終章 信じる刃

第44話 一夜の宴

 たった一夜、真兎たちは弘徽殿にて女御や家族と楽しい時を過ごした。

 普段決して後宮に来ることを許されない父親たちも、今夜だけはと帝の許しを得て、おっかなびっくりしながらも足を踏み入れたのだ。そんな彼らの様子を、母や姉たちは可笑しそうに見ていたが。


「帝には、息子を借り受けると言われたよ。真兎、充分気を付けて行くんだぞ。私たちは助けたくても助けてやれないのだから」

「わかっています、父上。父上こそ、母上と姉上のことを頼みますよ」

「心得ているさ」


 参議である真兎の父は、比較的帝の傍に行くことが多い。そんな彼に対して、帝もある程度は心が動いたのか。真兎はそんなことを思い、自分が思いの外いじけていることに苦笑した。


(殺されるわけでなし。例えそうだとしても、三人で必ず生き抜いてやる)


 大切な人たちと離れ離れになることは辛いが、ここにいれば彼らに迷惑をかける。天狐の力に目覚めた真兎は、その姿をそれまでと違えていた。

 時が経つ程に白さを増す髪の色と、真紅の瞳。ここにいる人々は身内だからこそ目立った反応はないが、一歩外に出れば化け物だと恐れられても仕方がない。

 真兎は鏡や水面がなければ見えない己自身に思いを馳せ、それから軽く首を横に振った。最早、考えても詮無いことだ。


「どうしましたか、月花……いえ、真兎?」 

「女御様に真名で呼ばれるのは、何だか慣れませんね」

「わらわもです。けれど、ようやく呼べるという安堵もあるのですよ」


 朗らかに微笑んだ女御は、少し表情に疲れが垣間見えた。香によれば、かなり帝に掛け合ってくれたらしい。「わらわは、決してあなたを許しはしません」そう言ったとか。本当かどうかは分からないが。


「そういえば、後宮はあの後どうなったのですか?」

「あの後……。どの後でしょうか?」

「女御様が藤壺の更衣様と話した後、帝のもとへ行かれたと聞きました。その後、山吹の宮様たちは……」

「あの方々は、少々おいたが過ぎましたからね。猛省して頂いているところですよ」

「……猛省」

「ええ」


 これ以上、この話を続けるべきではない。この時、誰もがそう思った。女御の笑みが怖い。


「と、兎に角」


 咳払いをして、女郎花の君が話を逸らせる。彼女は忙しく立ち回っていたのだが、女御に呼ばれて彼女の斜め後ろに控えていた。


「月草の君、もう一度貴女に会えてとても嬉しく思いますよ」

「女郎花の君……。ご心配、おかけしました」

「顔を上げなさい。少し痩せたようですが、笑顔を見せてくれてほっとしました。これからたくさん乗り越えなければならないでしょうが、私たちはずっとあなた方の味方です。それだけは、忘れないでいて」

「――っ、そのお言葉だけで胸がいっぱいになります」


 普段厳しい口調でものを言うことの多い女郎花の君だが、本心から月草の君のことを案じていた。彼女の姿を近くで確かめることが出来、胸のつかえが取れた気がしている。

 穏やかに言う女郎花の君の言葉に、月草は目を潤ませた。

 月草の泣きそうな顔を見て、女郎花の君は持っていた扇を閉じて突き付ける。その顔が少しだけ赤いのは、きっと指摘しない方が良いだろう。


「泣いてはいけませんよ。あなたはこれから、もっと苦しいことを体験するのかもしれないのだから。……本当に危ない時は、都へ戻っていらっしゃい。

 例え誰が相手であろうと、女御様と共に守ってみせます」

「そうですね、女郎花の君」


 女御も頷き、視線を真兎と虎政へと向ける。彼らはそれぞれの家族との談笑していたが、女御に気付いて同時に振り返った。


「どうかなさいましたか、女御様?」

「何か、ついていますか?」

「いいえ。……うさぎととら。全く噛み合いそうにない名を持つ二人がこうやって隣り合い笑い合っている、それが何とも嬉しく思えたのです」


 女御の言葉の意味するところが分からず、真兎と虎政は顔を見合わせる。そんな二人を見守り、女御はまた微笑むのだった。


「――さあ、そろそろ休みましょうか。明日、旅立たなくてはなりませんものね」


 宴は穏やかに続き、月が真上に昇った頃のこと。女御の言葉に、皆頷く。

 夜の都は安全とは言い難く、女御の采配によって参加者には寝る場所があてがわれた。後宮の中、客用にと空いたままにされている局が幾つもあるのだ。


「……虎政?」


 両親と姉が寝入ってしまった後、真兎は何となく眠れずに簀の子へと出て来た。すると先客として虎政が腰を下ろして庭を見詰めており、思わず声をかける。

 すると虎政は驚いたのか、ビクッと肩を動かす。ゆっくりと振り返った彼の表情は、少し艶めいていた。


「真兎? お前寝なくて良いのか?」

「それはお互い様だろ。隣、良いかな?」

「勿論」


 静かな後宮に、たった二人が起きている。目の前に広がっているはずの庭は夜に閉ざされ、月明かりだけが全てだった。


「こんな所で何してたんだ、虎政? 何も見えないだろ」

「見えないけど、だからこそ考え事をするのに丁度良いと思ってな」

「悔やんでいるのか? おれと一緒に神をころ……」

「悔やむかよ。楽しみなんだ。お前と、藍と三人で、この国中を旅出来るんだから」


 虎政は真兎の口元に人差し指を突き付け、笑う。


「しかも、相手は神なんだろ? そんな相手と手合わせ出来るなんて、千載一遇じゃないか」

「……なんだか、お前にそう言われたら悩んでた自分が馬鹿みたいじゃないか」


 ふっと力を抜き、真兎は肩を震わせた。それを見て、虎政も声を抑えて笑い始めた。

 涙を流しながら笑い、収まったのはそれから少し経った後のこと。

 笑った笑った、と虎政は目元を拭う。それから少し真面目な顔になり、隣で涙を拭う真兎に拳を見せた。


「何だよ、それ?」

「これからも宜しくっていう、挨拶みたいなもんかな?」

「みたいなもんって何だよ。——これからも共にいてくれ、虎政」

「ああ、真兎」


 こつんと軽くぶつけ合った拳に、上から手が乗せられる。誰の手かと驚き同時に振り返った二人に、いつの間にか近付いていた月草―藍が微笑みかけた。乗せられた手は、彼女のものだ。


「わたしのこと、忘れないでよ?」

「忘れてないよ。——よろしくな、藍」

「ああ、頼むぜ。藍」

「うん。真兎、虎政」


 三人の幼馴染は決意を新たに笑い合う。彼らの様子を見守るのは、夜空の月明かりだけだった。

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