第4話 徒花はどこで咲く

 ジャック・ランバーが東部貴族を調べている間に、王城では事態が大きく動いていた。

 反乱軍がいよいよ攻勢に出たのだ。今までは、独立を宣言して、人質や呪いで勢力を拡大していただけ。誘拐・脅迫・呪詛は、犯罪ではあるが――戦闘は起きていなかった。


「まさか、こんな事が……」


 国家百年の計を念頭に置く国王ですら、言葉を失った。いきなり王都を包囲されたのだ。

 接近している、という報告すら届かなかった。すなわち、王都に残っている兵力以外はすべて反乱軍に寝返ったことを意味する。


 ――いや……それだけでない? 


 国王がその可能性に思い至るのは一瞬だった。そして直後には、それが現実になった。

 包囲されているとの報告が行われた謁見の間、その一瞬あとに国王が予想した「それ以上」の可能性。そして報告から1秒とたたず、居並ぶ近衛騎士たちが動き出す。


「陛下のお命、頂戴いたします」


「お、お前たちもか……!?」


 さらに王城に集まっていた貴族たちまでもが集結する。いや、もはや押し寄せるとか詰め寄るとか言うべきだろう。異様な迫力を伴った集団が、ゆっくりとなだれ込んできた。


「いざ、陛下の首を、帝国のもとへ!」


「帝国万歳!」「帝国万歳!」「帝国万歳!」


 異様な興奮に包まれ、口々に帝国万歳と叫ぶ貴族たちと近衛騎士たち。ここが王国の首都の、その王城だという異常事態。明らかに正気を失っている。

 だが、この事態に戸惑っているのは、国王だけではなかった。そしては、国王よりも早く我に返り、反乱軍より早く動き出した。


「国王陛下に忠誠を!」


 誰かが叫んだ。

 一瞬で静まり返る反乱軍。その視線が、1人の男に注がれる。

 反乱軍を押しのけて駆け寄るその男は――


「ジョン・ランバー伯爵……!」


 ジャック・ランバーの父だった。

 その声に呼応する者が2人。


「お前ら近衛騎士団じゃねえ! お前らが近衛騎士団なら俺が近衛騎士団をやめてやる!」


「貴公ら、それでも王国貴族か!? 恥を知れ!」


 口々に叫ぶのは親子。

 近衛騎士団でジャックと同期だった友人と、その父親だ。

 3人はアイコンタクトすら無いままに、何万回と訓練したかのごとく統率された動きを見せた。

 ジョン・ランバー伯爵に注目した反乱軍が、今度は追従した親子に注目――この、状況把握のためにキョロキョロと右を見たり左を見たりする動きによって、ほんの数秒、反乱軍は動けなかった。

 それが国王を守る一瞬のチャンスにつながった。寸隙を突く3人の突進が、国王に到達する。


「ご無礼!」


 友人が国王に覆いかぶさるように動き――同時、父親の2人は魔法攻撃を放つ。


「サンダーストーム!」


「ポイズンクラウド!」


 電撃と毒の範囲攻撃。電撃は麻痺を与え、毒は継続ダメージを与える。多数を相手にする戦闘では、このわずかな差が結果に大きく影響する。多数であるがゆえ、小さな差を「積み重ねる余地」が大きい。

 申し合わせたようにその手の魔法を選んだのは、2人の戦闘経験によるもの。しかし電撃の閃光から王の目を守った友人の振る舞いは、親子ならではの以心伝心。結果として3人の息はピッタリだった。


「陛下、こちらへ!」


 友人が国王を移動させる。謁見の間から脱出し、その奥にある区画へ。この区画には、執務室、食堂、寝室といった王族専用の部屋が集まっている。一部の大臣が執務室まで入ることを許されているが、専属のメイドでもなければ掃除に入ることさえ許されず、警備兵ですらこの区画には立ち入れない。

 そんな場所だからこそ、城塞にはつきものの隠し通路がある。いや、あるはず、と友人は考えた。知らない。だが他には考えられない。ましてや王城に隠し通路がないなどという事はありえない。


