第2話
夢野は数学のテキストを並べ、コーラを飲んでいる。姫野は足を崩して、数学のテキストに向かい合っている。
「……どうですか? 姫野さん、どこまで進みました?」
と訊けば、姫野は黙ってテキストをこちらに向けた。
「大問4まで」
「へぇ、進むの早いですね。僕大問3が分からなくて」
「教えてあげましょうか」
隣に移動してきて、指差しながらヒントをもらう。説明が分かりやすくて、すぐに問題は解けた。ふわり、と控えめで甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。少しくらりとした。香水だろうか。
「姫野さん、香水つけてるんですか」
「いいえ。柔軟剤じゃない?」
服の襟をつまみ上げてすんすんと匂いを嗅ぐ姫野。
「私には匂わないわ……慣れたのかしら」
「そうかもしれませんね」
カチリ、と音を立てて、いつかの記憶の蓋が開きそうな気配がした。この香りを、いつかも嗅いだような気がする。それはいつのことだったか。思い出しそうで思い出せずもどかしい。
「早く終わらせてトランプしましょ! 頑張って!」
目を光らせて夢野が言う。彼女は早々に全部終わらせているのだ。生粋の理系め。文系には中々辛い作業であることを理解してない。
「ちょっと待ってな、夢野」
「待ちくたびれちゃうわ。あら修平、コーラ全部飲んだのね。おかわりいる?」
「ほしい」
「待ってて、注いでくるわ」
夢野が部屋を出た。姫野が僕をギロリと睨んだ。
「どうして来るのを断らないのよ」
「いつも夢野に数学教えてもらってんだよ。お前こそ、誘いに乗ってんじゃねーよ」
「あんたが来るって知らなかったのよ、お生憎様。……第一、なんでホストなんかやってるのよ。あんたがあの店で働いてさえいなければ、秘密を握られることもなかったのに」
「うちには金がねーんだわ、働いて大学資金稼いでんだよ」
「あ、そうなの。うちとは大違いね」
「親からの莫大な小遣いをホストに溶かしてるお前とはそりゃ違うね」
「ふん!!」
姫野はそっぽを向いた。
「……悪かったわよ、そんな事情があるなんて」
「いや……こっちこそ、なんか事情があるんだろ、高校生でホスト通いになるなんて、悩みとかなけりゃならないと思うし……」
「まーね……親があんまり帰ってこないのよ……」
高校生ともなりゃ、大抵の諍いはその場で解決する。しかし、親が帰ってこないのか。
「たまにこうやって3人で勉強会しようぜ。俺んちでいいなら来てもいいし。野郎の家が嫌だってんなら、ファミレスとか夢野んちとかでも」
「ありがと。……江藤くんって優しいのね」
頬をついた姫野の柔らかな視線に、思わずどきりとした。
「そうでもねーよ。……お前と夢野、仲良かったんだな」
「うん。前の席替えで席近くなってね。二人とも『ちびるな』が好きだったのよ」
ちびるなって、ゆるキャラか。女子がそういうささいなきっかけで急激に仲良くなるのは、素直にすごいと思う。
「お二人さん、仲いいのね」
夢野が盆にコーラの入ったコップを乗せて部屋に入ってきた。
「茶化すなよ」
「女子とろくに話もしない修平が、珍しいと思ったのよ。姫野さん、可愛らしいでしょ」
「そりゃまぁ……」
本人の前であけすけに可愛いとか言えるか。高校生の多感さ舐めんなよ。ごにょごにょと濁す俺を何故か夢野が見つめている。
「金糸雀、私、もう課題終わったわ」
微妙な空気感を察したのかどうかは分からないが、姫野が声をあげた。
「ほんと! じゃあ先に遊びましょ」
「ちょっと待ってくれ、大問5教えてほしい」
「自力で頑張りなさい」
「約束とちがう」
二人で写真を撮りだした。俺は頭を抱える。来世は数学のない国に行きたい。そんなところがあるのなら。
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