第10話 行動開始(前)
ハミット島は、大陸よりも平均気温が高い場所のはずだ。それなのに、空気が冷たい。昼間と夜間の温度差が、かなり大きいようだ。
「これから島に来る時は、上着を持参した方が良いよ」
「ええ。ぜひ、そうするわ」
ホイールの言葉に、マジシャンから借りたストールに包まりながら応じる。
「デス。エンプレスを、よろしくね」
頷くデスは、今にも寝てしまいそうだ。彼の隣りに座るエンプレスも、眠そうに目を擦っている。2人は、借りた毛布を頭の上から被っていた。これなら、屋根が無い車でも、多少は寒さをやり過ごすことができるだろう。
2人とホイールは、森の向こう側へと引き返すらしい。そのため、1番早い出発となった。
年少の2人が出ていくのに、保護者がゆっくり寝ているわけにもいかない。ラバーズとエンペラーも同じ考えだったらしく、マジシャンと4人で見送りのため庭に出たのだった。
見送り組の他の3人は長袖を着ていて、少しうらやましく感じる。
「何をしに行くのかは知らないが、頼んだぞ」
結局のところ、ホイールの目的が何かは聞かされていない。知るのは、ホバーカーの運転席に座る未来視ただ1人だ。
「そっちこそ、頼んだよ。エンペラーたちが、1番大変なんだから」
「分かっている。少なくとも、俺やフール。それにデビルは、あの鳥の厄介さを知っているからな」
「私も、気を引き締めていくわ」
上に行けば、兄に会えるかもしれない。けれど、そこで浮かれるわけにもいかない。周りは、敵だらけなのだから。
「そうだね。マジシャンも、よろしくね」
「分かってるわ」
マジシャンは、艶やかな紅を引いた唇で笑んだ。それだけで、同じ女性から見ても、随分と色っぽく見える。
「それじゃあ、各自の成功を祈っているよ」
ホイールは、テンパランスの家にあったホバーカーを起動させる。走り出した車は、たった数秒で、門の向こうへと消えてしまった。
「さあ、私達も朝食を終えたら、出発するわよ」
マジシャンに促されて、屋敷の中に戻る。そのまま居間に向かうと、フールがジュニアに淹れてもらったお茶を堪能しているところだった。朝日を背にした彼は、とても優雅で高貴に見える。ハミット卿から無理に譲られた地位だということだが、そうとは思えないほど様になっていた。
「おはよう」
ほほ笑む彼の目の下には、薄っすらと隈ができている。
「おはよう。枕が合わなかったかしら?」
「いいや。隣りの部屋が、あまりにもうるさくてね」
フールが苦笑いを浮かべるのも、無理はない。三つ隣りの自分の部屋にも、言い争いが聞こえてきたのだから。
ちなみに諸悪の根源はと言えば、いまだに起きてきていない。
「そろそろ、起こしにいった方が良いかもしれないわね」
マジシャンが上の階へ行こうと1歩踏み出した時、壁に何かがぶつかる音が聞こえた。思わず、天井を見る。何を言っているのかまでは聞き取れないが、怒鳴り声と鈍い音が続いている。
どうやら、枕投げが始まったらしい。
「起こす必要はないみたいだね」
「止める必要はあるでしょうね」
長いため息を吐いて、マジシャンが居間から出ていった。
昨夜も、「同じ部屋は嫌だ」だの、「いびきがうるさい」だの、「そっちの枕の方が良い」だのと、子供の喧嘩のようなやり取りを繰り返していた。その度に、マジシャンかエンペラーが止めに入ったのだ。
「朝から元気だな」
ぼやくエンペラーも、さすがに眠そうだ。
この中で眠そうにしていないのは、ジュニアくらいだろう。朝食の準備のために、彼女は1人で動き回っている。鼻歌を歌いながらの作業は、とても楽しそうだ。
「この組み合わせで上に行って、本当に大丈夫なのかしら?」
「不安でも、行くしかないよ。待ってるだけじゃ、どうにもならないからね」
問うと、フールが困ったように笑う。確かに、彼の言う通りだ。動かなければ、何も変わらない。
マジシャンの鋭い声と共に、十数回目となる喧嘩がようやく終わったのだった。
◆◆◆
「それじゃ、塔で会いましょう」
軽く手を振ってから背を向けたマジシャンは、ラバーズと共に車庫に入っていった。彼女達は、いち早く塔へ向かい、外側から調べることになっている。
「じゃあ、僕達も出発しようか。1番、大変だからね。みんなを待たせるわけにもいかないし」
鳥を目指す自分たちは、フールが乗ってきた幌付きのホバーカーに乗り込んだ。
「うわ。いかにも高級車って感じね」
座席に厚みがあり、座り心地も良い。計器は、他のホバーカーに比べて文字が大きく、液晶もはっきりとしていて、より見やすい仕様となっている。更に、操作機器のいたるところが、金属で縁取りされて輝いていた。
「僕は、あまり気にする方じゃないんだけどね。それなりの車に乗っていないと、変な目で見てくる人がいるんだよ」
「自治領主様も大変なのね」
肩を竦める自分の横で、テンパランスが嬉しそうに笑う。
「おっ、今回もエステスの運転じゃないんだな」
「どうして、そこで喜ぶのかしら?」
テンパランスを横目で睨むと、助手席に座るエンペラーに宥められた。彼は更に、ホバーカーの傍らに立っているデビルに問いかける。
「おまえは、ホバーカーの速度に付いてこられるのか?」
「もちろん。まあ、あまり飛ばさない程度にお願いできたら、こっちも楽かな」
「じゃあ尚更、エステスの運転じゃなくて良かったな」
「エステスの運転も、おもしろそうだけどね。遊具として」
「だからっ」
あれだけ喧嘩を繰り返していた2人が、息を合わせてからかってくるのだから、堪ったものではない。反論しかけたところで、フールにまで笑われた。
「もうそろそろ、出発しても良いかな?」
「ええ、どうぞ」
マジシャンが操る車より遅れて発進したホバーカーは、坂を下り、中央通りを横断し、再び坂を上る。そのまま坂を上りきり、街を出たところで速度を上げた。
速度の変化があっても、上り下りがあっても、揺れは無い。音も、静かなままだ。高級車ということもあるが、運転手の腕が良いのだろう。
程なくして、街を囲むようにしてある林の中へと入っていく。木漏れ日の中を走って、しばらくすると、大きな屋敷が見えるようになってきた。ホイールの屋敷より、更に2周りほど大きい。
「あれが、フールの屋敷?」
「そう。元は、ハミットとジュニアの屋敷だよ。ジュニアは思い出が詰まっていすぎて、ここにはいたくないそうだ」
笑顔で送り出してくれた人形の顔を思い出す。影を微塵も見せない彼女にも、悲しい思い出はあるのだろう。それを乗り越え、様々な感情を豊かに表現する少女は、まぎれもなく『人』だと思えた。
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