片鱗

「行ってきます」



 小さく頷くネヴァンを尻目に僕は家の戸を閉めた。


 時刻は日の落ちきって間もない夜。

 家を出た瞬間大通りから聞こえてくる喧騒は、昼に負けず劣らずの喧しさだ。

 それもそのはず、この時間は冒険者たちにとってのゴールデンタイム。冒険から無事に帰ったことを祝う………という建前で、毎日酒場は大量の冒険者でごった返している。要は飲めれば理由は何でもいいのだ。


 この大都市は何年も住んでいる僕ですら知らないところがあるほど広大だ。

 中央に聳える神の根城、神城イリアス神城イリアスから全方位に伸びた道が複雑に入り交じり、この広大な都市アルドラを形成している。大通りとは、神城イリアスの正面の道を指す。この都市の入り口から神城イリアスまで直通の道だ。

 外壁に囲まれた都市アルドラは、上空から見ると正円になっているらしい。


 鉄を打つ音が鳴り響く道もあれば、女が男を誘う声が絶えない歓楽街もある。逆も然り。

 酒気を帯びた空気は否が応でも人々を浮足立たせる。

 特にこの時間帯はそれが顕著になっていた。


 僕は、勇気を出した男冒険者が見目麗しい同業者の女性に声をかけているその横を通り過ぎ、この都市で神城イリアスの次に高い建物へとその足を向けた。



 通称、ギルド。高さもかなりあるが、広さも相当の物。ギルドは冒険者御用達の建物だ。ここも外と変わらず、この時間は騒がしい。

 

 ギルドの一階は受付エリアや換金所、魔物の情報が詰まった書庫などが設置されていて、まず冒険者はここを通らなければならない。

 二階には集会場があり、パーティー間での相談や交渉などが行われる。ちなみに酒は提供されないが軽い食事などはしてもいいらしい。


 そして、三階から五階にかけて、界門都市の由来である界門ゲートがずらりと設置されている。

 三階には下級ダンジョンに通じる界門と、一部の中級ダンジョンに通じる物。四階には中級ダンジョンに通じる物。そして五階には、上級ダンジョンに通じる物と魔殿パンデムと呼ばれる最上級ダンジョンに通じるものが設置してある。


 ほとんどの冒険者は三階を利用するためにギルドに訪れ、中堅と呼ばれるベテランたちが四階に上り、そして一握りの選ばれし者たちが五階の界門ゲートからダンジョンへと潜るんだ。


 下級ダンジョンの適正レベルがlv1~15。中級ダンジョンではlv16~40。そしてその先はいくらあっても命の危険が付き纏う死の領域だ………と、シエラが言っていた。

 そしてこの適正レベルとは、もちろんパーティーの平均レベルの話だ。

 ソロの場合この適正レベルは大きく跳ね上がる。


 まあ、それでも行くしかないんだけどね

 パーティーメンバーの募集なんて嫌になるほど試した。

 だがその全てが清々しいほどの空振り。もう諦めもつくというものだ。


 僕は腰に吊るした片手剣を軽く触りながら深呼吸を一つ。

 腰の後ろに回した小さなポーチには、二年前、なけなしのお金で買った回復薬ポーションがたったの二本。無いよりはマシ程度の効果を持った僕の生命線ライフラインだ。


 一階から五階までの中央を貫く大きな支柱の回りにある受付カウンターを避け、上階に上がる階段を目指す。

 

 するとその時、ギルド内がにわかに騒めいた。



「―――おいっ!『アトラス』が帰ってきたぞ!」


「まじか……ってことは…っ!」


「ああ、また上級ダンジョンを攻略しやがった!!」



 口々に囁かれたその言葉はギルド全体に波及し、ついにはギルド外の大通りまで喧伝が及んでいく。

 ギルド内は冒険者達の声がうるさいほどに飛び交う馬鹿騒ぎに発展した。

 冒険者たちは上階につながる階段の前に人垣を作り、彼らの凱旋を今か今かと待ち構える。

 誰もがその雄姿を目に焼き付けようと注目し、騒ぎ声よりも緊張がこの場を支配したその時。


 彼らは姿を現した。


 六人組パーティー、『アトラス』。

 全員がlv40を超える五等級以上の冒険者で構成された超実力派。

 その先頭を歩く男性は、ゆっくりと階段を降り、できた人垣に苦笑いを浮かべると、



「――ただいまみんな。上級ダンジョン『溶岩の砦』攻略完了した」



 そう宣言した。



『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』



 即座に上がる冒険者達の賞賛の合唱は耳を塞いでも鼓膜を叩く。きっとギルド周辺の通りには確実に聞こえているだろう。


『アトラス』の構成員たちは耳を塞いだり、手を振ったり、興味無さげに階段を降りたり様々だが、その顔は確かに達成感に溢れていた。


 

