第18話 バーバ・ヤーガ

 鶏の足の上に立つ小屋。その中には多数の骸骨が転がっている。

 魔女バーバ・ヤーガの小屋だ。


「……転がっている、というか……飾っている?」


 たしかに骸骨だらけだ。しかしゴミのように転がっているわけではない。

 なんというか……物資として積まれている。骸骨で何かを作っているのだろう。燭台があるべき位置に頭蓋骨がぽつんと置かれているところを見ると、おそらくあれは光るはずだ。操作方法が分からないが。

 つまり、屍術師ネクロマンサーの魔道具製作者クラフターというわけだ。バーバ・ヤーガの小屋から持ち出した刷毛はけを投げたら、びっしりとアシが生い茂った野原になったとか、櫛を投げたら森になったとか、ハンカチを投げたら火の海になったという伝承もある。それが本当なら、魔道具製作者クラフターとしての腕前は、エリンたち「親方」に勝るとも劣らないようだ。骨からどうやって刷毛やらハンカチやらを作ったのかは謎だが、骨以外も使うのだろうか?


「おっと、そんな事より――」


 ダンジョンから吸血鬼たちを連れ出した理由だ。

 黒幕とつながりがあるなら、その記録がありそうなものだが……。


「書類ってものが、まるでないな。まあ一人暮らしなら必要ないか。日記でもつけてくれていたら助かったのに。

 ……あっ、これか? うお……! 悪魔文字……」


 悪魔が使う文字だ。文字そのものが魔法陣であり、意味を表す形というより、封入した情報にアクセスするための鍵といったほうが正しい。つまり鍵つきの本の、その鍵にあたるのが悪魔文字だ。だから文字そのものには、内容に関する意味が込められていない。読んで理解することで封入された情報にアクセスできて――悪魔文字という鍵を使ったことになって――封入された情報は、念話のように頭の中に入ってくる。

 悪魔文字がそんな面倒な構造をしているのは、封入されている情報が膨大かつ繊細だからだ。筆者の記憶を、その光景だけでなく、感情まで追体験できる。文字だの文章だのというより、一種のアトラクションといったほうが正しい。悪魔文字とは、そういうものだ。

 人間は、この悪魔文字を簡略化したものを使って、魔導書スクロールを読み書きできる(書けるのは一部の魔術師や魔道具製作者に限られる)。魔導書は、そこに記された魔法を使うための書物だ。使い方を記したものではなく、魔導書を使うことで魔法が発動する。つまりその魔法を覚えていなくても使えるということだ。ありふれた魔導書は1度使うと燃えてしまう使い切りタイプだが、中には何度でも使える上等な魔導書もある。

 前者は冒険者などが非常手段として持っていることが多く、後者は王宮の宝物庫などに納められている。現在地を中心とした地図を自動生成するものが人気で、ダンジョン攻略のために大量に持ち込む冒険者もたまにいる。


「使う機会はずっとなかったが、覚えててよかった」


 悪魔文字は、悪魔文字を精密に書き写しても封入された情報まではコピーできない。書き写して誰かに解読を頼むというのが無意味なのだ。

 ずっと使ってなかったので忘れかけていたが、古い記憶を掘り起こしながら読み勧めていくと――



 ◇



 その日、バーバ・ヤーガはいつものように骸骨から魔道具を作っていた。

 骨と皮だけに痩せこけた姿で、足にいたっては骨がむき出しの老婆。それがバーバ・ヤーガの姿だ。その姿からわかる通り、身体能力はきわめて脆弱で、体力も少ない。魔道具を作る以外ではベッドに寝ているし、移動するときは細長い臼に乗っている。

 この臼は、バーバ・ヤーガが命じると少しだけ浮いて進む魔道具だ。命じる方法は、馬の尻をムチで叩くようにして、杵で叩くとよい。臼は底部を引きずるように移動するので、バーバ・ヤーガはたびたび小屋の床を修繕しなければならなかったし――そのために訪問客を拉致しておくことがある――出かけるときは小屋の位置を特定されないように箒で掃いて引きずった跡を消しながら進むようにしている。


「……誰だい?」


 ふと気づくと、玄関のドアのところに男が立っていた。

 バーバ・ヤーガの魔法能力は高い。その探知に引っかからずに接近するとは、大変な技量である。だが、バーバ・ヤーガが何より驚いたのは、その男の魂がひどく禍々しい闇に染まっていたからだった。屍術師であるバーバ・ヤーガは、他人の魂を見る目に長けている。その男の魂は、まるで邪悪そのものを集めて固めたような真っ黒い魂だった。


「私は、お前が目指しているものだ」


 男は答えた。

 中年から壮年といった印象の声だった。極めて男性的な太い声だ。しかし、まるで童貞の少年が絶世の美女に誘われたような、ひどく魅力的で、いっそ官能的とすら感じる声だった。

 バーバ・ヤーガは即座に魅了・幻惑・支配などの精神系魔法を疑ったが、そんなものは使われていなかった。男が述べたのは単なる事実――魅力の正体は、バーバ・ヤーガが本気でを目指しているからだった。バーバ・ヤーガ自身の憧れが、その男の声をひどく魅力的に感じさせていたのだ。


