第10話 行動開始(後)

 林を抜けたホバーカーは、広い庭を横切り、屋敷の横を通り過ぎて、裏手にある倉庫に横付けされた。


「本当は、屋敷の中に案内したいところだけど。今は、そんなことも言ってられないからね」


 屋敷も圧倒される大きさがあるが、倉庫も大きい。テンパランスの家、1軒分くらいの大きさがある。

 両開きの扉に付けられたボタンを、フールが素早く押していく。すると、彼の身長の2倍以上の高さがある扉が、ゆっくりと横に開いた。


「少し避けておいてもらえるかな?」


 フールの言葉に従って、入り口の脇へと移動する。彼が中に入ってしばらくすると、地響きのような音がしだした。音が近づいてくると、風も感じるようになる。風は徐々に強くなっていき、押さえていないと裾がめくれ上がるほどだ。

 そのうち、機体の一部が姿を現した。前方には、巨大なプロペラが付いている。


「おおっ。かっこいいっ」


 ついに機体のすべてが現れて、テンパランスが歓喜の声を上げる。


「そっちから上がって」


 小さく開けられた窓から、フールが叫ぶようにして言う。その声すら、プロペラが回転する音のおかげで、随分と小さく聞こえた。

 彼の指示に従い、備え付けの金属の梯子を伝って、機体に乗り込む。


「思ったより狭いのね」


 プロペラが巨大な割に、中はホバーカーと同じくらいの座席幅しかない。むしろ、天井に圧迫感があって、窮屈に感じるくらいだ。特に、今まで乗っていたフールのホバーカーが高級車だったこともあって、飛行機の座席が粗末に感じてしまう。


「かなりの年代物だからね。チャリオッツという機種で、これでも欲しい人は、あのホバーカーの倍以上の値段を出すほどだよ」


「今では、製造中止となっているからな」


 フールとエンペラーの言葉に、自分とテンパランスは「へえ」と呆けたような声しか出すことができなかった。

 自分たちには、この価値がよく分からない。逆に、年長者であるエンペラーには分かるようだ。横顔が、嬉しそうに見える。

 デビルが前方にあるガラスを軽く叩いて、先に飛び上がる。


「じゃあ、僕たちも行くよ。ベルトを締めてくれ」


 フールは後部座席を1度確認すると、デビルと充分な距離が取れたところで機体を前進させた。倉庫から出す時よりも、速度が上がっている。一瞬だけ機体が揺らいだかと思うと、背もたれに体を押し付けられた。

 軽い圧迫感と共に、景色が変わる。前方は、薄い青一色に染まる。横を見れば、木々が斜め下へと流れていった。


「すごいっ! 飛んでるっ! 俺、こんなに高く飛んだの、初めてだっ!」


「私もよ」


「そりゃ、飛行機だからね」


 興奮を隠せずにいると、フールに苦笑された。


「こんな景色を、デビルはいつも見ているのね」


 飛行機の前を単身で飛ぶ、デビルの背中を見た。白い服をはためかせて、こちらを振り向きもせずに、真っ直ぐに天へと向かっていく。その姿は、まさに天上の使いだった。

 陽の光に反射する彼の白い髪が眩しくて、こっそり目尻を拭いた。


 ◆◆◆


 ホイールが向かった先は、森の東端にある小さな集落だった。その集落にある停留所の長椅子に、デスと3人で腰を掛けている。


「ねえ、ホイール。こんなとこで、何やるの?」


 デスが両足をぶらつかせるから、長椅子はずっと小刻みに揺れている。


「人を待つんだよ。ここが1番、港に近いからね」


 さっきから、車輪が土を踏みしめる音が、耳に届いている。それは、段々と近づいてきているようだ。

 誰を待っているかは知らないけれど、それにホイールの目的の人が乗っていると良い。早く、お姉ちゃんのところに行きたいから。


「来たよ。あの馬車に乗っているはずだ」


 普通の人にも、確認できるようになってきたみたいだ。馬が歩く音が、更に大きくなっている。あと、もう少しで止まるだろう。

 30歩。15歩。1歩。

 馬が鼻息を大きく吐く音と共に、馬車は止まった。中からする声に、思わず「あ」と声が出てしまう。とても、よく知っている人の声だ。


「やあ、エンプレス。迎えにきてくれたんですか?」


 柔らかい、大好きな声が、頭の上からする。


「ワンドおじさん。ソードお姉ちゃん」


 声を掛けると、温かい手が髪を撫でてくれた。


「お久しぶりです、ワンド教授。そちらは、お嬢さんですか? はじめまして。僕は、ホイールと申します。こちらは、デスです」


 薄い視界で、ホイールが手を差し出したことが、かろうじて分かる。ワンドが軽く握り返して、頷く気配がした。


「お久しぶりです。デスのことなら、知っていますよ。エンペラーとジャスティスの息子でしょう?」


「おはようございます。はじめまして」


 デスの声が、硬い。緊張しているみたいだ。


「さっそくで申し訳ないのですが、これから塔へ向かいます。お嬢さんは、私の屋敷でお待ちいただけますか? できれば、妹の相手をしてやっていただけると、ありがたいのですが」


「ええ。私でよろしければ、喜んで」


 ソードは、快く引き分けた。しかし、なぜかワンドの周りの空気が重くなる。


「どうしたの? ワンドおじさん」


「いえ。ホイール。ジュニアは、?」


 問われて、ホイールはとても驚いたようだった。


「はい。いても、邪魔になるだけでしょうから」


 そう答えた彼の声音は、泣き笑いしているかのようだった。

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