巫女のバイトをした話③
正月限定濃厚ココア事件
いきなり米澤〇信先生をパクったような副題で恐縮だが、とにかくココアが甘かったのである。
巫女バイトは大晦日の夜から正月元旦の朝にかけてが最も忙しい。
私は大学一、二年時の計二回、同バイトに応募しているが、どちらもこの時間帯のシフトに入っていた。日給が一番高かったということもあるが、せっかく巫女バイトをするのに新年が明ける瞬間に居合わせなくてどうする、という謎の使命感のようなものがあった。
当時、ド田舎に住んでいた私は、実家から大学へ通うのに四十分かけて単線電車でターミナル駅へ向かい、さらに乗り換える必要があった。件の神社は大学の近くなので、ほぼ同じルートを辿る。
ガラガラの最終電車に乗って出勤し、同じくガラガラの始発電車に乗って朝日を浴びながら帰るという体験は、非日常感があってなかなか楽しかった。
一面田んぼのだだっ広い区間を走る電車に一人でぽつんと座っていると、『千と千尋の神隠し』の、あの水面を走る列車の場面に入り込んだ気がしたものだ。
大晦日の深夜が近付くと、神社には続々と人が集まってくる。
黄昏よりも昏きもの、じゃないけどその時間帯はかなり暗いので、幅広い参道を埋め尽くす人波は暗闇に沈んでいる。各所に明かりが灯されているけれど、細かい表情はわからないし、除夜の鐘が響く中、大声で会話を交わす人も少ないから、大勢が粛々と寡黙な列を作って一定の方向を目指していることになる。
ちょっとゾンビ感ある。
お賽銭箱の前に足止めの柵が置かれており、先頭の列はそこで止まって年明けを待つ。私たち巫女バイトは参道の周囲に建てられたテント下の即席お守り授与所で、震えながらその光景を見つめている。
除夜の鐘が鳴り止んだ午前零時。神職の方が足止めの柵を撤去し、どこからともなく雅楽が流れてきたら、参拝開始だ。先頭から次々に参拝客が進み始め、それと同時にお守り売り場……じゃなくて授与所も忙しくなる。
一年目は授与所で働いていた私だが、二年目は別の持ち場を与えられた。
ココア販売のテントである。
「甘酒は毎年やってたんだけど、今年はココアも販売することになってね!」
と、深夜から血気盛んなテンパさんが、他のバイト達の群れから引き抜いた私ともう一人を、小さなココア販売のテントに案内しながら言う。もちろん、まだ参拝が始まる前の準備の時間帯だ。
「今年から、ですか……」
私は若干の不安を覚えて呟いた。つまり神社にとって未体験、初の経験ということになる。前年のリンゴキティ守りが脳裏を過った。初めて扱った恋愛成就のお守り。その顛末は……いや、よそう。たかがココアじゃないか。
甘酒の販売所と少し離れた場所に、そのココア販売のテントはあった。甘酒は注ぐだけだから簡単だけどココアは作ってもらわないといけない、とテンパさん。
「せっかくなら美味しい方がいいじゃない? どのココアがいいか若いのに聞いたらさ、これって言うから、もっと安いのもあったけど、これにしたんだよ!」
と言って見せられたのは、バンホーテンのココアの袋の山である。
あ、うん。知ってます。美味しいですよね。
脇には水のペットボトルが、これまた大量にストックされている。
机には紙コップと、お湯を沸かすためのポットが二台。
「作り方はこの紙に書いてあるから、この通りにやればいいから! 参拝が始まったらすぐ出せるようにしてね!」
一方的に指示だけ出して幻のように消えるテンパさん。相変わらず忙しいお人だ。時間を見ると、すぐにお湯を沸かし始めた方が良さそうだ。
作り方。ペットボトル〇本分のお湯とココア〇袋を耐熱ピッチャーの中に入れて溶かし、紙コップに注いで提供する。なるほど、一杯ずつ分量を量る手間を省いた簡潔なオペレーションである。さっそく作業を開始した。
午前零時。参拝が始まるのとほぼ同時に、最初のお客さんが来た。女子高生っぽい若い女の子たちだ。友達と並んで寒い寒いと言い合いながら、ココアを受け取って嬉しそうに去っていく。
第一の異変は、この直後に起きた。
「甘ーーーい!!」
テントの外から、そんな叫び声が聞こえてきた。
私たちは作業する手を思わず止めて顔を見合わせた。甘い?
