第5話 奪われた力(前)
丘の上を目指して、ゆっくりと坂道を歩いていく。体力の無いエンプレスは、すぐに息が上がってしまった。それでも、自分の足で上りたいと言うので、彼女の速度に合わせている。
小道の両脇に咲いた小さくて黄色い花が、風に揺られていた。
「ランス」
ようやく坂道を上りきると、家の前で掃き掃除をしている青年に声を掛ける。
「やあ、エステス。エンプレスも。久し振り」
晴天よりも更に濃い青色の目を細めて、テンパランスは笑う。一つ年下の彼は、快活そうな見た目を裏切らない、まっすぐな性格の持ち主だ。
「久し振りね。元気だった?」
きっと、聞くまでもないけれど。
聞かれた本人も同じことを思ったのか、肩をすくめてみせた。
「見ての通りだよ。レンも、元気だよ。今、上の階の片付けをやってるんだ」
テンパランスの言葉に2階を見上げてみるが、壁に阻まれて姿は見えない。しかし、慌てて片付けをしなければならなくなった理由は分かっている。
「悪かったわ。急に押し掛けちゃって」
「いや、構わないよ。賑やかになるし、俺は大歓迎だ。ああ、ちょっと待って。ホウキ、片付けてくるから」
小走りに小屋に駆けていく背中に、素直に感謝する。彼の笑顔にも言葉にも、陰りは見えない。本当に歓迎してくれているのだと分かって、心が軽くなる。
彼は年に数度、同居人のストレングスと海を渡って遊びに来てくれる。とても親切で、良い友人だ。
ホウキを置いた分、身軽になったのだろうか。先よりも速い速度で、テンパランスが戻ってくる。普段から、動き回っているのだろう。息切れをしていない。
「ごめん、ごめん。立ち話もなんだし、中に入ってよ」
さり気なく荷物を持ってくれた彼の後に続いた。
「それにしても、思ったより早く着いたね。こっち行きの馬車が無かっただろ? レンが言い忘れたって、心配してたんだよ」
「そうね。停留所では驚いたけど。親切な人が、ここまで送ってきてくれたのよ。ついでだからって」
「へえ。この先にある畑の人かな? 確かに、とても良い人だ」
『だよ』と続くはずだったろう言葉は、上の階からした陶器が割れる音に消されてしまった。思わず、3人で顔を見合わせる。
「何か、ひっくり返すような物あったかな?」
困ったような顔をして玄関の戸を開こうとする彼の上着の裾を、エンプレスが引っ張って止めた。首を横に振る彼女の眉間には、珍しく皺が寄っている。
「違う。2人いるよ」
「え?」
「レンお姉ちゃんと。もう1人、いるよ」
エンプレスは極度の弱視の分、感覚を耳に頼っているところがある。それで、いち早く、足音の奇妙な点にも気付くことができたのだろうか。
「ただの掃除ではなさそうね」
呟くが早いか、エンプレスを置いて家の中へ入る。
「こっちかっ」
段を転びそうな勢いで駆け上がると、まずテンパランスが飛び込むようにして部屋に入った。遅れて部屋に入ろうとするが、戸口で停止した背中に、ぶつかりそうになる。
何事かと思ったが、彼の目の前に張られた鎖を見て、前に進めないのだと分かった。テンパランスの頭の隙間から右側面にある壁を見ると、鎌が突き刺さっている。その柄から出ている鎖を辿っていくと、対面にある窓枠に座る少年の右手に行きついた。
もう一方の腕の中には、ストレングスがいる。鎌を見たせいか、彼女は抵抗らしい抵抗も試みていないようだ。
少年は、黒い髪に浅黒い肌、大きな金色の瞳と、特徴的な容姿をしている。
「おまえはたしか、デス?」
テンパランスには、見覚えのある顔のようだ。当たっているのか、少年の金色の瞳が、楽し気に輝く。
「悪いけど、レン姉ちゃんはさらっていくよ。取り戻したければ、北の森まで来られたしってね」
「はあ?」
「じゃあ、またね」
デスという少年が腕の力を入れたことで、壁に刺さっていた鎌が抜ける。勢いよく目の前を通り過ぎる鎌に、思わず体が後ろへと下がる。再び部屋の中に視線を戻した時には、既にデスとストレングスの姿は無かった。
慌てて窓から身を乗り出して、下を見る。大人の女性を抱えたデスが、子供とは思えない速さで走っていく様が確認できた。
「なんで、あんなに速いんだよっ」
テンパランスが大声で騒ぐのも、無理はない。自分が乗せてきてもらった荷馬車よりも、よほど速度が出ているように見えた。
しかし、驚いてばかりもいられない。衝撃からいち早く立ち直ると、隣りの青年を叱咤する。
「驚いている場合じゃないわ。早く追わないと」
「ああ、そうだった」
部屋の戸口を振り返ると、エンプレスが呆然と佇んでいた。いつから、そこにいたのだろう。
エンプレスを見て、テンパランスは慌てだした。
「エンプレスは、どうするんだ? 預かるような事態じゃないぞ」
「一緒に連れていくわ。耳は私達よりも良いし、頼りになるかも」
自身の名前が出て、我に返ったらしい。彼女は悲しげに眉を寄せて、こちらを見上げている。
「レンお姉ちゃん、さらわれちゃったの?」
事態を、ちゃんと飲み込めているようだ。ひざを付いて彼女と同じ目線になると、
「そうなの。エンプレスにも、探すのを手伝ってほしいの。頼りにしているわ」
「うん。私、がんばる」
いつになく力強い表情に、こちらの顔がほころんでしまう。
彼女が少なからず負い目を感じているようだとは、薄々と気付いていた。それが晴れた顔に、少し安堵する。
「それじゃ、早く追いましょう? 車は、ある?」
「ああ、下に。でも、俺、運転できないぞ?」
「私が運転するわ。一応、免許は持ってきてあるから。鍵、貸してくれる?」
「ああ。持ってくから、先に行っててくれ。外出て、左。俺がさっき、ホウキを片付けたところだ」
「わかった」
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