本の思い出②『ゲームの達人』
まだ子供がいない頃、ふらりと渋谷のユーロスペースへ出かけた。大きな映画館ではまず扱われないマニアックな映画を上映してくれる、ミニシアターである。
お目当てはスパイク・ジョーンズ監督が手掛けた『アイム・ヒア』という短編映画で、ロボットの恋がテーマ。他にも何作かの超短編アニメと、『みんなのしらないセンダック』というドキュメンタリー映画が抱き合わせだった。
センダックとは、絵本作家のモーリス・センダックである。『かいじゅうたちのいるところ』という代表作が超有名なので、ご存知の方も多いのではないか。
終わってみれば、一番心に残っているのは、冒頭に見せられたこのセンダックのドキュメンタリー映画だった。彼は様々な点で私と似たところがあった。
まず、幼少期の記憶を鮮明に覚えているところ。
彼が二歳の時に世間で起きたとある事件の、被害者の遺体写真を、彼は覚えていた。それをきっかけに死について考えるようになったのだが、他の誰もそんな写真を見たことはないし、実際世間に出回ってもいない。彼の記憶は嘘なのか。
五十年経って、彼の記憶は本当だったことが証明される。その遺体写真はほんの一瞬だけ世間に出たが、抗議にあってすぐに引き下げられた。ごく一部の限られた人間の目にしか入っていないものだったのだ。
彼は、両親に望まれて生まれてきた子供ではないことを自覚しており、母親は母親に適していないと知っていた。それは家族が、そのことについて彼の前であけすけに話すからである。彼は、自分の死についてますます考えるようになる。
暗い幼少期の鬱々とした告白かと思いきや、そうではない。彼は偏屈で皮肉屋で気難しく、ゲイで死を前にした老人で、いくつになっても子供の目を失わない、チャーミングな人だ。生きていることについて悩み続けながらも開き直り、子供時代の混沌とした世界を丸ごと抱き続けている。
そんな彼の発した言葉が心に残った。正確なところは覚えていないが、おおよそ次のような意味だったと記憶している。
「子供に話してはいけないことなど、何もない。隠しても子供には伝わる。どんな真実であっても、子供は受け止めてそれを自分のものにしていく」
ちょっと、いや、だいぶ違うかもしれない。でも、こんな意味だと私は受け止めたし、それがすとんと真っ直ぐ胸に落ちてきた。そう、まったくその通り。子供だからといって、情報規制する必要はまるでない。もちろん、過度な暴力や性描写や恐怖描写にさらす必要はない。でも、そんなものがまるで存在しないかのように、潔癖なまでの目隠しをするのはおかしい。現実にそれは存在するのだ。一つも知らないまま成長して、いきなり社会に放り出して直面させる方が酷だし、そうしたものから身を護る術を考える機会を奪うのではないか。
そう思った時に、ふと浮かんだ一冊の本があった。
お待たせしました。
今回の思い出本は、シドニィ・シェルダン作『ゲームの達人』です。
シドニィ・シェルダンは一世を風靡した超有名作家で、代表作の『真夜中は別の顔』は映画化されており、『ゲームの達人』共々、日本でドラマ化も果たしている。『家出のドリッピー』という英語教材のテキストも手掛けていたから、ご存知の方も多いのではないだろうか。(ドリッピーは我が家にもあり、母がたまにカセットテープをかけていた。ドリッピーが雨だれとして下に落ちる時の「weeeee!」みたいな叫び声が耳に残っている。)
前段のセンダックの話がどう繋がるのか。
「子供に話してはいけないことなど、何もない。」
つまり、読んではいけない本もないのではないか。そう思った時、私はたった一度だけ、「子どもが読んだらまずいものを読んでしまった」と感じたことがあるのを思い出した。それが『ゲームの達人』だった。
読書のきっかけは毎度お馴染み、「読むものがなくなった」という渉猟的危機環境に見舞われたことだ。
当時、小学三年生。
翌年から小学校の金管クラブに入って放課後が忙しくなり、以降大学卒業まで部活やサークル活動に勤しむ学生生活を送るので、後から振り返れば、多大な読書経験を積むことのできた最後の年となった。
当時、リビングには大きな本棚が置かれていたが、よくよく考えると、あれは食器棚だった気がする。うちは仏壇も小さな扉付きの書箱に位牌やおりんを並べたものだったし、なんかそういう家だった。
本棚の下の方には子供向けの童話集や雑誌なんかが並んでいたが、手が届かない上の辺りには大人向けと思しき本があり、『家庭の医学』とか、そもそも小説ではないものが多かった。その中に『ゲームの達人』と背表紙に書かれているものがあり、前から気になっていたのだ。ただ、わざわざ手の届かないところに置かれているから、なんとなく読んではいけないのかなと思って、それまで積極的に手に取ろうとしなかった。
『ゲームの達人』って??
