第12話 再会(後)

 ◆◆◆


「ごめんね、エステス。怖い目に遭わせた」


 しばらく自由落下をしていたものの、今は空中に留まっている。望まない能力を手に入れてからというもの、何かと活用させてもらってはいた。けれど、今ほど持っていて良かったと実感したこともない。

 自分の肩口に顔を押し付けたままのハイプリースティスの髪を、なぐさめるように優しくいてやる。謝罪の言葉にゆるく首を振って否定する彼女に、苦笑が漏れた。人の群れと敵対することも、空を落ちることも無かった彼女にとって、言いようもない恐怖感があっただろうに。


「あ、フールたちも無事に脱出できたみたいだ。今頃、ファントたちも大忙しのはずだよ。時間は充分に与えてあるし、次に向かうべきところも示した。彼等が着く前に、僕たちも塔に向かおう」


 自分は今、遥か下に存在する地面と平行になっている。仰向けの状態の上に、抱き合うようなかたちでハイプリースティスがいる。これはこれで彼女を落とす心配もないし、嬉しい状況なわけだけど。


「このまま前進するのは、ちょっと間抜けに見えるかな?」


 できないわけではないが、傍から見たら、おかしな光景かもしれない。

 背筋を伸ばして首を反らし、塔の位置を確認する。前方に、見覚えのある姿を確認した。


「前に、ホイールたちがいる。意外と早かったな。エステス、ちょっと速度上げても良いかな? まあ、僕はこのまま、ここで抱き合っていても良いんだけどね」


 途端に、背に回された手に力が込められる。怒ったかと思ったが、違った。小刻みに震える肩と、くぐもった声。笑っているらしい。

 それを了承だと受け取って、仰向けのまま速度を上げて飛ぶ。涙に濡れた服には構わない。

 自分は、どんな鳥よりも速く飛ぶことができる。あっという間に、砂煙を上げて疾走するホバーカーに追いついた。


「ホイールー」


 振り返って、ぎょっとした顔をしたのは、名前を呼ばれた張本人ではなかった。


「な、何やってるんだよっ?」


 目を丸くしたデスが、叫ぶ。後部座席にいるのは、彼とエンプレス。あと1人くらいなら、座ることができそうだ。


「研究所から、落ちてきたんだよ。それより、そこ空けてくれる?」


 デスがエンプレスに身を寄せて、場所を空けてくれる。自分とハイプリースティスの位置を入れ替えると、彼女を横抱きにしたまま座席に飛び込んだ。


「うーん。やっぱり、ちょっと狭かったかな」


 苦笑する自分に、ハイプリースティスは耳まで赤くなりながらも、しがみついている。恥ずかしくて顔を上げられないというのもあるだろう。離そうものなら、ホバーカーから転がり落ちそうだ、ということもあるだろう。


「で? 落ちたって、どういうこと? みんなは?」


 質問するのは、さっきからデスばかりだ。エンプレスは、まだ状況が分かっていないのかもしれない。

 ホイールは、先が読めていたのか、運転に集中しているだけなのか、後部座席を見ることをしない。もっとも、自分たちが乗り込みやすいように、速度を緩めてはくれたが。


「とりあえず、さっきプロペラ機が、塔に向かって飛んでいくのが見えたから、フールたちは無事だね。レンも、ちゃんと助けてきたよ」


「そっか、良かった。研究所の使いも、だてじゃないんだね」


 デスは、なんて素直な子供なのだろう。再び、苦笑が浮かんだ。


「まあね」


「研究所の使い、ですか。久し振りですね」


 不意に前の座席から声がして、目が丸くなる。どこかで見た頭だとは思っていたが。首だけで振り向いた青銀の髪の男の足は、固定されたままだ。


「無理するなって、言ったじゃないか」


「痛みが無い、とも言いましたよ」


 穏やかなほほ笑みが、悪趣味にも見える。大人は、どうしてこうも素直ではないのだろう。


「ワンド教授っ!?」


 ようやく顔を上げたハイプリースティスは、聞き慣れた声の主を確認して、驚きのあまり体をらせた。ホバーカーから落ちてしまわないように、背中を支えてやる。素直な反応も、時には困るかもしれない。


