第4話 荷馬車(後)
荷馬車の上は意外と高くて、揺れる。今までにない体験に、青年と自分との間に座ったエンプレスは、楽しそうだ。
荷馬車を引く馬の頭と、ゆったりと流れる農村の景色が視界に広がっている。ホバーカーに乗っていては聞くことができない、車輪が土を踏む音。のどかな道程というのも、悪いものではない。
しばらくは風に揺れる緑の穂を目で楽しんでいたが、ふと荷馬車の主に視線をやる。手綱を操る腕が、どことなく不慣れに見えるのは気のせいだろうか。麦わら帽子の下から覗く髪の色は白く、教授たちを助けたという青年を思い起こさせる。見た目は、こんな感じの人だったのだろう。
視線を感じたのか、青年が振り返る。帽子を目深に被っているため表情は読み取りにくいが、とりあえず笑っているようだ。
「どうしたの? 僕の顔に、何か付いてる?」
幸いにも不快には感じていないようだが、失礼ではあっただろう。
「ごめんなさい。そうじゃないの」
「じゃあ、誰かに似てるのかな?」
「ええ。そんなところ」
曖昧な答えに、青年は短く「そっか」と答えた。彼には、追及する意味もないのだろう。
沈黙が落ちた後、思い出したかのように青年が再び口を開いた。
「そういえば、お客さんは『塔』のことを知ってる?」
「ええ。報道番組で見たわ」
「じゃあ、お客さんの目的も『塔』なのかな?」
「ええ、そうね」
「やっぱりね。そういう観光客が増えてるんだよ」
彼は、愉快そうに笑った。帽子がずれて、被り直す。今度は、表情が見えるようになった。
「島の人間としては、増収になるから良いんだけどね。でも、こっちじゃ逆方向だよ? 塔に向かうなら、北に行かなきゃ。みんなも、北行きの馬車に乗ってたでしょ? 連絡船から見えなかった?」
「微かに見えたわ。塔に行く前に、知り合いの家に行くの。妹を預けないと」
エンプレスの柔らかい髪を撫でた。置いていかれることを不満に思っているのか、彼女の頬が膨れている。
「それは、懸命な判断だよ。と言いたいところだけど、君でも無理だよ。砂漠の真ん中でしょ? 歩くのもむずかしいし、だいたい、行ってどうするの? 疲れるだけだよ? 実際に、多くの人間が、北の街で立ち往生してるしね」
「疲れるのは、嫌い?」
それだけ並べ立てられると、初対面でも分かってしまう。そうでなくても、たいていの人は、疲れることが好きではないだろう。
そんな質問が来るとは思ってもみなかったのか、青年は目を丸くする。それから、呆れるでもなく、怒るでもなく、透き通った空を思わせる晴れやかな笑顔を浮かべた。
「うん。嫌い、かな。よく分からないや。楽しいことが、僕のすべてだからね」
こちらも、つい、彼の笑顔につられてしまった。
「私も、すべてとは言わないけど、楽しいことは好きだわ。友達と話したり、買い物したり。知らないことを学んだり」
「知らないことを知ることを、怖い、とは思わないの?」
なんて、率直に質問をする人だろう。
彼の真っ直ぐさに、思わず苦笑する。
「そうね。多少は、怖さもあるかもしれない。でも、おもしろいとも思うの。人と出会うのも、そう。たとえ、ひと時だけでも。今、こうしていて、私は楽しいわ」
返事に詰まってしまったのか。青年は無表情のまま、黙った。それが、徐々に赤くなっていくと、ぶっきらぼうに丘の上を指差す。
「ほ、ほら、見えてきたよ。あれじゃない? 目的の場所」
確かに、丘の上には2階建ての家がある。白い壁に覆われたその家は、青い空とよく合っていた。まぎれもなく、目的地だ。
「そうよ。ありがとう」
坂の下で降ろしてもらい、小銭を渡す。
「本当に、助かったわ」
青年は返事をすることなく、慌てるようにして馬車を出した。自分は、馬車が見えなくなるまで、妹と見送ったのだった。
◆◆◆
2人の『客』から見えない場所まで来たところで、道端に馬車を止める。
「ありがとう」
後ろに小高く積まれた
「本当に助かったよ」
笑顔をくれてやっても、目から怯えの色は消えない。自分は縛り上げた以外、特に乱暴を働いた覚えはないのだが。思わず、肩をすくめてしまう。
先ほど、ハイプリースティスから渡された小銭を男の腹の上に放ると、荷台を蹴って、空中に浮きあがる。少し高度を上げたところで、唐突に思いついた。
「ああ、そうか。こうして登場したから、怖がってるのか」
これが当たり前になっているから、すっかり忘れていた。他の人間には、人が浮き上がるということが理解不能なのだ。
「まあ、どうでもいいけど」
おかげで手早く先回りし、送り届けることができた。これなら、ワンドも文句はあるまい。
「さて。そろそろ、連絡を取らないと、うるさいかな」
体制を変え、空を駆る速度を上げる。自分とは似つかない、白い鳥を目指して。
「今度は、どんな命令が下るのかな。そろそろ飽きてきたんだけどな」
悪態はつくものの、つまらないわけではないのだ。この夏は、何かが変わる予感がするから。
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