ルート3・???


  退屈に対しては、神々でさえ無駄にあがく。

            ――フリードリヒ・ニーチェ



 幼児コヨミが降園後に(自主的ではないながら)選択しうる三つのルート。

 ルート1は父が、ルート2は母が、それぞれ忙しい仕事の合間を縫って担当してくれた。しかし、どうしても調整しきれない日もある。

 バスの到着時間に合わせて両親ともに迎えに行けない日は、どうしたのか……?


 <ルート3・???>をもって、幼児コヨミ編は終わりとなる。

 あと少しお付き合い願いたい。

 

     *


 父母共に迎えに行けないという日が、週に一、二回は発生した。

 その際に母が選択したのは、実にシンプルな方法だった。

 隣のおばさんに私の迎えと、誰かが家に帰ってくるまでの預かりを頼んだのだ。


 隣家には私より一つ年上の男の子がいたけれど、ほぼ交流はなかった。

 おばさんは気の好い人で、やや無神経な感じはあったけれど、この地域のことなら何でも知っているという情報通。顔の広いタイプだった。

 ご近所付き合いは良好だったと思うが、「あの人に知られると何でもすぐ広まっちゃうから」と、母は警戒の言葉をよく呟いていた。


 母は今回の引っ越し先が想像を超えたド田舎であることに、当初はショックを受けていた。

「役場に書類を出しに行ったら、『どこの部落のもんですか』って聞かれたのよ!」

 気色ばんで何度も同じ話を繰り返していたことを覚えている。

「部落なんて、そんな言い方をされたのは初めてよ!」


 後に「部落」という言葉が、差別用語として扱われていることを知る。

 しかし田舎においては、単に地区や共同体という意味で使われることもあったようだ。リベラルに見える母にも、刷り込まれた差別意識があったのかもしれない。


 引っ越し前はピアノ教師をやっていただけあって、母は全体的に、ヨーロピアンでハイソな生活に憧れている節があった。

 建売ながらこの家を買うことに決めたのは、玄関の上にステンドグラス風の飾り窓が嵌っていたから。それに周囲のどの家よりも屋根が三角で、二階正面の部屋の窓にフラワーボックスが置ける柵がついていたから。リビングが広くて、庭に面して大きな張り出し窓があったから。

 朝はパン食、コーヒーは欠かせない。井戸端会議には加わらない。


 子供の行儀作法や言葉遣いにもうるさかった。

 靴は必ず揃えて脱ぎ、よそのお宅へ上がる時には靴下を履くこと。

 お菓子をすすめられたら二度まで遠慮し、三度目でお礼を言っていただき、基本的にその場では食べず家へ持ち帰ること。

 下品なので「うんち」と言わない。どうしても必要な時は「うん」と言う。


 お隣に預けられている時、私はこの「うん」の話を、うっかりおばさんに漏らしてしまった。

 お腹が痛くなったのでトイレに行った後、「うんち出た!?」と大声で聞かれて「えええ」となり、そういう話はしたくないと伝える代わりに、「うちでは『うん』と言うことにしている」と話してお茶を濁したのだ。


 回り回って、さっそく母の耳に入った。

「もう、何でも広まっちゃうんだから、おうちでのことは喋っちゃダメよ!」

 釘を刺された。


 要するに、文化が違った。

 何を喋って良くて、何が駄目なのかわからなかったので、私は必然的に無口になった。あまり喋らない不愛想な幼児を預かることになった隣のおばさんも、やりにくかったことだろう。


 隣の家では何もやることがなかった。

 私は人の家で寛げるタイプではない。しかも、発言には気を付けなければいけない。何か粗相を働いてしまって、後から母に注意されることになっても困る。自由にしていいと言われても、どこまでの自由が許されているのか判断が難しい。

 お絵描きをしても、描き途中の絵を見られるのが嫌だったし、いつものように没頭できなかった。

 読書したいけれど、本がない。うちには本がないのだと言われてびっくりした。


 仕方ないので昼寝した。

 そうするしかなかった。

 誰かが帰ってくるまでの数時間、本当なら読書したり、絵を描いたり、ビーズのより分け(※)をしたりして充実の時を過ごしているはずなのに。

 眠くもないのに、寝て過ごすしかない数時間。


 なんて勿体ないんだろう。不毛に過ぎる。

 私の中で、何かが動いた。

 熾火のように静かな炎が、心の片隅で燃え始めた。


 この不毛を幼稚園卒業まで、無為無策に受け入れるしかないのか?

