第16話 フランク その2

<フランク>

 見るのと聞くのは大違いとは言うが、魔都にやって来た俺たちは思わず息を呑んだ。


 凶暴な魔物が徘徊する秘境の奥深くには、隠された古代都市があると噂には聞いていた。

 しかしまさか、本当に実在したとは思わなかったのだ。

 おまけに滅びずに今なお繁栄を続けていたので、さらに驚いた。


 外周部に畑や果樹園が広がり、透明なガラスで作られた建造物が立ち並ぶ。

 曇りではなく透けているので中が良く見え、雪の降る寒い冬でも多種多様な作物を育てているのがわかる。


 そして巨大な都市を囲むように、強固な結界が張られていた。

 おかげで魔物の被害を受けることなく農業に従事できると説明され、ノゾミ女王国の文明レベルの高さをまざまざと見せつけられる。


 さらに遠くからでも見える大樹にも、度肝を抜かれた。

 天高くそびえ立っているのがよくわかり、あんな大きな木は生まれて初めて見る。

 幌付きのトロッコに乗り合わせた俺以外の者たちも皆、圧倒されていた。


 それに幼いエルフが無数のゴーレムたちを使役したり、桁違いな魔力で多くのマジックアイテムを手足のように操る光景は、伝説や物語に登場する神々や英雄のようだった。


 一体彼女は何者なのかと興味が尽きることはない。

 しかし深く聞いても誤魔化されてしまうし、俺も恩人の機嫌を損ねたくはなかった。

 何か隠さなければいけない事情があるのだと察し、自分から話してくれる時が来るまで聞かないことにしたのだった。




 何より今は、新しい生活に慣れるほうが重要だ。

 俺は言われた通りに医師の診断を受けに行くと、ウッドゴーレムが厚紙に描かれた絵で意思表示をする。


 なので椅子に座った状態で口を開けさせられたり、服をまくりあげて胸に丸い金属を当てられ、腕にリストバンドをつけられたりもした。


 どれもこれも初めての経験だ。

 正直、これらの行為に何の意味があるのかが、まるでわからない。

 しかしノゾミ女王国民になった以上は、どれだけ理解不能だろうと従わなければいけない。


 恩人に逆らって魔都から追放され、ウルズ大森林を彷徨いたくないし、開拓村に送り届けてくれたとしても、今となっては戻りたいと思えなかった。

 きっと、他の移民者も同じ気持ちだろう。


 やっていることは意味不明でも、文明の格差が大きいのだ。

 女王以外は皆が平民だと言われたが、待遇としては貴族に近いかも知れない。


 そして自分たちはこれまで泥水をすすりながら必死に生きてきたので、降って湧いたとはいえ、恵まれた生活を手放したいと思う者など居るはずもないのだった。




 色々考えている間に医者の診察が終わり、異常なしと判断された。

 続いて退室するようにと、紙の絵で指示される。


 俺は本当にそれが正しいのか今一つ判断できないが、取りあえずはどうもと頭を下げ、医務室から出た。

 そして引き止められることもなく、宿泊施設の廊下に出る。


 自分の判断が正しかったことに安堵しつつ扉を閉めたあとに、ふと思ったことを口に出す。


「あの絵は一体何だったんだ?」


 自分は絵画にも芸術にも詳しくないが、厚紙に描かれた絵は今まで見たモノとは明らかに異なる。


 絵柄は要点を的確に掴んでいて、とてもわかりやすい。

 それに愛嬌があって可愛らしく、見る者の気持ちが安らぐ印象を受けた。


 理解が困難な著名人が描く絵画とは違い、吹き出しに書かれている言語はわからないが、意味は何となくだがわかるのだ。


「まあ、気にしても仕方ないか。

 異常なしで、良しとしておこう」


 自分は健康体のようだが、栄養が足りていないと言われた。

 しかし、そもそも栄養の概念がないので良くわからない。

 なので、わかったフリをして適当に頷いておいた。