「教授、絶対安静って。動いても、大丈夫なんですか?」


「ええ。足が不自由ではあるのですが、隙を見て、病室から出てきてしまいました」


「隙を見てって」


 ワンドの声は掠れていて、顔も青白い。痛み以上の苦労もあるのだろう。

 来てしまったものを今更問うても無駄だと思ったのだろうか。ハイプリースティスは一度息を吐くと、話題を切り替えた。


「そういえば、研究所で、兄さんに会ったんです」


「そうですか。やはり、彼は抑え役になっていたんですね」


「やはりって。知っていたんですか?」


 ワンドが、空を見上げる。


「薄々は。だから、迎えにきたんですよ。私たちのために、研究所に居続ける彼を」


 研究所を見ると、だいぶ高度が下がっていた。どのくらいの時間を、ハイプリースティスと2人で宙に留まっていたのかは、分からない。しかし、既に爆発が始まる時間を過ぎてはいるのだろう。

 研究員の中には、こんな自分にも良くしてくれた人もいる。彼等は、逃げ出せているだろうか。

 ハイエロファントは、無事だろうか。

 そう考えている合間にも腹に響くような大きな音がして、研究所が目に見えるほど傾いた。心臓部から黒い煙を吐き出しながら、塔よりも少し東にずれたところに落下していく。


「白い鳥が、落ちる」


 呟いたデスの腕に、エンプレスがしがみついた。彼女は爆発音が聞こえているだけで、何が起こっているかを把握しきれていないのだ。


「永遠の命の研究で、エステスの家族は散り散りになった。罪の意識を引きずったままだった、ジャッヂメント。研究の鎖に繋がれた、ジャスティス。実験台にされた、エンペラーにデス。研究所に執拗しつように追われた、ファント。ラバーズも、研究所にさらわれかけたところをフールが保護した。ファントは、ハングマンが暴走するのを防ぐのと同時に、二つのことをしようとしていたんだよ」


 言葉を切って、ハイプリースティスの顔を見る。涙に濡れた瞳が、輝いて見えた。


「一つは、残された家族を、君を守ること。ファントは下の姉妹の中でも、特に君のことを、ずっと、ずっと気にしていた。僕はハングのお使いをする一方で、ファントに代わって君を見守り続けてきた」


「やっぱり。白い鳥は、あなただったのね」


 彼女の言葉に、笑みが零れる。


「もう一つは、永遠の命の技術を封じること。ペンタクル・エースを落としたのも、ファントの考えあってのことだ」


 ハイエロファントが仕掛け、自分が作動させた爆弾によって心臓を失った巨大な鳥は、上空で爆発炎上。破片が砂の中へと、次々に落下していく。


「随分と、派手な考えだよね。犯罪、一歩手前じゃないか」


「と言うより、犯罪よね? 誰かが訴えたら、の話だけど」


 デスの言葉に、ハイプリースティスが小首を傾げる。

 実際に、脱出した研究員たちが法に訴えることは、きっとしないのだろう。彼等の多くは面倒なことを嫌うし、研究内容によっては己の身も危なくなる。万が一訴えたとしても、いかにも怪しい自分のことは疑っても、『善』の部分を支えていたハイエロファントを疑うことはない。

 第一、この島では自治領主であるフールが法だから、訴えが受理されることもないはずだ。


「ハングの命令で、ジャスティスと親しい間柄だったレンをさらった。けど、塔に詳しい人物なら、ずっと彼の傍にいた。ファントだ。彼は塔が建って以来、どこか上の空だった。いや、迷っていたんだ。彼は優しいから、僕たちやジュニアのことで悩んでいた。なぜなら、あそこにこそ、永遠の命の技術を絶つ方法があるから」


「なぜ、そう思うの?」


「最初は、勘でしかなかったけど。ホイールの話で、確信に変わった。言ったじゃないか。ホイールが、ある時点から先が見えないって。それがホイールの死を示していないなら、考えられるのは、もう一つ。副作用が無くなる時だ」


 はっとして振り向かなかったのは、運転しているホイールだけだった。


「なるほどね」


 ワンドが、重い息と共に呟いた。彼でさえ、すべてを知っているわけではないのだ。


「副作用が無くなる。つまり、永遠の命の技術を断つ方法が、あそこにはあるのね」


「可能性の話だけどね」


「行きましょう。どのみち、ハングマンより早く着かないと、面倒なことになることだけは確かだわ」


 ハイプリースティスの言葉を受けて、ホイールが操るホバーカーの速度が上がった。風圧のおかげで、舞い上がる砂の量が増える。

 屋根の無いホバーカーの上。しかも、自分たちは後部座席にいる。服で顔を覆って、なるべく砂を吸い込まないようにしなければならない。

 まったく。どいつも、こいつも、無茶をする。

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