 他に何か、もっといいやり方が、あるはずではないのか?

 黙っていては何も変わらない。意思を見せろ。

 そう、今こそ、立ち上がる時がきたのだ!

 

「もう自分で鍵を開けて家に入れるから、留守番したい」


 年長に上がって間もなく、母に申し出た。

 私は知っていた。来年小学校に入ったらどうせ同じことになる。鍵っ子の期間が少し早くから始まることになったって、それがなんだというのだろう。

 お隣で数時間も退屈な時を過ごすくらいなら、一人で家にいた方がずっといい。


 幼児に一人で留守番させるのは、国によっては逮捕案件だが、幸いここは日本国であり、母は忙しすぎて頭に酸素が十分回っていなかった。この頃の母は目も足もぐるぐる渦巻状態というアニメ的イメージがぴったりくる毎日を送っていた。


「そう!?」

 母は片手で鍋を、片手で電話を掴み、片足で金を数えながら、もう片方の足で書類に記入するという状態で叫んだ。

「そうしてくれるなら、助かるわ!」


 正直、私の迎えのためだけに職場を抜けて、往復一時間の道のりを自転車で爆走するのも限界だったのだろう。

 話はまとまった。四月のイースターで卵をもらったのを最後に、私は母の職場へ行かなくなった。もちろんお隣でご厄介になることもなくなった。


 こよみは「家の鍵」を 手に入れた!

 一人で自由に使える時間が 増えた!


     *


 今にして振り返れば、あんなに自分のことだけに没頭できた贅沢な時間は、あの時以外にない。もう二度と手に入らない、貴重な時間だったと思う。


 私は大いに読み、描き、観て、考え、そして自ら創り始めた。

 時間はいくらあっても良い。いくらあっても足りない。

 前には真っ白な世界が広がっていた。

 一歩進めば風景が現れる。後ろに物語が出来上がっていく。

 今でも一人きりになれば、いつでもその場所へ戻ることができる。

 そしてまだ白い場所を見つけては、そちらへ向かって突き進んでいく。


 プロットはあまり作らない。作れない。その場所へ行かないと何もわからないし、行けば全ての物語が次々と現れるから。

 そこへ行くまでが大変だけれど、行ってしまえば見聞きしたことを書くだけだ。短編は頭で考えるけれど、長編は心で考える。

 息を止めて深く深く創造の海に潜り込み、その世界がどんな生い立ちを経て今ここにあるのかをつぶさに自分で経験してくる。書き始めるまでに時間がかかる。

 幼児期と今と、私の創作の仕方はあまり変わっていない。



(ルート3・??? 改め ルート3・自由への鍵 END)



(※)ビーズのより分け

 当時の私がハマっていた遊びの一つ。

 色とりどりの丸小ビーズやスパンコール、竹ビーズなどが入った大瓶の中身を、広めの缶にざっとあける。そして、爪の隙間に入り込むほど小さなそれらを、「今日は何色」と決めて、その色だけより分ける。

 細かい作業なので指だと難しく、母の裁縫箱から勝手に待ち針を失敬して、内職工のような手際で次々と針に通しては、別の容器により分けていった。

 特にお気に入りなのは緑のビーズのより分けで、たくさん集めると甘エビの卵みたいで綺麗~と思っていた。

 遊び終わったらまた全てを元の瓶に戻す。

 不毛な遊びだが、この不毛は気にならなかった。

 後にビーズ細工作りへの趣味へと発展していく。


     *


 いつも当エッセイをお読みいただき、ありがとうございます!


 幼児期を続き物のように書いてしまいましたが、今後は一話読みきりの形で、その時に書きたいテーマに沿ったエッセイを書いていきたいと思います。


 また、子の長期休暇が終わったので、エッセイはしばらくお休みにして、創作の方を頑張ります。次は創作意欲が減衰した時や、冬休みに入ってから更新します。


 ぜひまた遊びにいらしていただけると嬉しいです。ではでは(^^)/

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