 ちなみに宿泊施設の内部にある医務室は、男女別になっている。

 妻と娘はまだ診察を受けているようで、部屋を決めるのは全員が揃ってからだ。


 そこで先に終わった俺は、待ち合わせ場所に指定した休憩室に向かったのだった。




 宿泊施設は、上流階級の住む屋敷のような凝った作りだ。

 しかし文化が異なるようで、内装に関しては見たことないものばかりである。

 そして外は凍えるほど寒いのに建物内は暖かく、薄着でも問題なく過ごせるので不思議だ。


 だが疑問に思っても解決できるわけではなく、そう言うものだと受け入れることしかできない。


 とにかく休憩室にやって来た俺は、周囲を見回すと自分以外にも休んでいる人が大勢居た。

 謎の玩具を興味津々で弄っていたり、茶や果実水がタダで飲めるからと喜んでガブ飲みしていたり、知らない絵本を夢中になって読んでいたりと色々だ。


 けれど誰も彼もが楽しそうに談笑していて、開拓村では絶対に見られなかった光景に驚く。


 何にせよ皆が楽しそうにしているのは良いことだと思っていると、見知った顔が休憩室の壁にもたれて、紙のコップに入った茶を飲んでいるのを見つけた。


 なので俺は彼に近づき、親し気に声をかける。


「よう、ロジャー」

「おう、フランクか」


 彼は俺と同じ元冒険者だったが、魔物と戦って右腕を失う大怪我をしてからは引退してしまう。

 今は自分とは別の開拓村で門番をしていると聞いていたが、ノゾミ女王国の移民に参加しているとは思わなかった。


 道中にも何度か話したけれど、今は見慣れぬ物をつけているのが気になって尋ねる。


「それは義手か?」


 彼は右腕をなくしたはずだ。

 しかし今は肩から先に、木で作られた人形の腕らしき物が付けられていた。


「ああ、ここの医者に付けられたんだ」

「義手をか? 義足ではなく?」


 義足は体を支える役目があるが、義手を付けても動かせない。

 邪魔にしかならないはずなのに、ロジャーは楽しそうに笑っていた。


 そこで俺は驚く。今彼が紙のコップを握っているのは、木で作られた右手なのだ。


「驚いたか? 腕だけでなく、指も自在に動かせるんだぜ」


 俺はとてもではないが信じられなかった。

 なので木の腕を観察するが、やはり良くわからない。


「そんなマジックアイテム! 王都でも見たことないぞ!」

「だろうな! 俺も初めて見たぜ!」


 ロジャーは豪快に笑いながら、腕や指を動かして見せてくれた。

 本当にまるで義手とは思えず、生身の手のように滑らかな動作である。


 そして注意深く観察すると、彼の右肩の辺りに闇色の魔石がはめ込まれていることに気づく。


「使われているのは、闇の魔石か」

「ああ、他は機密で聞いても教えてくれねえし、調べるのも厳禁らしい」


 つまりこの義手も、ノゾミ女王国のマジックアイテムの一つなのだ。

 遥か昔に魔法王国が栄えていたのは伝説に残っているし、遺跡から発掘された遺物は現代技術では再現不可能な物ばかりである。


 浮遊する大型トロッコや、女王様が乗っていた小型の飛行車。

 他にも変幻自在に動き回り魔物を葬る光の羽など、失われたはずの古代技術を散々目撃している。


 なので義手があっても不思議ではないが、やはり驚いてしまう。


「とんでもない国だな」

「ああ、全くだ」


 俺が率直な感想を口にすると、すぐにロジャーも同意して笑い合う。


 しかし各国がこの事実を知れば、間違いなくノゾミ女王国を狙われる。

 そして自分たちはその時にどうするかは決まっており、彼に覚悟を決めているようだ。


「ロジャー、冒険者としての血が騒ぐか?」


 友人は興奮を抑えきれないとばかりに、嬉しそうな顔をしている。

 なので俺も不敵に笑って声をかけると、すぐに返事が返ってきた。


「馬鹿言え! 俺は冒険者を引退した身だ!