「……悪魔……」


 バーバ・ヤーガは、自身の憧れを口にした。

 地上世界の理を捻じ曲げる暗黒。肉体の死を超越し、命の根源をもっと不滅の次元に置く存在。神や天使のように規則に縛られず、自由に振る舞える解放された者。

 バーバー・ヤーガは、なによりも自由になりたかった。その権化が今ここに。少女のように胸が高鳴る魔女の前で、男はゆっくりとうなずいた。


「……ふっ」


 男は鼻で笑った。

 その顔は自嘲しているように見えた。


「お前が思うほど自由でもないのだがな」


 そうなのか? バーバ・ヤーガは浮かんだ疑問を、即座に打ち消した。

 少なくとも他の何かよりは自由。バーバ・ヤーガの知る限り、悪魔こそが最も自由な存在だ。バーバ・ヤーガが悪魔を目指すのに、それは十分な理由である。他より自由、最も自由、であるなら他の何かになろうと方針転換する必要はない。

 改めて悪魔を目指す決意を固めたバーバ・ヤーガに、男は優しげに微笑した。


「だからこそ、お前に手伝ってほしいことがある」


 思っているほど自由ではない。だからこそ。

 しかし、その不自由を突破する方法がある。だからこそ、ここへ来た。

 悪魔を目指す魔女。だからこそ。

 そして、その協力の代価に――通常は悪魔を召喚した者が願いの代価に魂を捧げるものだが、悪魔のほうから協力を願ってきたなら――バーバ・ヤーガが求めてやまないものをくれるだろう。すなわち悪魔へ至る方法を、あるいは悪魔に至るという結果そのものを。だからこそ、悪魔はバーバ・ヤーガに拒否される心配がない。


「何でも致します」


 久しく忘れていた礼節を、記憶の中から掘り起こし、魔女は悪魔に平伏した。



 ◇



 なるほど。黒幕はこの悪魔か。

 悪魔の目的までは不明だが、何らかの制限によって自分自身では行動できず、あるいは手が足りず、バーバ・ヤーガを使っていると。

 バーバ・ヤーガ自身の目的とも一致しているとなると、バーバ・ヤーガと交渉するのも無理だ。戻ってきたら戦うしかない。


 ――すべてが黒い騎士が通り過ぎた。


 そして夜になった。

 時間感覚を狂わせる魔法なのか? 黒い騎士が通り過ぎたと思ったら、昼が急に夜になった。夕方をすっ飛ばしている。認識阻害系の魔法をちょっと工夫すれば、そういう事もできそうだが……バーバ・ヤーガの場合は、やろうと思ってやっているというより、漏れ出た魔力が周囲にそういう効果を撒き散らしているという感じだろう。世界を侵食するほどじゃないが、片足を悪魔の領域に突っ込んでいるようだ。


「おや? 誰だい?」


 声がした。

 振り向くと、痩せこけた老婆が細長い臼に乗っていた。


「人の家に勝手に入り込んで、悪い子だねぇ」


「人の国に大混乱を招いている奴に言われる筋合いはないな」


 悪魔になりたい。それ自体はべつに構わない。なって悪さをするなら駄目だが、なるだけなら別に何の害悪もないのだから。

 だが、なる手段として国を混乱させるなら駄目だ。生贄と称して殺人事件を繰り返す悪魔崇拝者のほうがまだマシである。バーバ・ヤーガと悪魔が引き起こした一連の騒動は、もはや国家反逆罪や騒乱罪の部類に入る。


「悪い子にはお仕置きだよぉ」


 バーバ・ヤーガの魔力が高まっていく。


「こっちのセリフだ」


 出遅れることなく、武具に魔力を流し込んだ。

 戦闘開始だ。


「喰らいなぁ!」


 まずはバーバ・ヤーガの攻撃。

 周囲にスケルトンを召喚したかと思うと、その頭蓋骨を掴んで引っこ抜き、投げつけてきた。かなりの魔力が込められている。

 様子を見るために幻影の分身を残して転移すると、着弾した頭蓋骨が爆発し、周囲を一瞬で腐らせた。防ぐことはできる威力だが、足場を失う。まあ、飛行魔法が使える俺には関係ないが。


「むんっ!」


 剣で攻撃。

 この小屋には証拠品が他にもあるかもしれない。できるだけ壊したくないので、魔法攻撃は控えることにした。肉体的には脆弱なバーバ・ヤーガに、物理攻撃は効果的だろう。


「ぎゃあ!」


 バーバ・ヤーガの首をはねた。

 ……これで終わり? えらくあっさり勝てたな。


「よくもやったねぇ!」


「うわ!?」


 腐った所からバーバ・ヤーガが生えてきた。

 生えてくるって、どういう原理だ? なんだ、こいつ? キノコかよ?


「面倒くさいな、死んでおけよ」


 生えてきたバーバ・ヤーガを残らず斬り伏せる。

 肉体的には脆弱なので、魔法を使う暇を与えなければザコだ。


「うわ……おいおい……」


 バーバ・ヤーガは死んだ。今度こそ復活しないようだ。

 しかし、斬りつけた剣が少し腐ってしまった。ドラゴン素材の剣なので、腐る効果にかなり抵抗できたようだが、完全には防げなかったか。これは修理が必要だ。


「エリンに頼むか。謎金属の研究もどうなったか、ついでに聞いてみよう」


 それはそれとして、黒幕の本拠地を探す任務は失敗だ。ダンジョンから魔物を連れ出すのを担当していたバーバ・ヤーガを倒してしまったので、今後はその線から探すのが不可能になった。

 小屋から証拠品を探して解析してみるしかない。解析は当局の専門家に任せるとして、とりあえず全部持ち帰るか。収納っと。

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