ルート1・父と図書館

【これまでのあらすじ】

 胎内記憶を保持したまま地球の大気圏内に転がり出た難溶性幼児コヨミ。

 己の意思疎通能力の稚拙さに落ち込み、これまで培ってきた理屈が通用しない集団生活の洗礼を幼稚園で浴びたりしながら、少しずつ人間社会のイロハを学んでいた矢先、心と降園後の拠り所であったババちゃまが自由を求めて出奔してしまう。

 共働きの両親。迫る降園時間。園バスを後にするコヨミの前に現れた影は――!



 確か年中の半ば頃から、幼稚園に送迎バスが導入された。

 歩けば三十分かかる道程を、家のすぐ近くまで来てくれるのだから、こんなに便利なことはない。とはいえ、バスまでの送迎をする大人はやはり必要だ。


 ババちゃまが同居を解消することで、降園後の私に三つのイベントルートが解放されることになった。

 ルート1・父と図書館

 ルート2・母の職場

 ルート3・???


 残念ながら選ぶのは私ではない。母だ。

 今回は「ルート1・父と図書館」についてのシナリオをお届けしよう。


     *


 エーエービーシーアケコーキュー。

 カレンダーを睨みながら母が呟く。何の呪文かとお思いだろうが、これは父の出勤形態を言語化しただけの、単なるスケジュール確認に過ぎない。


 父は日勤と夜勤のある、やや複雑な形態の仕事に就いていた。

 A勤、B勤、C勤、明け、公休。たぶん、そういう意味の言葉だったのだろう。

 朝から夕方まで働く日がA、夜から朝まで働く日がB、Bと同じ勤務時間帯だが翌日の出勤がない日がC、Cの後の明け日、普通の休みである公休。

 この中で私の降園時にバスまで迎えに行けるのは、出勤前のBと睡眠を取った後の明けと一日休みの公休、ということになる。


 ババちゃまがいた頃、父は公休の日だけ車で迎えに来ることがあった。

 ババちゃまが去り、園バスの運行が始まったので、Bと明けの日にも私の迎えができるようになった。大体、週に二日ほどが父の担当になった。


 明けか公休の日に当たると、父は私を図書館へ連れて行ってくれた。

 家族の中で車を運転できるのは父だけだ。田舎町の図書館は遠く、車がないと行くことができないので、私は父が迎えに来てくれる日が嬉しかった。


 読書好きのスキルがいつ解放されたのかは判然としないが、年少の頃に既に持ち合わせていたことは確かだ。

 幼稚園では数ヶ月に一冊、みんなで同じ絵本を購入することになっていた。

 その配布された絵本を私は何度も繰り返し読んだ。気に入ったものは今でも手元にある。「ゆり・かねここよみ」と年少のクラスが記されている。年中の頃には簡単な漢字も読めるようになっていた。


 そんなわけで、幼稚園の頃から既に図書館のヘビーユーザーだった。

 田舎の図書館は小さく、入り口に立てば部屋の全貌が見渡せるほどで、所蔵数が雀の涙だ。借りられる本の冊数は一人三冊まで。今住んでいる市が一人十五冊まで貸し出し可能なことを考えると、とんでもない格差である。


 私は毎回、家族全員分の図書貸し出しカードを持っていき、可能冊数めいっぱいに借りた。


 『ほうれんそうマン』『かいけつゾロリ』『おばけのアッチ』『わかったさん・こまったさん』『いたずらまじょ子』などの物語や、世界の民話や童話。

 漫画で読める科学や伝記の本などもお気に入りで、何度も同じものを借りた。


 伝記漫画は、未来か宇宙から来た兄妹がその時代を詳しく探りに来て……というシリーズだったと思うが、検索しても目ぼしいものにあたらなかった。『マホメット』の巻で姿が描かれていないのを不思議に思ったが、後に偶像崇拝が禁止だから描かれていなかったのだと知って、感心した覚えがある。ご存知の方はいらっしゃるだろうか。


 手塚治虫『火の鳥』に出会ったのも、この頃だった。漫画だから読みやすそうだと気軽な気持ちで手に取ったのだ。(以下ネタバレあり)

 病気を治そうと青カビを飲ませている描写に驚き、その後に伝記漫画でペニシリンのことを知り、話が繋がった。

 邪馬台国の卑弥呼のことは歴史漫画で知っていたが、イメージが定着したのは『火の鳥』によってだった。

 ヤマト編の最後、火の鳥の血を少しずつ舐めた人たちが王の墓に生き埋めにされ、息絶えるまで歌っていたシーンが忘れられない。今でも「早く寝なさい」と布団に入れられた子供たちが、私が部屋から去っても暗い部屋の中で抵抗して歌っている時、このシーンを思い出す。

 未来編のラスト。なんて大きな物語だろう! とんでもないものを読んでしまったということが、子供ながらに理解できた。

 オオカミの皮を頭に被った人物が好きだった。

 子守をするロボットの話が好きだった。

 何度も何度も借りた。

 

 習い事も何もしていない、時間の有り余っている暇な幼児だったので、借りて帰った本は当日中か翌日中には全て読み終えてしまった。

 二巡目の読書をしながら父が迎えに来る日を心待ちにし、その日が来ると喜び勇んで「今日、図書館に連れて行って!」とお願いした。


 父はたじろいだ。

 やがて慄いた。

 そのうち、「これ借りたら来週までは来ないから、ゆっくり読んで!」と釘を刺すようになった。

 私はムムムとなったが、スポンサーには逆らえない。

 まあいい。何回読んでも面白いものは面白い。


 父が迎えに来る日。それは私にとって、図書館へ行ける至福の日だったのだ。

 

(ルート1・父と図書館 END)

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