ババちゃま
大正生まれの祖母がいた。家族は皆、ババちゃまと呼んでいた。
私が生まれる前に、他の祖父母は皆、鬼籍に入っていた。
だから私にとっては、たった一人の「おばあちゃん」だった。
千葉の新居へは、ババちゃまも一緒に越してきた。
共働きの両親に代わって、私の面倒を見るためだ。
私は四人きょうだいの末っ子で、一人だけ歳が離れていた。
子だくさんの上にマイホームを購入した我が家は、明らかに生活に余裕がなかったから、延長保育の料金を払うのが厳しかったのだろうと、今なら想像がつく。
朝の登園は母が自転車に乗せて送ってくれた。
帰りは両親のどちらかが迎えに来ることもあったが、大抵の場合、ババちゃまが歩いて迎えにきてくれた。
自宅から幼稚園までは大人の足でも三十分はかかる道程で、最後に心臓破りの坂があることを思うと、まだ元気な初老の頃とはいえ、大変な日課だっただろう。
千葉の新居は、山を切り拓いて造営されたばかりの新興住宅地にあり、周辺はドのつく田舎だった。道路には車に撥ねられた
ババちゃまは帰る道すがら、植物にまつわる様々なことを教えてくれた。
いろいろ教わりながら歩く家までの長いお散歩が、私は大好きだった。
いい匂いがする
髪につける椿油は、椿の実から採れるのだと知った。実を切って机に擦りつけると、ラッカーを塗ったように艶々になるのだと聞き、試してみたかった。
葛の花は甘酸っぱい美味しそうな匂いがする。
つくし、わらび、ぜんまい、ふき。全部食べられるけど、あまり美味しくない。
ヨモギの葉を摘んで帰り、お餅に練り入れて草餅にしてみた。大人になってから自分の子供とも一緒にやってみた。
月見草は夜に咲く不思議な花。
ホタルブクロには蛍を入れて、提灯のようにして遊ぶ。
こよみちゃんは何でもあちこち見て回って、なかなか家につかなくて参ったよ。
後年、ババちゃまはそう苦笑したけれど、早く帰ろうと急かされた記憶は、あまりない。
夏の暑い日、家に帰るとババちゃまは、砂糖水を飲ませてくれた。
夜寝る時には、和室のババちゃまの部屋にお泊りに行った。
布団の中で、外国へ行った時の話を聞くのが好きだった。
フランスではエスカルゴというカタツムリを食べること。
中国にはパンダがいて、万里の長城という長い建物があること。
スイスにはアルプスという山があること。
和室には小さな仏壇があり、白黒やセピア色の写真が飾られていた。
これ、誰?
私のお母さんと、お父さんだよ。
ババちゃまにもお母さんがいたの?
そうですよ。誰だって昔は子供だったんだよ。
ババちゃまは生まれた時からババちゃまであるという気がしていたから、驚いた。言われてみれば納得した。誰しも子供の時期があって、母、祖母、曾祖母……と、どこまでも遡っていけるのだということを知った。
若い頃の話を聞いた。
娘時代はそれなりのお嬢さんでね。呉服屋へ一人で行って、これ頂くわ、なんて親の許しも得ずに言って、まったくいい気なもんだったよ。
勤めに出てお給料を貯めて、大正琴を買ったんだよ。家の人に内緒で買ったから会社に置かせてもらっていたけれど、焼夷弾が落ちてきて燃えてしまった。
兄と弟が二人いたけれど、みんな戦争に行って、帰ってこなかった。
ある時、通園バスが運行されることになった。
家のすぐ傍まで来てくれる。もう送り迎えの手間はない。
ババちゃまは、同居を解消して出て行ってしまった。
元々、一人で気ままな暮らしをしたい人だったのだと、後になってから母に聞いた。四人も子供のいる騒がしい生活は、最初から性に合わなかったのだ。
三十分以上かけて歩いていた道程を、毎日バスに揺られて、あっという間に通り過ぎるようになった。
ババちゃまのためにテレビが置かれていた和室は、ゲーム用の部屋になった。
降園後の私をどうするかが、母の悩みの種になった。
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