当時の最新家庭用ゲーム機はなんだろう。初代プレイステーションはまだ発売されておらず、スーパーファミコンが主流だったのではないか。私はドラクエⅤが大好きで、ビアンカルートとフローラルートをどちらもプレイした。聖剣伝説Ⅱも大好きだったがボス戦が怖いので、必ず二人協力プレイで五歳上の兄に手伝ってもらっていた。どちらもRPGである。そういうゲームなら大好きだ。でも大人向けの小説っぽいし、将棋とかチェスのことかなあ……。
踏み台を持ってきて、上下巻の分厚い本を二冊、手に取った。
表紙を見る。ダイヤモンドを持った手から血が流れている。もしかしてちょっと怖い話なのではないか……。
ええい、ままよ!
※以下、ネタバレを厭わず話を進めていきます。前話の『ああ無情』と違ってこちらの物語は細部を覚えていません。強烈に印象に残っている部分だけ語るけれど、重要なネタバレがあるのでご注意ください。
この物語をなんとか一言で説明すると、巨大企業経営一族の世代を超えた復讐、野望、何より欲望の物語である。良かったらあらすじを検索してみてほしい。あらすじを読むだけでお腹いっぱいになること請け合いだ。私も詳細は覚えていなかったので、確かめてみて「こんな話だったっけ」と驚いた。
複雑怪奇に絡み合った人間関係の織りなす欲望のタペストリーは、小学三年生が理解するにはいかにも難しく、大部分を飛ばし読みしたはずである。それでも強烈に覚えていることがあるので、その部分だけを語らせてもらう。
私にとって『ゲームの達人』は、双子の姉妹の物語である。
当時『ミラクル☆ガールズ』という双子のエスパー姉妹が出てくる少女漫画が流行っていて、友達に借りて読んでいた私は、双子の姉妹といえば力を合わせて超能力が使えるほど仲良し……というイメージだったのだが、この物語に登場する双子姉妹はそんな生易しい関係ではなかった。
妹は控えめで大人しいけれど、問題は姉である。この姉が、とにかく怖い。怖いを通り越して邪悪。邪悪を通り越して悪魔。強烈な自己顕示欲と野心の持ち主で、妹を踏み台にして人生を歩んでいる。その踏みつけ方が半端ではなく、たびたび殺そうとする。何か可哀想な境遇があってひねくれてしまったとかではなく、もう生まれつきそういう精神性なのが恐ろしすぎる。妹に生まれてしまったばっかりに、ひどい目に遭い続ける妹がかわいそうでかわいそうで……ただまあ読んでいるうちに、アナタもちょっとは人を疑うとかしなさいよ、と言いたくなる。悪女として突き抜けている姉の方が現実味のある暗い魅力を帯びていたかもしれない。
で、この姉が紆余曲折を経て、悪に相応しいバッドエンドを迎える。衝撃的すぎて、一番忘れられない場面となった。単純に殺されるとかではない。自慢であり武器だった美しい顔を醜く変えられてしまうのだ。その「醜く変えられる」という内容が、私の記憶の中では「顔中の皺を取られる」ということになっていて、それがすごく衝撃的だった覚えがあるのだけれど、今あらすじを検索しても、「醜く変えられた」と書いてあるのしか見当たらないので、記憶違いかもしれない……。
でも、私の記憶ではこうだ。
姉は事情があって、不細工な外科医としぶしぶ結婚した。外科医は美貌の妻にメロメロで言いなり。美容整形しろと言われれば喜んで従っていたが、あるときそれを利用して、ついに美しい妻を自分だけのものにすることに成功する。
