第12話 Sランク(エピローグ)

 陛下に忠誠を認められた。

 嬉しすぎて頭が真っ白になり、その後どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 気づいたら翌日で、俺は実家のベッドで目を覚ました。


「……なんてこった……!」


 俺は顔が青くなるのを感じた。

 陛下の前では、陛下が「下がってよい」とおっしゃるまで、勝手に退室してはいけない。俺はちゃんと許可を得て帰ったのだろうか? それに、許可を得ていたとしても、それまでの間に何か会話があったかもしれない。マズイ……全く覚えていない。


「ち、父上……」


 朝食の席に、俺は幽鬼のようにフラフラと出ていった。

 着席するが、とても朝食など喉を通らない。


「どうした、ジャック? 顔が真っ青ではないか」


「それが……昨日のことを途中からまったく憶えていないのです。

 陛下の前で何か失礼があったのでは、と……心配になりまして」


「ははは! 大丈……いや、確かに失態といえば失態か」


 くくく……と父上は笑いをこらえるように言った。

 やはり失態を……! と俺はますます青くなるのを感じたが、しかしそれなら父上がこんなに笑いをこらえているわけがない。というか、母上も兄上も、同じように必死で笑いをこらえている様子だ。失態だというのなら、一緒に青くなっているか、俺に怒り心頭で真っ赤になっているか、どちらかでは……?

 わけが分からず、俺は戸惑うしかなかった。


「お前な、陛下に忠誠を認められた後、すぐに気絶したそうだ。

 近衛騎士がここまで送ってくれたぞ」


「は……? え……」


 へ、陛下の前で気絶? な、なんて事だ……!

 真っ青だった顔が真っ赤になるのを感じた。は、恥ずかしいぃぃぃ! 喜びすぎだろ、俺!? 陛下の前でどんな失態だ!


「心配するな。陛下も笑って許してくださった。

 むしろ感心しておられたぞ? 『忠誠を認めたら気絶するほど喜ぶとは、見たことも聞いたこともない。実に見事。比類なき忠誠である』とな。

 そのお言葉、わざわざ手紙にして、送ってきた騎士に持たせてくださった。私も父として見習わねばならん。陛下からのお手紙は、額縁に入れて執務室に飾らせてもらったからな。私もいつか陛下に忠誠を認められて気絶できるように励まねば」


 父上がやたらニコニコして言った。


「ち、父上ぇ~……」


 勘弁してくれ。なんてこった。

 思わず情けない声が出ると、母上と兄上がこらえきれずに吹き出した。



 ◇



 後日――

 実家では特にやることもなく、陛下の食客としては戦力が衰えないように努めることが責務となるので、俺は冒険者稼業に精を出している。今日も今日とて冒険者ギルドに来たのだが――


「おっ! 来たぞ、ジャックだ!」


 ギルドに入るなり、その場の全員から注目された。たまたまギルドにいた冒険者にまで、一斉に注目を浴びている。


「なんだ……?」


 こんなの、ドラゴンスレイヤーの称号をもらった直後以来だ。


「昨日、冒険者ギルド本部からの通知が届きまして、ジャックさんに『Sランク』の称号が与えられました」


 Sランク。それはAランクの中でも特に優れた冒険者に与えられる称号だ。

 正式なランクではないので、Sランクの仕事というのは存在しない。正式にはAランクのままで、受ける仕事もAランクのまま。だがSランクの称号を持っているということは、他のAランクとは一線を画するという明確な指標になる。

 これでますます俺の価値は高まり、パイプを作りたい連中が集まってくるだろう。今後は、俺が上位者にパイプを求めるのではなく、俺が上位者としてパイプを求められる側になったわけだ。


「冒険者証を更新します。

 古い冒険者証を提出してください」


「お、おう」


 首から冒険者証を外して、受付嬢に差し出す。

 そして受付嬢が、新しい冒険者証を差し出した。


「こちらが新しい冒険者証です」


 そこに刻印された「Sランク」の文字。

 材質は今まで見たこともない。おそらくオリハルコン並に貴重で頑丈な素材だろう。アダマントか? ヒヒイロカネか? あるいは、それらの合金か?


