セイヤ2

 果南からの援護を受け、私は彰さんの元に向かっていた。


 夫に対して、直接顔を合わせて騙した事なんて一度もなかった。


 今の今まで、隠れて騙していたのにもかかわらず、果南の言う罪悪感が薄まるどころか、何故か強烈に高まっていた。


 思いついたことが成功した時、もっと人は喜ぶものじゃなかったか。


 今ここにある焦燥は、果たして何なのか。



『こっちは上手くいったよ。お互い楽しもう。メリクリー』


「…」



 メッセにあるこれは、どう捉えたらいいのか。強烈な嫉妬心が生まれているのは自覚出来るのに、自身の行いからそれを猛烈に否定しようとしている。


 でも、何をどう足掻いたところで、今夜、もう私に帰る場所はなくなっているのは事実だった。





「葉月さん…」


「はぁ、はぁ、はぁ、彰さん…遅くなってごめんなさい」


「…本当に良いんですか?」


「え、ええ、上手く抜け出せました」


 

 不安そうな彰さんを安心させるために、私は笑顔を作ってしまった。その顔は、どこか見覚えのある顔だったから。



「葉月さん?」



 果南に突き動かされた自覚はある。


 追いかけてくれなかった悔しさもある。


 それにしてもこの昂る鼓動と動悸は、果たして恋なのか愛なのか情欲なのか、それとも罪なのか。


 それと同時に、彰さんの顔と身体に、疼く記憶を重ねて見ている浅ましい自分もいた。



「葉月さん…?」


「…」



 でも、この駆り立てる焦燥は果たしてそれで合っているのか。


『──それが恋だよ』


 果南はそれを恋だと呼んだ。


 では、愛は?


 夫が与えてくれていたものは愛ではなかったか?


『──だって葉月、朔さんと喧嘩したことないじゃん。付き合ってから一度だって』


 それはそうだ。朔くんは私を全肯定してくれていた。そこに不満なんてなかった。


『──マリッジブルーもなかったし、もしかして流されたんじゃない?』


 そんなことは無いと思うけれど、こんな有様に自信がなくなっていた。


『──一生懸命守りますので、どうか僕と結婚してください、って言ってたけど、守れなかったじゃん。葉月は悪くないよ』


 果たしてそうだろうか。


『──油断してるのが悪いんだよ。それにもっと遊べばいいんだよ。わたしは遊んでるよ?』


 夫と果南の顔が浮かぶ。そういえば、あの二人が仲良くしていたことは今までなかっただろうか。


 そうだ。果南は夫が元々苦手ではなかったか?


 付き合った当初、一緒に遊ぼうと誘っても、苦笑いを浮かべるだけで、結局一度も遊んだことはなかった。


『──嫉妬しちゃうからさ』


 私も悪いと思って、誘わなくなっていた。


 だからか、二人が燃え上がることなんて想像出来なかった。


『──こっちは上手くいったよ』



「っ…」


「どうしました?」


「いえ…」



 果南の身体に引き止められた悔しさもある。私が言えた話ではないけれど、積み重ねた思い出は脆かったのだと突きつけられたことに、動揺がないわけでもなかった。


 突き動かされるこの焦燥と衝動は、彼女の言う恋なのだろうか。



『──こっちは上手くいったよ』



「…行きましょうか」



 そして果南が抑えてくれたシティホテルに向かった。専業主婦なんだから払込みでバレるよと、果南が支払いを済ませてくれていた。


 でもここは…?



「どうしました?」


「い、いえ…」



 偶然だろうけど、ここ、朔くんと来たことあるところじゃない…。結婚する前の…お互い初めてで…初めてのお泊まりで…初めてのクリスマスに…部屋まで…同じ? 嘘でしょう…?


 朔くんとの大事な記憶が色を持って蘇る。



『──僕は、こ、こんなとこ初めてで…』


『──わ、わたしもですっ…! き、緊張しますっ!』


『──ぷ。はは、一緒だったね』


『──え、ええ、ふふっ、朔くんもだったんですね…』



 ああ、まだ止められる。


 でももう部屋に入ってしまう。


 入ってしまった。


 でもその瞬間、大事な記憶の中、見覚えのあるその室内に、私の息と足は止まった。


 どこか二枚並んだ間違い探しの絵のようで、本当に何か決定的に間違えてしまってないかと不安が足を止めたのだ。


 その優しい夜の思い出が息を止めたのだ。


 心臓が唸るほど痛い。


 足の震えが、止まらない。


 私、帰らなきゃ──


『──こっちは上手くいったよ』


 そして私は、唐突に抱きしめられた。


 心が心から安心したのが如実にわかった。



「葉月さん…!」


「……葉月と呼んで…ください」


「葉月っ!」


「ああ! 彰さん!」



 その夜、私は思い出を汚す醜悪さなのか、裏切りの罪悪感なのか、以前よりめちゃくちゃに興奮し、乱れた。


 それを背徳と呼ぶのだと、彼女は笑ってそう言っていたことを私は思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る