 胸がじくっと疼く。

 多分、焦燥感だろう。



「ウルフォトさん?」



 冒険者たちに囲まれる彼らに感じるのは、尊敬と微かな嫉妬。

 昔の妄想では、あの輪の中心には僕がいた。


 でも————今、僕は何をやってるんだ。


 三年目で、未だに万年初級冒険者。

 魔物を前にすると自然に手が震えるし、無様に悲鳴を上げることだってある。

 目の前の『アトラス』だけじゃない。この場の誰もが僕より勇敢で強い。


 僕は——————



「ウルフォトさんっ!」


「……へ? あれ、シエラ?」


「もう……何回も呼んでたんですよ?」


「ご、ごめん。どうかした?」



 銀の猫耳と尻尾を忙しなく動かすシエラは少しむっとした様子で膨れていた。

 シエラが大声を出すなんて珍しいな。こんなに感情を表に出すのも、いつもは近寄りがたい無表情なのに。

 そしてさらにシエラは表情を変え、こちらを窺うような視線を向けてくる。



「………ウルフォトさん。ダンジョンに行くんですか?」


「え?……まあ、うん。下級も下級だけどね………はは」



 ああ、余計なこと言ったな。いっちょまえに劣等感でも感じてるのか? カッコ悪いなぁ。

 笑って誤魔化そうとしたけど乾いた笑いしか出ずに、それも失敗。

 急に恥ずかしくなって、俯いた。


 シエラは何も言わない。

 気を遣わせているのか、呆れられたのか。わからない。

 その沈黙が嫌に痛くなって、慌ててその場を切り抜けようと口を開いた。



「そ、それじゃあ、僕はダンジョンに行ってくるよ。運が良ければ帰ってくるから」



 そんな冗談にも聞こえない最低な言葉を残し、人垣を避け階段を上っていく。

 誰も僕に注目なんかしない。

 輝かしい彼らに比べれば、僕の貧弱さすらもかき消される。


 僕は惨めさに耐えきれず唇を強く嚙んだ。

 その時。



「――――ウルフォトさんっ!!」



 銀色の声がギルドに響き渡った。

 