「おめでとうございます」


「「おめでとう!」」


 周囲から一斉に祝福の声が上がった。

 中には「新しいSランクの誕生に乾杯!」と早速飲み始めている者までいる。


「まいったな……。

 よし、ちょっと振舞い酒でもしなきゃ。貸し切りにできそうな酒場を探してくるか」


「いよっ! 太っ腹!」「よっしゃ飲むぞォ!」「任せろ、酒場の店主とはマブダチだぜ!」


 気の早い冒険者たちが、すぐに冒険者ギルドを飛び出していった。

 やれやれ、追いかけるか。

 場所が分かったら、エリンも呼ぼう。ドワーフなんだから酒は好きだろう。もっとも、仕事中には飲まない主義なのか、飲んでいるところを見たことがないが。



 ◇



「飲むに決まってるだろォ!? 分かってるじゃないかぁ~!」


 振舞い酒に誘ったら、エリンは見たこともないような嬉しそうな顔をした。

 エリンの「職人の顔」以外を初めて見た気がする。


「よかった。じゃあ、来てください」


「もちろんだ! 呼ばれなくても押しかけるよ」


 ニカッと笑うエリンに、俺は思わず頬が緩んだ。

 そして、そのことを自覚して、瞬時にいくつかのことが連鎖的に頭の中に浮かんでは消え、消える前にすべて1つの所につながっていった。


「……エリンさん」


「何だい、改まって? 『親方』と呼ばないってことは、仕事の話じゃないね?」


「その通り。あなた個人へのお願いがあります」


「何だい? 言ってみな」


「俺と付き合ってください」


「あん? どこへ?」


「いえ、『同行してくれ』という意味ではなく……」


「え? ……あ。え? はぁ!?」


 たちまちエリンの顔が赤くなった。

 え? 赤くなった? え? じゃあ、これは脈アリか? これからメリットをあげて説得するつもりだったのに。


「んんっ……! な、なんでそういう話になるんだい? 訳を言いな、訳を」


 あ、やっぱり説明は必要か。


「はい。理由は2つです。

 1つは、貴族的な事情。

 もう1つは、個人的な問題です」


「ふむ……? 1つずつ聞こうかね。詳しく」


 俺はうなずき、説明した。


「まず貴族的な事情ですが……これは、たぶんエリンさんにとって『面白くない話』になると思います。でも、俺はそういう生まれで、そういうものから離れられない立場だということを承知して聞いてください。つまり、この手の問題をクリアしないと、いくら好きになった相手でも付き合えないんです」


「ああ……政治的なパワーバランスとか、そういうやつかい」


 さすがエリン。ドワーフだ。子供のような姿をしているが、見た目通りの年齢ではない。近衛騎士たちを客にしていた事からも、その手の事情に配慮した注文を受けたことがあるのだろう。


「そうです。

 敵対派閥の人間とむやみに仲良くなっては面倒事の種になる。敵対までいかなくても別の派閥だと、あとで複雑な影響が出かねない。俺が次男なのもあって、兄との関係も考慮しつつ、もちろん身分が高すぎても低すぎてもダメ。他にも色々ありますが……エリンさんなら関係ない。

 平民だから派閥とかないし、公的な身分ではないにしても親方としての腕前で近衛騎士団に強い影響力を持っている。異性としても業者としても、付き合うには理想的な相手です。もちろん実力も高い」


「……たしかに、あんまり面白い話じゃないね。

 このあたしが、伯爵家の次男様に選ばれて喜ぶような権力志向だとでも?」


「もちろん、そうは思いません。

 でも、俺自身はそういう問題から離れられない。だから、まずこの問題をクリアしていることが前提になるわけで、これは『選んだ理由』ではなく『選んではいけない理由がない』という事です」


