の時点でこりごりだったのに、ようやく卒園したと思ったら、またすぐに入学? しかも今度は6年間だと!?
冗談じゃない。私は小学校に入りたいなど一言も言っていないのに、なぜ勝手に入学が決まっているのか。そもそも幼稚園だって、別に通いたくもないのに通わされていた。一体なんのためにそうした施設に通う必要があるのか、当人に理由を説明してから手続きを進めてくれてもいいものを、気付けば勝手に入学の日取りが決まっていて、わけもわからず祝われ、クラスが決まり担任が決まり、なんの承諾もしていないのに学校のルールとやらに従わされ、習いたくもないことを習わされる。
おまけに宿題だと? こんなに長時間学校に拘束しておきながら、家での貴重な時間までもを差し出せとは、どういうことだ? 勉強するために学校に通っているのに、その時間内で一日のカリキュラムを終わらせることができないのなら、それは教師側の怠慢ではないのか。
「習ったことを忘れないように」
学校が学ぶところだというのなら、それも含めて学校でやったらいい。
私は家に帰って一人でやりたいことがたくさんあるのだ。
宿題など、冗談じゃない。絶対に家でやるものか!
とまあ、こんな具合で青い怒りに燃え滾っていたため、「宿題は家でやらない」を少なくとも小学校時代は貫いたのだ。
(ちなみに、中学生時代は多少大人になったけれど、部活に打ち込んで時間がなかったので、結果的にほぼ同じことをしていた。
初めて自分の意思で進路を決めることができた高校からは、望んで通っている場所なので楽しく勉強も宿題もするようになった。
私にとっては自分の意思で決めるということが、何につけても最重要であったように思われる。)
そんなわけで夏休みの宿題も、可能な限り「家ではやらない」を貫きたかったのだけれど、さすがに読書感想文とかを学校で書くのは無理だから、「学校が始まってからやる」というところまで譲歩したわけだ。
手口はこうだ。まず始業式、工作の宿題だけ持って行って、後はしれっと「他のは家に忘れてきました」と言っておき、「一斉に宿題を提出する」というイベントを回避する。
始業式の日は早帰りなので、帰ってから宿題に手をつける。
翌日、終わった分だけ持って行って、何食わぬ顔で提出。
帰ってから終わっていない分に手をつける。
先生も忙しいので、そんなにすぐに全員分の宿題がきちんと出されているか、チェックするわけではない。大抵の場合、これで数日分の時を稼げる。
「あなたの分だけまだ提出されていない」と声をかけられたら、あれ? という顔をしてとぼけておいて、家に帰って見てみます~とでも言っておけばいい。
まだ終わらなければ、翌日もそのまま登校して、さもうっかりした感じで「あ、家にあったのに、また忘れてきちゃった!」と言っておく。
これで大体一週間くらいは誤魔化せる。
バレているかもしれないけれど、最終的にきちんと提出すれば、そこまで波風も立たない。普段の生活態度にさほど問題がなければ、先生もあえて問題にはしない。
気をつけたいのは、たまにヒステリックな教師もいるということだ。
重箱の隅をつつくように、子供の些細なミスをあげつらっては大声で怒鳴り散らし、時には体罰も加えるような人間性に問題のある教師が、私が子供の頃にはまだちらほら存在していた。
運の悪いことに、小学校3年生の時の担任が、まさにそのタイプだった。
私も馬鹿ではないので、この教師とトラブルになったら、宿題を家でやるよりも面倒なことになるという空気は察していた。そこで、なるべく提出日に出せるよう算段していたはずだ。
そんな時にこそ、うっかりミスは発生する。
国語の授業と連動した、「詩を書く」という宿題があった。
私はその宿題を、わざとではなく本当に、きれいさっぱり忘れていた。
そのことに、「では提出してー」と声がかかってから気付いた。
まずい。
みんな教卓の前に列を作って、次々と提出を始めている。
国語のノートに挟みっぱなしになっていた提出用の紙は真っ白だ。
どうする!?
諦めてヒステリック教師に、宿題忘れを自首するか!?
いや、よく考えろ。諦めるにはまだ早い。幸いなことに、相手は詩だ。
読書感想文でもドリルでもない。たった数行書けばいいだけのこと。
何かテーマがあったはず。なんだっけ……ふむふむ、「放課後」。
「学校から帰った後の、自分のことについて、書いてみましょう」。
しめた! そのまま書けばいいだけだ!
私はやった。やってやった。高速で鉛筆を走らせ、その数行詩を完成させた。
何食わぬ顔で列の最後尾につき、提出のミッションを完遂した。
ああ、その時の達成感よ。
内容などどうでもいい。とにかく今は、ヒステリック教師の標的にならなかった喜びを噛みしめよう。かわいそうに、宿題忘れ常習の男子がさっそく数名怒鳴られている……
そんな詩を書いたことなどすっかり忘れ、いつもの日々に戻って幾日か経った頃のこと。
異変は国語の時間に起こった。みんなが夏休み中に書いた例の詩を返されている。なのに、私だけ返ってこない。まさか、提出直前に書いたという不正がバレて、後で呼び出しを喰らうのか……!?
ドキドキしていると先生が言った。
「あなたのはコンクールに出したから、今日は返せません」
えー!?
結果から申し上げると、その詩は上から三番目くらいの賞を取って、文集に掲載されることになった。
行政機関の制作した文集で、小中学校の生徒に広く配布されたから、わりといろんな人の目に触れることになった。
当時、母は幼稚園の先生をしていた。そこで複数の保護者に言われたそうだ。
「この文集に載っている詩を書いたの、先生のところのお嬢さんですよね。わたし、もう涙が止まらなくなってしまって……!」
帰宅した母にそのコメントを聞かされて、私はポカンとした。
え、え、どういうこと?
詩らしく纏めるために最後だけちょっと脚色したけど、自分の放課後をありのままに書いただけなんですが……。
その詩のタイトルは「るすばん」。
学校から帰って誰もいない家に「ただいま」と言い、誰もいない家に「行ってきます」と言って、外へ遊びにいく。
たったそれだけの内容である。
脚色したのは「外へ遊びに行く」というところ。
実際は一人家の中で本を読んだりビーズの色分けをしたり絵を描いていることが多かったのだけれど、それだとオチがパッとしないな~と思ったので、たまーに発生する「遊びに行く」というイベントを採用したのだ。
「うちの子が先生にお世話になっている間、お嬢さんは一人で誰もいない家に帰るんですね……!」
どうやら、そういうことらしい。
いやいや、大丈夫です。むしろ私、一人ですごく楽しくやっております。
たまに家族の誰かがいると逆に気になっちゃって遊びに集中できないし……
勝手気ままに過ごせる留守番タイム、最高です!
内心でそう思ったものの、なんだか母も誇らしげにしていることだし、提出時間ギリギリチャレンジだったことも含めて、諸々の真相を明かすのはやめておいた。
後日、その詩を読んだ兄が言った。
「遊びに行くなら留守番じゃないじゃん」
確かに!
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