 血が騒ぐのは否定せんが、復帰するのは鈍った体を鍛え直してからだぜ!」


 今の彼を見ていると、俺まで胸の奥から興奮が湧き出してくる。


「今の俺が女王様を守ろうとしても、足を引っ張っちまう!」

「ああ、それは自分もだ」


 俺たちはもうノゾミ女王国民で、これから嫌というほど騒動に巻き込まれるだろう。

 女王様がどう対処するかはわからないが、何をするにしても世界中が大騒ぎになるのは間違いない。


 なので鈍った体を鍛え直して、彼女の役に立てるようにしないといけない。

 ずっと足手まといで守られてばかりでは、レベッカの命を助けてもらった恩を返せずに、借りが増えていくばかりだ。


 それにロジャーも失った腕を取り戻したことで、彼女に大きな恩ができたのだった。







 妻と娘の診断が終わって合流したのでロジャーと軽く話して、また大食堂でと別れた。

 次に俺たちはまだ部屋が決まっていないので、受付に移動してウッドゴーレムに尋ねる。


 すると、ちょうど三人部屋が空いていた。人数が違うだけで間取りは同じらしく、あっさり入居が決まる。


 俺たちは鍵を受け取って部屋に向かい、扉を開けて中に入った。

 ウッドゴーレムから説明された内容は、入り口で上履きを脱いで素足のまま一段高い床に上がるようだ。

 そして何かの草を編み込んであるのか、独特の香りがするが悪くはない。


 奥は全面ガラスの窓になっていて、とても贅沢だ。

 良く見ると薄暗い闇の中で、白い雪が降っている。

 さらに横を見るとトイレと水場もあるため、開拓村の家よりは狭いが快適に過ごせそうだった。




 娘のジェニファーは、俺よりも先に上履きを脱ぎ、草の床を足で踏んで興奮気味に声を出す。


「お父さん! この部屋も! とっても暖かいね!」

「ふーむ、何故だろうな」


 前に住んでた家は、冬になると壁の隙間から冷たい風が吹き込んできた。外よりもマシだが、薪を燃やさずにここまで暖かくはならない。


 しかし宿泊施設は、廊下も部屋も暖かいのだ。

 俺は上履きを脱ぎながら辺りを見回して、あるモノを見つける。


「なるほど、天井の小穴から温風が吹き込んでくるのか」


 天井近くに小さな穴が空いていて、そこから暖かい風が部屋に入ってきている。

 なお、原理は不明なので根本的な解決にはなっていないが、取りあえず今は気にしないことにした。


 それよりも妻や娘と同じように、俺も草の床を素足で踏みしめる。

 続いて足の短い机の近くに移動して、貴族が座るようなクッションに尻を乗せた。


 ちなみに二人は、一足先に座っている。

 とても柔らかくて体が沈んだことから、本当に貴族になった気分だ。


 今までの生活と違いすぎて困惑していると、妻のレベッカが机の上に置かれているマジックアイテムを、興味津々な表情で見つめていた。


「フランク、これは何かしら?」


 説明書の絵を見る限り、小さな注ぎ口の下に特殊な形状の陶器をセットして、ボタンを押して水が注ぐ装置だろう。


「普通に考えれば水筒か、水を保存する容器だが」


 だがノゾミ女王国の道具が、そんな単純な物のわけがない。

 なので俺は注意深く観察して、少しだけ考え込む。


「赤と青のスイッチがあるな。ふむ……これは、待てよ?」


 何処かで見た覚えがあると、若い頃の記憶を思い出す。


 王都の魔道具店に入った時に、容器のスイッチを押すと綺麗な水が出てくるマジックアイテムがあった。

 しかしその時はスイッチは一つだけだったはずだが、何しろ昔のことなので本当は二つあったのかも知れない。


 俺がもっと深く思い出そうとしていると、好奇心を刺激された娘が絵に描かれた説明通りに、陶器に茶葉を入れ始めた。


 そして慎重に注ぎ口の下に置いて、迷いなく赤いボタンを押す。


「わっ! 凄い! お湯が出た!」


 説明通り、陶器に吸い込まれるようにお湯が注がれていく。

 そしてジェニファーが手を離すと、ピタリと止まる。


 そのまま娘は緊張しながらしばらく待ち、やがて頃合いを見て陶器の持ち手を握り、三人分のコップに慎重に注いでいく。


 俺は知り合いから聞いた紅茶の色とは、若干異なることに気づく。


「これは貴族が飲む紅茶だが、色が違うな」


 しかし、自分のような庶民が飲む白湯とも違う。

 コップに注がれたお湯は、薄緑色をしていた。


「きっと、そういう品種なんだろう」


 俺は自分のコップを手に持ち、何度か息を吹きかけて冷ます。

 続いて、ゆっくり口元に近づける。


「あちちっ!」


 まだ冷めていなかったようで、舌を軽く火傷して妻と娘に心配されてしまう。

 だが幸いなことに、紅茶をこぼさずに済んだ。


