第11話 白い鳥(前)
デビルより更に上にある黒い影が、徐々に近づいてくる。円盤に、羽と長い首と尾が付いている。その姿は、鳥と比喩されるのに、ふさわしいものだった。
薄い雲を抜けて、研究所より高く飛び上がる。地上からは黒くしか見えていなかった空飛ぶ研究所は、光の中で見ると、大きな白鳥だった。
「こんなに、でかいのか」
思わず、といったように呟いたテンパランスに、エンペラーが応じる。
「ああ。小規模の町と同じくらいの広さはあるな」
広さもそうだが、きっと人数も施設も、一つの町に劣らないものを抱えているに違いない。その中で動き回るのは、苦労しそうだ。
「尾は、道路のように見えるけど」
「あれは、滑走路だね。背中の部分が、飛行機の格納庫になっている。地上への移動手段が飛行機しかないのは、彼等も同じだからね。格納庫に入れば、そこから研究所の内部に入れるはずだ」
フールの言葉に、ハイプリースティスの喉が鳴った。緊張で、わずかに鼓動が速くなる。
デビルの手引きで、格納庫へは問題なく入り込むことができた。格納庫には回転台が付いていて、飛行機の向きもすぐに変わる。目の前には滑走路が広がっていて、いつでも飛び立つことができる状態だ。
「これからのことだけど」
プロペラが完全に止まり、フールが窓を開いたところで、デビルが声を掛けてきた。
「いくら研究熱心だからといっても、静かすぎる。フールは、いつでも飛び立てるように、ここに残った方が良いと思う」
「そうだね。一応、みんなには、これを渡しておこう」
フールは足元を探ると、後部座席にいる自分たちに、それぞれ武器を投げてよこした。手の中のものは、冷たくて、重い。
「エンペラーとエステスは、レーザー銃。ランスのは、レーザーナイフ。くれぐれも、飛行機の中で作動させないでくれよ」
念を押されたテンパランスは、いそいそと飛行機を降りてから、レーザーナイフを起動させた。赤い光が、柄の中から現れる。
「レーザー銃は、上のボタンを押すとスコープが飛び出るから。それに照準を合わせて、引き金を引くだけで良い。30回まで撃てるようになってるから」
「分かったわ」
頷くと、飛行機を降りたテンパランスに代わって、デビルが隣りに座った。
「ここは、中央棟の最上階。レンがいるのは、1階の左翼棟。くれぐれも、頭部には近づかないこと。あと、中央棟の3階も、足早に抜けてほしい。ここに、ハングマンが篭ってることが多いんだ」
研究所の内部は想像がつかないが、とりあえず強く頷いておく。
デビルとエンペラーは、顔が知られてしまっている。自分とテンパランスも、なるべく所員たちと出くわさない方が良いだろう。少なくとも自分は、新人です、と偽れるほどの演技力は無い。
「2人は、エンペラーか僕の指示に従うこと。昔から設備の配置は変わっていないから、万が一のことがあっても、エンペラーに付いていけば大丈夫だよ」
デビルは、聞き捨てならない言葉を吐いた。
「デビルは、どうするの?」
軽く睨んでやると、彼は笑った。なぜか、とても悔しいと感じる。
「僕は、ここの使いだからね。いくらでも言い訳できるさ。じゃあ、行くよ」
まだ憮然としている自分の手を、デビルが取って、引っ張る。デビルの力で、ふわりと飛行機から降ろされる。それから、無理やり走りだされたことで、決行となった。
立つ足音には構わずに、狭い階段を駆け下りる。広い廊下に出る前に立ち止まったデビルは、辺りに人がいないことを確認する。いないと分かると左に折れて、更に走る。追い詰められる危険性が高い昇降機は使わずに、階段をひたすら下りていく。
中央棟を抜け、左翼に到達した頃には、すっかり息が上がってしまっていた。運動不足の体には、辛い。
「これだけ静かだと、逆に不安だけど」
テンパランスの言うことは、もっともだ。左翼に着くまで、階段に白い壁、天井と床くらいしか見ていない。研究員たちが100人以上いるはずなのに、1人も出くわしていないのだ。
「ハングマンは、既にこちらの動きに気付いているかもしれないな」
エンペラーが、呟いた。
もし、そうだとすると、撃ち落とせるはずの飛行機を放っておき、ストレングスに近付きつつある自分たちを捕まえようともしていない、ということになる。泳がせている、ということだろうか。考えが見えないだけに、少し怖いものがある。
不安に感じている内に、デビルがある部屋の前で立ち止まった。その部屋の入り口には、フールの飛行機がしまわれていた倉庫で見たものと同じような機械が貼りついている。
「パスワードが必要だな」
「まいったな。これ、僕も知らないんだけど。こんなの、付いてたっけ?」
首を傾げるデビルは、いまだに余裕を感じさせる笑みを浮かべている。このような時でさえ、彼は状況を楽しんでいるようだ。
「これって、間違ったらどうなるんだ?」
テンパランスの問いに、デビルが「うーん」と少し唸る。
「開かないうえに、警報機が鳴るんじゃないかな? だから、わざわざ人を配置しておく必要がないのかもしれないね。あいつの趣味は、悪いな」
あいつ、とは、もちろんハングマンのことだろう。
「じゃあ、壊したら?」
「開くけど、やっぱり警報機が作動するんじゃないかな?」
「じゃあ、壊した方が得じゃないか」
驚くほど単純に結論を出したテンパランスは、止めに入る前にレーザーナイフを起動させて、機械を壊してしまった。途端に、警報機が鳴りだす。
「うわー。なんだか、すっごく楽しいことになったね。なんで、後のことを考えないのかな?」
「だって、こっちの方が速いだろ」
馬鹿にするデビルを、テンパランスが睨んでいるが。
「これで人が来たら、上に行くのも一苦労ね」
「1人残っているフールのことも、気がかりだな」
自分とエンペラーの冷静な発言に、彼はようやく事態を察して、青ざめた。
「うわ、ごめんっ。誰か、止めてくれよっ」
「そんな間も無かったわ」
「やってしまったものは、しかたがない。早く、レンを助けだそう」
実のところ、これで良かったのかもしれない、とも思うのだ。むしろ、正しいパスワードを導き出した時こそ、散々な結果になっていた気がする。
話を聞いた限り、ハングマンは執着心が強く、かなり頭が良い人物のようだ。単純な解決方法こそ、彼にとっては思いもよらないことになるだろう。
エンペラーも、同じ考えなのだろうか。部屋に飛び込む横顔は、焦りの色が少しも見えなかった。
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