幼児とはどんなものかしら

 幼稚園に馴染めない子供だった。


 千葉県に来る前、私は神奈川県にいた。

 幼稚園に入園して間もなく引っ越しが決まったから、最初の園に通ったのは夏休みまでだったが、どちらの園での出来事も、いろいろと鮮明に覚えている。


 以下、私の心の台詞は、当時からそういう言葉で考えていたわけではなく、大人になってから振り返るとそういう気持ちだったな……という補正をかけた上での語彙選択なので、どうか言語能力に秀でたスーパー幼児だったのだという誤解はしないよう、先にお願いしておく。


 第一の衝撃は、入園式の日に早くも訪れた。

 親と子供が別の部屋に集められ、それぞれ先生の話を聞いていた時のことだ。


 今日はみんな素敵な恰好をしているね! とか、防災頭巾はあるかな? とか、先生は最初、そんな話をしていた。そのうちになぜか、自分の上履きの自慢を始めた。

 先生の上履きに何かの絵が描いてあると、複数の子供が見つけたからだ。

 そうなのよ。いいでしょう。みんなの上履きはどうかな?

 先生がそう問いかけたことで、火がついた。俺は私は僕はと皆が席を立ち、先生の元へ走って自分の上履きの自慢を始めた。座っているのは私だけだった。


 え? なんだこれ。

 私は唖然とした。

 今は先生の話を聞く時間なのに、席を立っていいの?

 それに、自分の持ち物を自慢するなんて、良くないことだし。

 そもそもみんな、自慢するような上履き履いてるの?


 自分の上履きを見てみた。つま先のゴムの部分が赤いだけの、普通のバレエシューズだ。

 先生の足を踏まんばかりに我先にと脚を突き出している、他の子の上履きを見てみた。ゴムの部分が青や白や黄色もあるが、似たようなものだ。たまにリボンやワッペンが付いている上履きを履いている子もいて、それなら自慢もわかるのだが。


 外で履く靴だったら、今日は入園式だから、つま先のところにビーズと刺繍のついた素敵な赤いやつを履いてきているのになと、ちらりと思った。

 童謡「赤い靴」の女の子みたいだと思って、密かに気に入っていた。


 父方のお墓が横浜市にあって、当時はお墓参りに行くたびに横浜中華街へ寄るのが習わしだった。その時に通る横断歩道の信号から「赤い靴」のメロディが流れてくるので、私にとっては馴染みのある童謡だったのだ。

 にんじんさん(本当は異人さん)に連れて行かれるのは困るけれど、赤い靴履いて船に乗るというのはなんかいい……と、幼心に思っていたのだ。


 上履き自慢の狂騒が続く間、私は一人だけ席に座り、そんなことを考えていた。

 この出来事がその後の幼稚園生活を象徴していた。


 普段はお弁当だが、水曜だけは幼稚園からパンが配られることになっていた。

 渦巻きや三つの丸が繋がった形など、いろいろな種類があった。味は同じだったかもしれないが、違うような気がしていた。早い者勝ちで欲しいものを取るから、押しの強い子が人気のパンを先に取っていく。引っ込み思案な私は、いつも余った三つくらいのパンの中から、毎回同じようなものを選ばされる羽目になった。

 どうして先生は平等に選ばせないんだろうと、密かに不満を抱いた。

 毎回一番に選ぶ子を変えて、順番に並ばせたらいいのに。


 引っ越しが決まり、最後に幼稚園へ行った日、先生がクラスの子供たち一人一人と握手させてくれた。友達と呼べる子は一人もいなかったので、私は別に寂しくもなんともなかったし、相手もそうだっただろう。


 ぎこちない別れの儀式が続く中、空気を和ませようとでもしたのだろうか。近所だからという理由で比較的よく一緒に過ごしていた男の子が前に立った時、先生が「じゃあね、君のこと好きだったよ」と、勝手なコメントを入れた。

 いや、んなわけないだろ。

 ますます白けた気持ちになって、大人って無神経だなと思った。

 

 引っ越し先の幼稚園では、途中から入園したこともあって、ますます馴染めなかった。しかもこちらの方が子供の人数が多く、前の園よりも混乱している。


 園庭で遊ぶ時間、私は部屋から出ようとしなかった。

 遊具の順番待ちをしていても、横入りする子が次々と現れて、自分の番など永久に来ないことを知っていたからだ。子供が多すぎて先生の目は届かない。本当は一人で絵本を読んでいたかったが、すると園庭に出なさいと言われるので、仕方なく先生に話しかけてお茶を濁した。

 姉や兄から聞きかじったクイズを出し、家族の話などを延々と喋り続けた。

 連絡帳を書くなどの仕事もあっただろうに、先生は大抵の場合、嫌な顔をせずに私のお喋りに付き合ってくれた。今思えば申し訳なく、そして感謝している。


 年長さんの頃。

 帰りのバスを待つ時間、先生がしりとりやクイズをしてくれることがあった。

 しりとりで「こ」が回ってきたので、私は「こけ」と言った。

 「こけ?」先生が戸惑った様子で、なぜか転ぶような真似をした。

 「こけって、このコケッ?」

 私も戸惑った。「こけ」といえば苔だろう。大人が知らないとは思えない。なぜ先生は転ぶ真似をしているのだろう。

 あっ、もしかして、苔の上は滑りやすいから?

 半信半疑で頷いた。


 先生は納得した様子で、「コケッだって。次はケだよ」と次の子に言った。

 そこに至って私は気付いた。先生は、「コケる」という意味で私が「コケッ」と言ったと誤解しているのだ。

 え? そんなことある? しりとりは物の名前を言うゲームじゃん。

 子供が使うには難しい言葉だったのかな……。

 大人になってから考えてみたが、別に子供が使えない難しい言葉だとは思えない。この時の先生の言動には未だにモヤモヤが残っている。


 これがきっかけで、何か答える時には慎重になった。


「丸い穴が開いてる果物なーんだ?」

 みんなが口々にドーナツと答える。いや、果物じゃないじゃん。

 パイナップルじゃないかな。缶詰のパイナップルは丸い穴が開いている。でも、あれは人が芯を抜いたから丸い穴が開いているのであって、元から開いているわけじゃないから、答えとしては変。

 もしかしたら、私の知らない果物があるのかもしれない。

 ドーナツ以外の答えを言う人がいないので、きっと間違っているだろうと思いながら、逆に安心して「パイナップル」と答えた。

 正解だった。モヤモヤ。 


 工作の時間、はさみで紙を切ることになった。

 私は手先が器用な方だったので、線に沿って丸く切りましょうという課題が簡単すぎて、つまらなかった。

 好奇心がうずいた。紙じゃなくて、布を切ってみたい。


 工作の時間は水色のスモックを着用することになっている。その布を手に取り、見つからないように紙と重ねて、はさみを入れてみた。

 切れた。紙と同じように、サクッと簡単に切れた。布もはさみで切れることがわかって満足した。


 先生が私の手元を見て、慌てて駆け付けた。

 私は無言で穴の開いたスモックをまじまじと見つめた。


 「間違えて紙と一緒に切ってしまったようです」と幼稚園から連絡を受け、母は後々、この子ったら紙と一緒にスモックを切ってしまって……と笑い話にした。

 私は何も覚えていないふりをした。黙っている方が簡単に済むこともあるのだと知った。説明しようとすると大抵の場合、ややこしくなる。大人が勝手に想像して済ませてくれるなら、その方がいい。


 幼児として平穏に過ごすコツがわかってきた。 

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