 色々あったが、ここまで穏やかで楽しい時間を過ごしたのは久しぶりである。


 俺たち三人は、苦味の中にほのかな甘味を感じるこの国原産の紅茶を飲む。

 そしてホッと息を吐いて気持ちを落ち着け、移民を受けて本当に良かったと、心の底からそう思ったのだった。







 穏やかな時間が流れて、ふと壁にかけられた時計らしき物を確認する。

 そろそろ夜の七時になるようで、女王様から大食堂に行くようにと伝えられていたことを思い出した。


 なので家族三人で少し早めに部屋を出ると、廊下を歩いている途中で他の移民者と出会う。

 どうやら、考えることは皆同じのようだ。


 今日から隣人になるので、簡単な挨拶や当たり障りのない話をしながら並んで歩き、大食堂に向かった。




 やがて到着したので、何気なく中を覗く。

 すると早めに部屋を出た人たちが集まり、とても混雑していた。

 それでも注意深く観察すると、長い机が何列も繋げて並べられていて、丸椅子に座って食事をする仕組みだとわかる。


 だが号泣したり鬼気迫る表情で食事をしている者が大勢おり、一体何が起きているのかちょっと良くわからない。


 一つ言えるのは、大食堂は今まさに熱狂の渦に包まれていることだ。

 俺たちは状況が掴めずに若干引いていたが、娘がある人物を見つけて声をあげる。


「あっ、女王様」

「そうだな。女王様だな」


 何故彼女が宿泊施設の大食堂に居るのかと、疑問に思う。

 しかし、すぐに理由が判明する。


「本日のメニューは! Aランチはイノシシの生姜焼き定食! Bランチはイノカツ定食!

 ご飯とスープのおかわりは自由です!」


 大きな声を出して、食堂に集まっている皆に呼びかけていた。


「医師から病院食の回数券を受け取った人は、そのまま配膳の列に並んでチケットを提出してください!」


 さらに女王様は、二列でなく一列でお願いしますと叫んでいた。

 その様子を見て、俺はあっさり答えを導き出す。


(食堂の利用方法がわからない者が居たんだろうな)


 三百人の移民者で、読み書きができる者は殆どいない。

 そもそも古代文字の翻訳など誰もできないし、言葉にして説明できるのが女王様だけだ。


 一国のトップが先頭に立って列の整理をするなど、ノゾミ女王国ぐらいだろう。

 しかし、見て見ぬふりはできない。


「ちょっと行って、手伝ってくる」

「私も行くわ」

「うん、女王様に恩を返さなきゃ!」


 結局、家族三人で女王様を手伝うことになる。

 そして俺たちに大食堂の利用方法を教えたあとに、また他の宿泊施設でトラブルが起きたようで、彼女は急ぎ解決に向かうのだった。







 初めて利用するトイレや大浴場で多少の混乱はあったが、一度覚えれば最適化された便利な設備だとわかる。


 まあ何にせよ、今日は本当に色々なことがあった。


 部屋に戻った俺は、貴族様が使うよりも透明度が高く傷一つない窓から外を覗く。

 風は吹いておらず、静かに雪が降り続いていた。


「明日は積もりそうだな」

「でも、寒くないよ」

「ええ、そうね」


 外に出たら、間違いなく凍え死ぬ。

 だが自分たちは暖かい部屋の中で、柔らかな毛布にくるまっている。


 元々着ていた服は女王様に不衛生だと言われて、全て没収されてしまった。

 その代わりにノゾミ女王国産の質の良い服を、無料で提供された。


 軽くて丈夫で肌触りも良いので、文句はない。

 だがあとで弁償や返却を求められないかと、内心でビクビクしていた。

 心配になって尋ねると、その服はもう貴方たちの物で破れた交換すると言ってくれたので驚き、とても寛大な御心に感謝する。


 だが同時に俺たちはノゾミ女王国民なのだと自覚して、忠義を尽くさなければいけないと気持ちが引き締まった。




 俺は布団と呼ばれる柔らかな布をかけて、天井を眺めて今日起きたことを振り返っていた。

 すると娘のジェニファーが、独り言を呟く。


「……明日はどうなるんだろう?」

「わからないわ。でもきっと、良いことが起きるでしょうね」

「ああ、とにかく明日を楽しみにして、そろそろ休もうか」


 時間になっても起きてこなければ、担当のゴーレムが呼びに来る。

 迷惑をかけるわけにはいかないので、俺は天井からぶら下がっている紐を引っ張って、部屋の明かりを消す。


 魔都に着いてからは驚きの連続で気づけなかったようだが、かなり疲れが溜まっていたらしい。

 目を閉じれば強烈な眠気が一気に襲ってきて、あっという間に眠りについたのだった。

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