「ここだ」


 果たして友人の予想は的中。途中から国王が案内を始め、寝室の壁にある本棚を操作して隠し扉を開く。


「お父様、どうしたのですか?」


「あなた? ずいぶん慌ただしいようだけれど……?」


 状況を知らない王妃と王女が、私室でくつろいでいた。

 優雅にティータイムのようだ。


「かくしかしかで、今すぐ逃げねばならん」


「まあ……!」


「大変……!」


 王妃と王女は、驚いたものの、すぐに逃げることを受け入れた。

 3人そろって隠し通路へ入っていく。

 ちなみに、王子は居ない。王女は一人っ子だ。国王夫妻はあまり子宝に恵まれなかった。



 ◇



 ――同時刻、ジョン・ランバー伯爵は、謁見の間に残っていた。

 その奥の区画のどこかに隠し通路があるはず。その事はランバー伯爵も予想しているが、果たしてどこにあるかは知らない。そして、それは反乱軍も同じだろうと予想した。いかな上級貴族だろうと、現役の王とその妻子でなければ知らされないはず。だからこそ――


「ここは通さん!」


 剣を振るい、魔法を放ち、反乱軍がその先の区画に入ることを阻止する。

 国王が隠し通路に入るまで。いや、その通路の入口が再び閉ざされるまで。

 それまで持ちこたえれば、たとえここで討たれようと、国王が逃げる時間を稼げるに違いない。反乱軍はノーヒントで隠し通路を探さなくてはならないのだから。



 ◇



 ――そう。つまりは隠し通路を「閉じる役目」が必要だ。

 隠し通路は、通路の中から閉じることができない。そのための操作レバーとかスイッチとかが無かった。建設当時の技術力が低かったせいで設置できなかったのだが、そもそもこんな状況は想定されていなかった。

 せめて近衛騎士団は全員味方という想定だった。その大半が城内に残って徹底抗戦し、その間に少数の護衛とともに脱出する想定だったのだ。それを今はわずか3人でこなさなくてはならない。


「父上……」


 通路の中から隠し通路を閉じる方法がないと分かって、友人は父を見た。

 問題は、2人のうちどちらが残るか。

 しかし友人は、父を説得できないことを悟っていた。父もまた、友人に何を言われようと絶対に応じない覚悟があった。

 ゆえに、視線が交わったとき、親子の顔には肉親の情よりも役割への覚悟が表れていた。


「……行け」


「ご武運を」


 万感の思いを込めて、一言ずつ。

 親子は互いに背を向けた。

 狭く暗い隠し通路に、入り口から差し込む光が細くなり――消えた。


「ライト」


 友人は照明の魔法を使い、国王たちを隠し通路の先へ導く。

 隠し通路は、王都の外にある墓地の地下へと通じている。ここの墓守は、代々その役目を密かに受け継ぐ一族なのだ。



 ◇



「――くっ……!」


 被弾。

 多勢に無勢ゆえ、致し方ないこと。ランバー伯爵は、自らの死が近いことを感じていた。このまま少しずつ削られるように死ぬだろう。だが、できるだけ時間を稼ぐ。もとより生き延びる道はないと覚悟していた。

 ここまで急転直下の事態が起きるとは予想もしなかったが、反乱軍との決着がつくまで領地に帰る余裕はないかもしれないとは予想していた。


 ――良かった。


 屋敷を出るとき、2人の息子を抱きしめた。

 妻の顔をしっかりと見た。

 言葉にはしなかったが、伝わったはずだ。その機会を得られた。幸運だ。戻ってくるつもりでいたら、あんな事はしなかった。蓋を開けてみればこの状況。あの時が最後だったのだ。己はそのチャンスを掴んだ。

 ならば。


「……あとは死ぬまで、陛下に忠誠を尽くすのみ」


 多くの貴族にとって口実や建前にすぎなかった綺麗事を、ランバー伯爵は本気で守ってきた。反乱軍に与する者たちが正気を失ったのは、友人とその父が正気を保っていたのは、その差であろう。