「顔の皺とって」と言われ、その通りにしたのだ。つまり、本当に一切の皺がない顔にした。それがどんなに醜いかご想像あれ。姉は鏡を見て絶叫し、以降、外科医に従う従順な妻になった……という顛末。
姉があんなにハチャメチャな悪事を働けたのも、全ては己の美貌に自信を持っていたからだ。それが、もっと美しくなるために皺をなくしたいという欲望を持ったことがきっかけで、破滅してしまった……。
私にとっては、この顛末がこの作品を象徴するものとなった。
その後の展開も読んだと思うのだけれど、まるで余生を辿るように文字を追ったに過ぎなかったのだろう。さっぱり覚えていない。作品内容からして相当な暴力、犯罪、エログロ描写があったに違いないし、あらすじを検索してみてその一部が記憶に蘇ったけれど、私の中に残っているものは長年、この双子の姉妹の物語だけだった。それほどに強烈で恐ろしく、そして「見てはいけないものを見てしまった」感がすごかったのだ。
人間の行き過ぎた欲望と野心。周囲の全てを己の駒と見做し、他者の人生をまるでゲームのように弄ぶ奢った振る舞いが行きつく先にあるもの。それが醜く変貌した双子の姉の有様に、全て詰め込まれているように感じられた。
「本当に怖いのは人間なんだな」という、怪談話とはまた違った、手触りのある現実的な恐怖を感じた。それに初めて触れてしまったし、世間一般的なものの見方からすると、私の年齢でこれを読むのは早かったのではないか、と思った。
「小学生が読んではいけないものを読んでしまった」
両親共にテレビでお色気シーンなどが流れると変えるタイプだったから、お色気どころではないこんな本を読んだことが知られたら、まずいのではないかという気がした。親が帰ってくる前に、こそこそと本を元の場所に戻したのを覚えている。すごく分厚い本が上下巻二冊だったので、一日で読めたとは思えない。恐らく、そうやって数日かけて読了したのではなかったか……。
冒頭のセンダックの話に戻る。
「子供に話してはいけないことなど、何もない。」
そういう意味の言葉を聞いて「そうだよな」と納得し、どこか安堵して『ゲームの達人』を思い出したのは、「あんな本を子供時代に読んではいけなかったのではないか」といういくばくかの懸念を、心のどこかに抱いていたからだ。
本の対象年齢など気にしたことがない。でもあれはさすがに、PTAの皆さまが知ったら有害指定図書にされる類いのものではなかったか。子供のうちに読んでしまった私は人格のどこかが歪んでしまったのではないか。だってあれ以来、物語にどんな悪人が出てきても大して動じなくなってしまったし……。
でも、大丈夫だったのだ。絵本界の巨匠に、お墨付きをもらった気がした。子供が触れてはいけない世界などない。そこまで言っていないかもしれないけれど、これまで漠然ともやもや思い浮かべていたことに、クリアな輪郭を貰った気がした。
人間の尽き果てぬ野心と欲望、そして純粋な悪に出会いたくなったら、まずこの本を読むことをお勧めする。ずっと昔のベストセラーだけれど、たぶん今読んでも十分に面白いし、下手なホラーより何百倍も恐ろしい。
お子様の手の届くところに置いてあっても大丈夫です。自分からこの本を読もうとする子なら、どこに隠してあっても、勝手に見つけて読むでしょうから。
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