 いつもは寡黙で感情を切り離したような人気のギルド職員の大声に、誰もが振り返る。

 当然その視線は、シエラの目の前にいる僕にも注がれるわけで。

 途端にばくばくと早鐘を打ち始めた小心者の心臓は、しん、と静まり返ったギルド内に響いているような錯覚すら覚えるほどうるさい。



「シ、シエラ?」


「………? …………っ!?」



 瞬間、自分が上げた声と今の状況に気づいたように顔をみるみる紅潮させていく。

 しかしそれも一瞬のこと。

 咳払いで平静を装ったシエラは一度駆け足で受付カウンターに戻ると、を抱え僕に駆け寄ってくる。


 さっきよりもかなり距離が近い。

 多分、これ以上大きな声を出したくないんだろう。あんまり注目されるのが好きな子ではないし。

 シエラは先ほどより大幅に声を潜めて、それを差し出した。



「これ、ウルフォトさんに」


「これ————片手剣?」



 それは、新品の片手剣。

 しかも今使ってるものなど足元にも及ばないほど高級なものであることがわかる。

 当然、僕にそんなお金はない。



「ダ、ダメだよ!貰えないって!」


「いえ、受け取っていただきます」


「で、でも………」



 渋って受け取ろうとしない僕に痺れを切らしたのか、半ば強引に押し付けたシエラは、



「出世払いで、お願いします」


「めっちゃ押し売りじゃんっ!?」


「ふふっ」



 悪戯に笑う彼女を見て、それが冗談だったことに気付く。

 たまらず、僕も冗談で返す。



「……今時のギルド職員ってこんなことまでしてくれるんだね」


「いえ、ウルフォトさんは特別です。個人的な贈り物ですので」


「はっ!?」



 そんな言葉に思わず声を上げてしまう。

 ああ、なにこの地獄。

 言った本人シエラも顔真っ赤だし、聞こえてたシエラの背後の冒険者たちの殺気はヤバいしで本当に地獄。

 でも、



「必ず、帰ってきてください」



 僕がダンジョンに行くとき、シエラは必ずこう言う。

 それも、かなり本気で。


 だから僕も、



「うん。わかったよ」



 そうカッコつけてしまう。

 こうなったらもう戻れないのだ。

 だって、


 約束を破るやつとか———カッコ良くないしね。


 これを言った時、「魔物一匹満足に討伐できないやつがふかしてんじゃねぇ!」とか言って殴られたこともあったなぁ。


 でも、譲れないプライドみたいなものがある。弱い僕にもあるんだ。

 だから僕はまだ、冒険者の夢に縋ってるんだ。

 諦めるなんて、カッコ悪いから。



「ありがと、シエラ。行ってくる」


「はい、お気をつけて」



 そして僕は、ダンジョンへと潜る。




■    ■    ■    ■




「シエラ、彼が?」


「ヴェードさん………はい、ウルフォトさんです」


「ふぅん」



 『アトラス』を率いる豪傑、ヴェード・タイタル。

 ヴェードは辣腕職員として知られるシエラの先ほどの行動に違和感を覚え、ダンジョンへ潜るため三階へと上がっていったウルフォトの後ろ姿を思い出していた。


 ウルフォト。

 アルドラの冒険者始まって以来の問題児であることはヴェードも知っていた。


 曰く、神の加護を得られなかった『迷い子ロスト』。

 三年目にして、未だ初級ノービス


 でも、ヴェードには確信があった。



「シエラ、彼のステータスを見せてくれないかな?」


「越権行為ですので、許可できません」


「そう言わずにさ……だけでもいいんだけど」



 シエラは、待ってましたと言わんばかりに悩むふりをして、小さく告げた。



「………敏捷は—————11のGです」


「―――――――ははっ、なるほどね」


「おまけに、魔物の討伐数は、三十一体」


「わかったわかった。もういいよ。君が気に掛けるわけだ」



 ヴェードは両手を上げ、参ったと首を振った。


 そして彼は、『アトラス』の構成員たちが中心の馬鹿騒ぎを遠い目で俯瞰する。



「―――まだまだ面白いね、冒険者はさ」


「ヴェードさんもまだまだ若いくせに浸らないでください」


「手厳しいね」



 娘に叱られた親のように力なく笑ったヴェードは、最年少のパーティーメンバーへとからかうような目を向けた。



「シノは話さなくてよかったの? 幼馴染なんでしょ?」


「同じ孤児院にいた………それだけだ」


「ああ、そうかい」



 不遜な言葉遣いの少女はそれだけ言うと、ギルドの喧騒に背を向けた。

 ヴェードは再び、力なく笑った。


 シエラは二人の様子を視界から外すと、思考に没頭していく。

 そして、受付の棚から彼のステータスを引っ張り出した。



———————————――――――


ウルフォト lv 1 種族 人族ヒューマン


攻撃 112(F) 防御 15(G) 敏捷 11(G)


魔力 0


職業ジョブ

狂撃卿アグレスロード

 攻撃ステータスへの成長補正。攻撃ステータス以外への成長制限。

 魔物に対する初撃時、攻撃ステータスへの絶大補正。


【スキル】

『』


【魔法】

 ――――――


——————————————————



 ああ、いつ見ても、残酷な数値の羅列。


 だがシエラは、このステータスを、この数値を見る度湧き上がる戦慄を抑えることができない。


 ステータスとは、冒険者にとって絶対のものだ。

 高ければ高いほど超常的な動きを可能にし、逆に低ければそれ以上の動きは絶対にできない。


 そう、そのはずなのだ。

 だが、あの青年は、



「今までの二年間………ダンジョン内での負傷回数、0」



 この数字の異常さは、下級や中級で燻っている冒険者にはわからないだろう。必然、ウルフォトにも。


 敏捷ステータス評価Gの冒険者の負傷率、

 同上の冒険者のダンジョン内での死亡率、


 いつも、この情報を目にするたびに、シエラはにやける頬を止められない。


 そう、彼は————補正値ステータスのほぼない状態、つまりダンジョンの魔物を凌いでいるのだ。



 ああ、何度でも言おう。




 彼は………ウルフォトは————―――異常である。

 



 


 



 

 

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