砂上の塔

第１５話 見守る羽（前）

　鉄柵に、ハイエロファントがゆっくりと近づいていく。二つの玻璃を同時に望める場所に、最後の鍵はあった。円柱形の台座の上に、白い半球体が取り付けられている。

　みんなが見守る中、兄の右手が半球体に添えられる。鍵は太陽を象っているらしく、赤く輝いた。球体が台座の中に埋め込まれる様子が、自分の位置からでも、かろうじて確認できる。

　半球体は、完全に姿を消した。しかし、どこかの扉が開くことも、音がすることも無かった。

「何も、起きない？」

　自分の腕にすがりついたままのラバーズが、不安そうに周りを見回す。自分も、生唾を飲み込んだ。嵐の前の静けさのようで、不気味に思える。

「いや。もう、起こっているよ」

　ハイエロファントがこちらを振り向いた矢先に、それは起こった。

　突然、デスがうめき声を上げて、床に倒れ込んだ。両腕で自身の体を抱えるようにしながら、転げ回る。

　彼を心配してしゃがみ込んだエンペラーも、そのまま崩れるようにして、両手を床についてしまった。

「実験に参加した研究員を全員、ここに連れてきてある。塔の内部が、こんな感じだ」

　塔の内部。その単語が引っ掛かって、顔を上げた。

「デビルはっ？」

　ラバーズの手を振りほどくと、階段へ駆け寄ろうとする。しかし、強い揺れに襲われて、ままならなかった。手すりにしがみついて、なんとかやり過ごそうと試みる。

　ところが、揺れは一向に収まらない。

「崩れるっ」

　脳裏に、塔に刺さった鉄の塊が過ぎった。

「まさか、あの破片のせいで」

　激しい揺れは、ジャスティスが入っている玻璃に、大きなひびを入れた。途端に、液体が漏れ出す。圧力に耐えられなくなった玻璃は、音と共に割れた。中から飛び出してきたジャスティスを、エンペラーがかろうじて受け止める。

　そんな彼等をあざ笑うかのように、床が割れた。咄嗟に避けたハイエロファントとエンペラー親子の間には、深い溝ができる。揺れのせいで、溝は徐々に広がっていった。

「ファントッ。デスを頼むっ」

　エンペラーはジャスティスを傍らに下ろすと、体を折り曲げて苦しんでいるデスを抱えて、ハイエロファントに向かって投げた。慌てて受け止める体制に入った彼もろとも、床に倒れ込む。

　溝の向こう側の床は、エンペラーとジャスティスを乗せたまま、下へと崩れ落ちていく。

「エンペラーッ」

　上半身を起こしたハイエロファントが、悲痛の声でおじを呼ぶ。

　自分も、泣き叫びたいほどの心の痛みがあるが、今はそんな余裕も無い。

「立って、兄さん。ここも危ないわっ」

　ラバーズと協力して、兄を引き起こす。彼がデスを抱え上げたことを確認すると、いまだに眠り続けるジャッヂメントを見て、走り出した。

　もう、彼の映像は、姿を消していた。

　真っ直ぐに伸びる階段を駆け下りて、踊り場に描かれた世界を踏みつけて通り抜ける。上の階にいた時よりは、少しだけだが揺れが弱まっていた。これなら、螺旋階段も下りやすい。

　更に階下へ走ると、ハングマンとデビルとフールの３人は、この揺れの中でもまだ対峙し続けていた。１対２でも怯む様子が無いハングマンは、信念の強さを感じさせる。

　一触即発の空気を壊したのは、意外にも、ハングマンその人だった。兄の姿を認めた彼は、厳しい顔つきをして一気に詰め寄った。

「これは、どういうことだ？　永遠の命の技術があるどころか、塔が崩れかけているじゃないか。答えろ、ファントッ」

　怒りに震える彼に対して、ハイエロファントは静かに口を開いた。

「ここにあるのは、永遠の命の技術を絶つ術だけだ。研究所も、いずれは塔も、壊すつもりでいた」

「なぜだ？　俺は、おまえに生きていてほしいのに。なぜ、おまえ自身が邪魔をする？」

「私なら、こうして生きているだろう？　それとも、私にずっと玻璃の中で眠っていろと言いたいのか？」

「ちが、う」

「違うなら、もう終わりにしよう。ここは危ない。外に出よう」

　伸ばされたハイエロファントの右手を、ハングマンは振り払った。首を何度も横に振る姿は、駄々をこねる子供のように見える。

「違うっ。うまくいけば、人形のように、こいつらのように、自由に動き回れるはずなんだっ。研究は、まだ終わらないっ」

「うまくいかなかったら、どうするんだ？」

　ハイエロファントは、「いいや」と軽く首を振ってから、改めてハングマンを見据えた。

「私だけ、うまくいったら、どうするんだ？　私に、君のいない世界で、１人生きていけと言うのか？」

　兄は、ハングマンにより刺さる言葉を選んだのだ。ハングマンは衝撃を受けたように、見開いた目をそのままに固まっている。

　また、大きな揺れが襲った。下りてきた階段が壊れ、壁が崩れる。

「兄さんっ」

　ハイエロファントの頭上にある壁の一部に、亀裂が走ったのが見えた。しかし、ハイプリースティス自身も転んでしまい、悲鳴を上げることしかできない。

　兄が、降ってくる壁の一部を確認しようと振り仰ぐ。しかし、それより早く、ハングマンが彼の肩を強く押して、逃がした。

「ハング」

　自ら壁の下敷きとなってまで助けたハングマンの愛称を、ハイエロファントは座り込んだまま小さく呟いた。

「行こう、ファント。君まで犠牲にしたら、ハングに合わせる顔がない」

　フールが腕を引っ張ることで、ハイエロファントを立ち上がらせた。２人とも、辛そうな顔をしている。それを見て見ぬふりをして、先を急ぐ。

　階段を下りる途中で、デスと同じように苦しんでいるはずのデビルの顔を、ちらりと見上げた。

「僕は、大丈夫だよ」

　笑うデビルは、一見しただけでは彼の言葉の通りに見える。それでも、額には玉のような汗が浮かんでいた。

　平時であれば、様々な傷を負った彼等を休ませてあげたい。しかし、今は足を止めるわけにはいかない。地上まで、あと半分の距離が、とてももどかしく思えた。