 次男はよき友人を得た。その父も良き人であった。未練があるとしたら、もっと早く知っておきたかったという事だけだ。忠誠のあり方について議論などしながら、一緒に酒でも酌み交わせれば、素晴らしい時間を過ごせただろう。


「ぐはっ……!」


 再び被弾。今度は深い。

 もう余裕がない。そろそろ時間稼ぎも十分だろう。ここからは防御を捨てて、1人でも多く道連れに――


「死ねぇ!」


 ――などと考えている最中に、致命的な追撃が迫る。

 マズイ。これは避けられない。防御……も間に合わない。喰らう覚悟で体をひねって、どうにか急所だけは避けなくては。


「ショックウエーブ!」


「「ぐはあ!?」」


 突然の魔法攻撃。吹き飛ぶ反乱軍。

 振り向けば、友人の父が戻ってきていた。


「待たせたな」


 覚悟を決めた男の顔に――


「構わんとも」


 ――もういいのか? とは聞かなかった。


「では、不忠者どもに鉄槌を」


「うむ。国王陛下に忠誠を」


 ただ並んで剣を構える。

 グラスの代わりに剣を掲げ、ワインの代わりに血を浴びる。

 堅物とそしられし伯爵が2人、最期にして最高の友を得た。いざ祝杯を――!



 ◇



「これにお入りください」


 墓守の家に案内された国王たちは、馬車に積まれた棺に入れと促された。

 この馬車も、死者を運ぶ専用のもの。つまり霊柩車だ。車体は幌馬車に似た形をしているが、幌ではなく、しっかりした壁と屋根がある。車体は光沢のある黒に塗られ、それを引く馬もまた黒い布で装飾されていた。

 通常は、本当に死体を入れて運ぶためのもの。棺の積み下ろしに便利なように、荷台の中央はローラーが並んでいる。そして普通は1つしかないはずの棺が3つあった。


「「分かったわかりましたわ」」


 常識的な先入観によって一瞬ためらったものの、今は時間がない。国王たちは素直に従って棺に入った。

 すぐに棺の蓋が閉じられる。


「中に墓守の衣装がございます。護衛の騎士様は、それに着替えてください。

 時間がございませんので、すぐに出発いたします。

 道中、何があっても動かれませんように」


「分かった」


 友人も霊柩車の荷台に乗り込んだ。

 奥に箱があって、その中に黒ずくめの衣装が入っていた。引っ張り出してみると、都合がいいことに、鎧の上からかぶるだけで簡単に装着できるマントのような構造。しかも下に鎧を着ていることが分からないデザインになっている。

 それが10着。本来は護衛の騎士も10人ぐらい居るはずとの想定ゆえだ。

 この時のために密命を帯びてきた一族――その準備の念の入れようは、半端ではない。


「……先祖代々、起きないほうがいいことに備え続けてきたわけか。

 彼らの忠誠は、近衛騎士より上かもな」


 友人は独り言ち、衣装を着込む。

 通常であれば、墓守がそれを着て、死者を迎えに行く。そして死体を積んで戻ってくるのだ。今回はその「迎えに行く」様子に偽装して脱出するわけである。

 すぐにガタガタと揺れ始め、馬車が移動を開始した。


「止まれ!」


 しばらく進むと、声がした。

 そして馬車が止まる。

 ガチャガチャと鎧の音を伴って、かなりの人数に囲まれたことがうかがえる。


「墓守か。どこへ行く?」


「へぇ。漁師町で土左衛門が出たそうで、そのお迎えに行きますだ」


「中を検める」


「へぇ。どうぞご存分に。

 ただ、荒らさねぇようにだけお願いしますだ。こんな仕事だもんで、祟られたくねぇですで」


「う……わ、分かっておる」


 魔法も呪詛も存在する。ゆえに祟るというのも、単なるオカルトではない。死者の怨念は、生きている呪術師には再現できないほど強力なものになる。自分が入るはずだった棺を荒らされた――土左衛門の亡霊がそう思ったら、距離も時間も関係なく、祟は降りかかるだろう。ビビるのも当然だ。

 お前が祟られるぞ、と脅すのではなく、その可能性に自ら思い至らせる。自ら思い至ったがゆえに、軽視も対抗心もなく不安や忌避感に支配される。大変な話術だ。

 会話が終わり、荷台の扉が開かれる。

 現れたのは、予想通り反乱軍だった。

 衣装の下で、友人は剣に手をかけていた。だが「動くな」という墓守の言葉を信じて、まだ動かない。この墓守は大したやつだ。信じるに値する。友人は祈るようにそこへすがった。

 すると反乱軍は、友人の姿が見えていないかのように振る舞い始めた。視線を巡らせて中を確認するものの、友人に視線が止まらない。


 ――姿隠しの魔道具か……!


