庭に穴を掘る

 「日本の裏にあるのはブラジル」という話を聞いたことがあるだろうか。


 地球は球体であるため、今いる場所から真っ直ぐに地面を掘り進めば、やがて裏側の地点にひょっこり顔を出すことができるはず。そうしてキョロキョロと辺りを見回してみれば、飛び交う言語はポルトガル語であり、大通りではサンバカーニバルが繰り広げられ、カナリアイエローのユニフォームが目にも留まらぬ速さでサッカーボールを追いかけていること請け合い……という意味である。

 実際の位置関係はちょっと違うらしいのだけれど、有名な言説なので、ここではそういうことにしておこう。「日本の裏はブラジル」。


 私がこの話を知ったのは、幼稚園年長か小学一年生の時だった。


 はい、ここまで連載を追ってくださっている読者諸兄姉の皆さまには、もうお分かりですね。我が人生の中で最も膨大なヒマ時間を持て余していたあの時期、有閑マダムならぬ有閑幼児として貴族的ハイカルチャーに傾倒していた、高等遊民の時代であります。


 暇を持て余した幼児が「日本の裏はブラジル」などという話を聞いたら、どうなるか。当然、掘るに決まっている!


 私は堀った。掘って、掘って、掘りまくった。来た、見た、掘った。


 当時住んでいたのは住宅街の中にある戸建てで、小さいながらも庭があった。

 父がやたらと実のなる木を植えたがる人だったので、キウイと巨峰と藤が勢力争いを繰り広げる手製の棚やら、育ち過ぎてほぼ木になっているアスパラガスやら、イチジクやビワや柿の木やらが滅茶苦茶に詰め込まれていた。


 「ジャングルみたいで恥ずかしい」と母が苦い顔をしていたが、私にとってそのジャングル的な庭はなかなか楽しいところで、一人で長時間遊んでいることも多かった。収穫物はほぼ私が食べていたような気がする。キウイは酸っぱくて苦手だったが、イチジクとビワは甘くて美味しくて、今や店で買わないと手に入らないことを思うと、大変な贅沢だったのだなと頭が下がる。


 甘い香りを放つクチナシの花に蟻が集まるのを見て羨ましくなり、あふれ出る蜜を掬って舐めてみたこともある。

 ピラカンサは丸い実が可愛いが棘があって危険だ。

 紫色のミヤコワスレ。都忘れ? なんて不思議な名前! きっと何か謂れがあるに違いないと思ったけれど、誰に聞いてもわからなかった。

 紅葉、紫陽花、小鳥を呼ぶ木なんてのもあったっけ。

 本当に小さな庭なのに、よくあれだけいろいろ植えていたなと、今になってみれば母の苦い顔もまあ理解できる。


 そんなこんなで、メインの庭はどこにも穴を開けるようなスペースがなかったため、私が目をつけたのは家の側道と呼べるような場所だった。庭から玄関へ行くための狭く細い通路で、敷石の脇は砂利で埋められている。


 小さなシャベル片手に砂利をどかしてみると、何か黒いシートが出てきた。

 たぶん、防草シートだったのだろう。なにこれ邪魔だなと引っぺがしてみると、その下にはちゃんと土があった。よしよし。大慌ててで逃げ出すダンゴムシたちには悪いが、少しの間、退いていてもらおう。なあに。向こう側にちょっとブラジルの空が見えるまでの辛抱である。


 と、まあ、無邪気に作業を進めている私だが、疑念が湧かないでもなかった。

 ものの本によれば、地球の真ん中には、熱く煮えたぎった溶岩の塊のようなものがあるのではなかったか? 確かマン、マント……ええっと。


 あと、地球の真ん中にダイヤモンドがあると書かれた本を読んだことがある。それが本当なら、このまま掘り進めたらダイヤモンドにぶち当たることになる。

 小公女セーラのお父さんがダイヤモンド鉱山の仕事で失敗だか成功だかしていたけれど、簡単に掘り当てることができるならそうはならない=地球の真ん中まで掘ることは難しい=反対側まで掘るのはもっと難しい=不可能。そういうことではないのか。

 もしや私は、とんでもない事業に手を出してしまったのではないか……。


 しかし、一度始めたことは最後までやり遂げねばならいという、謎の信念が(この時だけ)私にはあった。せめて、本当に不可能であることがはっきりするまで、この手で掘り進められるところまで掘り進めてみよう!


 その時は意外と早く来た。シャベルがガッツンガッツンと何か硬い塊にぶち当たって、どう頑張ってもそれ以上、掘り進めることができなくなってしまったのだ。

 無念……。


 その後父に、「庭の土の下に硬い部分があって、掘り進めることができなかった」という意味の話をした。

 「???」となっているので、地球の裏側にはブラジルがあって……というところから丁寧に説明し、穴を掘った地点までご案内した。

 

 父、爆笑。

 直ちに母に報告がいった。

 母、爆笑。

 ああ、やはり……と、私は打ちひしがれた。

 子供の手で地球の裏側まで穴を掘るなど、到底実行できるレベルの作業ではなかったのだ。無念!


 その後、「勝手に穴を掘られると困るから」という理由で、「穴を掘っても良いスペース」が庭に設けられたが、私は関心を向けようとしなかった。

 挫折に傷心を抱えていたからではない。与えられた場所で穴を掘る行為をよしとしなかったからだ。

 私が求めるのはフロンティアであって、管理された砂場ではない……。

 

 有閑幼児コヨミ、いろいろ考えてはいるが、なかなかアホである。

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