それはもちろん、ココアだから、甘いのは当然なのだ。でも、女子高生が叫ぶほどだろうか……。
しかし、次から次へとお客さんが押し寄せ始めて、考えている暇はない。とにかく注いで販売する。味を確かめてみたくとも余裕はない、そうこうするうち、またもや聞こえる「甘い!」の叫び。そ、そんなに?
「変だよね」
「うん、分量間違えているのかも……」
仲間とボソボソ相談し、販売の合間を縫って袋の裏側を見てみる。一杯分は目安の水の分量などが書いてあるけど一袋分は書いてない。客足が途絶えたところを見計らって、自分たちでも飲んでみる。あ、甘い!!
「これ多分、何か間違ってるよね?」
「でも、この通りにやれって言われているし、どうしようか……」
そんな相談の合間にもお客さんが来る。ポットのお湯がなくなる。必死にかき混ぜる必要がある。一度販売所を休止にしてテンパさんに相談に行くか? 一人が抜けたら一人がてんてこまいになること必至の職場。ああ、なんでこんなにココアの売れ行きが激しいんだ。良く見たら最初に買いにきた女子高生たちがまた並んでいる。ん? 甘くていいの? もしかして、これが正解なのか??
アルバイトにできる判断など何もない。テンパさんは常に天狗のごとく境内を飛び回っているし、他の神職さんや巫女さんを捕まえたところで、結局はテンパさんの判断を仰ぐ羽目になることを二年目の私は知っている。
ええい、ままよ!
このまま心を無にして、正月限定濃厚激甘ココアを売り続ける覚悟をした時だ。
「なんか、分量間違ってない!?」
テンパさんが自ら飛び込んできた。さすが神社、天の助け。きっと神様が混乱状態に陥っている私たちを見かねて、神通力でテンパさんを呼び出してくださったのだろう。
本当にこの時どうしてテンパさんが現れたのか、なぜ分量が間違っている可能性に気付いたのか、後になってもよくわからない。
最も腑に落ちるのは、自分で分量を書き間違えたことに後から気付いて慌てて駆けつけたという説明だが、ここは神秘性を大事にして、天の神様のお助けがあったということにしておこう。
テンパさんは先ほど自分で私たちに手渡したレシピを広げ、ある一点を指差した。
「やっぱりここ、間違ってる!」
ココア〇袋の部分である。うん、なんとなく、そうじゃないかと思ってた。
正しい分量に直して! と指示を残し、テンパさんは再びドロンした。
えーっ、今からですか(泣)
「仕方ない。私たちはアルバイトだもん。指示に従うしかないよ」
ということで、残った濃厚激甘ココアを紙コップに移して、本来の分量で作り直すことにした。お客さんを待たせているので、大急ぎである。先ほどまで濃厚で甘い大人の気配を漂わせていたココアは、さらりとした普通の顔を取り戻した。
ど、どうぞ、とおずおず販売を再開する。
二巡目の女子高生たちがやってきた。あの甘さを期待しているのだとしたら申し訳ない。何か言おうかと思ったが、他のお客さんの手前もあるから、黙っておく。
果たしてテントの外からは、「あれ? ふつうだね」という、狐につままれたような彼女たちの声が聞こえてきた。
「本当だ、ふつうだ」
「さっきの超甘いの、なんだったのかなあ」
それはね君たち、神様の仕業だよ。元旦の深夜零時から数分間だけ、神さまが甘い夢を見せてくれたのさ……などと気の利いた台詞を言っている余裕はない。
二回も並んでくれたのに期待はずれで超ごめんと思いながら、私たちはせっせと普通のココアを売り続けたのだった。
※売れ残りの濃厚激甘ココアは、巫女バイトが美味しく頂きました。
(あともうちょっとだけ続く)
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