 荷台にあるのは友人と棺だけ。視線が止まらないはずがない。見えていないのだ。

 友人はその答えにたどり着き、絶対に動かないようにしようと思った。衣装に姿隠しの魔法が込められているなら、棺にも同様の魔法が込められているはずだ。なにしろ王族を入れたのだから、護衛よりも厳重に隠して然るべき。

 だが国王たちはこの事に気づいていないはず。棺の蓋が開けられたとたんに動くかもしれない。己がバレていない、バレた喧騒が聞こえない事から推察してもらうしかない。だが、こんなにも少ないヒントから3人ともがその答えにたどり着くのは、あまりにも奇跡的だ。

 バレたら即動く。反乱軍を引き付け、馬車を逃がすしかない。


 ――父上、再会は近いかもしれません。


 覚悟を決めた友人の前で、順番に棺の蓋が開けられる。

 中には大量の花が入っていた。国王たちの姿が隠れている。さっきは無かったのに。幻影の魔法だ。

 反乱軍の兵士は、ガサガサとかき分けて確認するような事はしなかった。それをやると祟られるかもしれない。だが、やったとしても気づかなかっただろう。この幻影は、立体映像を生成するものではなく、脳に「花が存在する」という情報を与えるもの。ゆえに匂いや感触まで再現される。そして同じ原理で「人は存在しない」という情報を与えれば、たとえ触っていても気づかない。

 本来は、死者を棺に収めて、その後から花を入れる。その花は、弔問客から贈られた弔花を使うものだが、今回は「土左衛門を迎えに行く」と言った。弔問客もいなければ弔花も届かないのだから、花を用意するなら墓守が贈るしかない。3体同時に運ぶという不自然さも、土左衛門なら納得だ。効率化のために無縁仏にはそうするものだし、船が転覆して水死したなら、乗っていた人が何人かまとめて漂着することもあり得る。


 ――なるほど、このための……!


 入念な準備に驚く友人の前で、反乱軍は「ふむ……」と一言、棺の蓋を元通りに閉じた。

 国王たち――とりわけ年齢も経験も少ない王女が落ち着いて動かずにいられたのは、墓守が棺に施した工夫によるところが大きい。中に入った者に鎮静・勇気・防音などの魔法がかかる仕組みで、しかも幻影の効果を自覚できるように蓋の一部に鏡が付いていて、蓋を閉めると照明の魔法が発動するようになっていた。友人の心配は、すでに歴代の墓守たちによって予想され、対策されていたのだ。

 そして、ここまで明かされれば、国王たちも友人もその先が予想できた。漁師町で土左衛門が、と墓守は言った。これから本当に漁師町へ行くのだ。輸送船が出入りする港町ではなく、漁船が出入りする漁師町。出港するのに面倒な手続きは一切なく、まだ夜も明けぬうちに出港するのも珍しくない。

 船で海を行くとなれば、陸路と違って検問も置けず、発見されずに逃げ延びるその成功率はぐんと高くなる。あとは向かう先だ。船で行ける場所。それなりに兵力や資金力があり、しかも敵だらけの国内で今なお絶対に味方だと思える領主。


 ――ランバー伯爵領。


 あの父にして、あの次男であれば、長男も同様の忠義者である可能性は高い。

 もしそうでなかったとしても、次男ドラゴンスレイヤーを頼れば力ずくで制圧できる。

 馬車は漁師町へ。そして船に乗り換えた4人は、海をわたり、運河を遡上して、ランバー伯爵領へ向かうのだった。

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