「ああ。……で、『選んだ理由』は?」


「それが『個人的な問題』です。

 これには『俺の問題』と『エリンさんの問題』があります。

 まず俺の問題ですが、強くなりすぎました」


 俺は作業用のナイフを取り出し、片手で軽く振ってみせた。

 パキッ、ベキッ。カラン。

 振ったときの急加速に耐えられず、ナイフは根本からポッキリ折れて真っ二つ。しかもグリップはうっかり握りつぶしてしまっていた。乾いた音を立てて、折れたナイフの刃が床に落ちる。


「人間が使うように作られた道具では、俺には普通に使うことさえできない。

 もう俺は、エリン・ゲシュタルトの作品なしでは日常生活が不便で仕方ない。もちろん全力で戦うには親方に頼んだ武具が不可欠です」


「なるほど。

 でもそれだけなら、別に異性として付き合う必要なないねぇ? お得意様ってだけの話だ」


 俺はうなずき、話を続けた。


「次にエリンさんの問題です」


 俺は工房にある作業用のテーブルを指でなぞり、エリンに見せた。

 テーブルをなぞった指先には、たまっていたホコリが付いている。


「ドラゴンの素材をやってから、でしょう?

 もう普通の素材では退屈で、やる気が起きない」


「…………」


 エリンは黙る。反論できないのは図星だからだろう。

 燃え尽き症候群というやつだ。しばらくすれば「仕事が手につかない」ほどではなくなるだろうが、以前ほどの情熱はもう持てない。


「もっと心躍るような素材を扱ってみたい。違いますか?

 たとえば、このような」


 俺は1つの物体を収納魔法から取り出した。

 最近ダンジョンの奥地で手に入れたものだ。未知の金属でできている。破壊できないし、加工する方法も不明だ。ドラゴンの鱗よりはるかに頑丈。こんなもので武具を作れたら、もうドラゴンの鱗は「人間の攻撃では通用しない」なんて言われないだろう。

 偉業だ。人類史に革命が起きる。エリンにとって、そんな素材に挑戦する価値は、燃え尽き症候群を塗りつぶすのに十分だろう。だがそれに成功すれば、成功したと知られれば、ドラゴンを狩って巨万の富を得ようとする者たちに狙われる。


「学術的な価値も、市場価値も、それ意外にも色んな意味でヤバい素材です。表に出せない。何かを作る素材に使えたとしても、それを実際に使ってみてどう、というフィードバックが得られない。

 でも、もし俺たちが交際していたら? 好き合う相手のところへ通いつめるのは普通のこと。誰も怪しまないでしょう。秘密裏に素材を渡して、秘密裏に作品を受け取り、試して感想を聞かせるには、都合のいい隠れ蓑だと思いませんか?」


「悪魔かい、あんたは……」


 エリンは笑っていた。

 俺が悪魔でも、エリンは魂を売り渡すだろう。そんな顔だ。

 答えはもう聞かなくても分かる。

 だから俺はもう、エリンを口説くための言葉を口にする必要はなくなった。代わりに語る。語って聞かせる。このジャック・ランバーには望みがあるのだと。


「いいえ。ただ俺は、そんなヤバい代物をせめて奥の手として持っておく必要があると思っています。そういうレベルの戦力を期待されている。ドラゴンスレイヤーとは、そういう存在です。

 食客として存分に陛下に忠誠を尽くしたい。それが俺の望みです」


「近衛騎士団はもうとっくにやめたのに? 今は自由な冒険者のはずだろ?」


「ええ。もう俺は、そういう生き方なんです。

 そして、俺の生き方にはエリンさんが必要です」


「分かったよ。

 あたしも、こんなザマじゃ他に生きる道もない。この先、あたしの客は近衛騎士よりも、あんたや国王陛下だねぇ。

 あんたもあたしも、近衛騎士団をやめても国王陛下に忠誠を、ってわけだ」

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