第43話 追放
地響きが鳴り止んでからも、真兎たちは駆け続けた。山を下り、野を進み、都の門が見えて来る。
(あれは――)
一旦都に戻ろう。そう提案した者が誰だったか、それは三人共覚えていない。それでも血だらけのまま、泥だらけになりながらも駆け抜ける。
真兎か息を切らせながらゆっくりと立ち止まると、虎政と月草も足を止めた。彼らの視線の先には、都の門と、その手前に立つ香の姿がある。
「香殿!」
「よかった、皆さん。ご無事でしたね……」
ほっと胸を撫で下ろしたらしい香だが、その表情は晴れない。何処か嫌な予感を覚えつつ、真兎はある程度息を整えてから尋ねた。
「そちらは、何がありましたか?」
「ええ。……あまり、というか、こちらとして望まないことが」
「望まないこと?」
虎政が首を傾げ、月草は胸の前で自分の手を握る。
不安げな表情を揺らす三人に胸を痛めながら、香は「これは先程決まったことなのですが」と前置きした。
「月花の君。あなたが男であることが、帝の知るところとなりました」
「……っ」
「ただ、この件に関して帝は強く出られません。己の妹宮の我儘が発端となり、身代わりとして月草の君を送り出したのはあの方なのですから」
だから、月花が男だと後宮で広まることはないと香は言う。
「それは良かったですが、望まないこととは?」
「……全てをなかったことにするために、あなたをこの都から立ち退かせると」
「……」
「えっ」
「そもそもは帝が妹宮の我儘を聞いたせい……いや、龍神をこの国の祖とし続けた朝廷のせいでしょう? 何故、真兎に出て行けなんて!」
何も言わない真兎をかばい、月草と虎政が香に言い募る。しかし香はそれ以上は何も言えない、と首を横に振るばかりだ。
「ごめんなさい。……これは、女御様のお言葉でもあります。あまりにも理不尽だ、とあの方も憤慨しておられたのだけれど」
藤壺の更衣に、事の発端が山吹の宮の我儘であることを含めて全て聞いた女御は、その足で帝のいる清涼殿を訪れたという。帝に事実を確かめ、言い分も聞いた。その上で、女御は己が調べ知り得たこの国の本来の創世神話を語ったらしい。
「清涼殿には、左大臣以外の大臣たちや殿上人の何人かがいて、女御様は彼らに向かって語って聞かせておられました。最初こそ女御様の圧で渋々その場にいた人たちも、最後には恐れおののいていましたね」
「恐れ……?」
首を傾げた真兎に、香は小気味よく微笑んだ。
「ええ。本来の神をないがしろにし、偽物を崇め奉っていたことに。神の天罰が下るのではないか、と怯えている大の男を見るのは面白かったですよ」
「なら、それこそ真兎に出て行けと言うのは罰当たりでしょう? こいつはその天狐の子孫なのだから」
虎政の言葉に、月草もうんうんと頷く。
天狐の末裔である真兎と彼の家族をないがしろにするということは、そのまま神への冒涜として捉えられてもおかしくはない。創造の神が、一転して国を破壊する神へと変化するかもしれないのだ。
少し考えていた月草が、ふと首を傾げる。
「真兎を出て行かせて、帝は何かさせようとでも思っているんでしょうか? 都にいれば、いつ左大臣が刺客を差し向けるかわかりませんし」
「それは、この国にいる限りは何処にいてもそう変わらないだろ。左大臣は、この国の様々なところに荘園を持っているはずだ。何処にいたって、奴の目を掻い潜るのは難しいだろうと思う」
「……冷静だね、真兎。一番慌てそうな立場なのに」
「まあ、心が乱れてはいるよ。でも、何処に行ったって簡単に殺されるつもりはないから」
月草に言われて肩を竦めた真兎は、「それで」と香に先を促した。
「帝は、何か言っていたんですか? 月草を身代わりに差し出すくらいだ、おれ一人くらい、直ぐに殺せるでしょうに」
「……帝は昨夜、夢を見たそうです」
「夢?」
「はい。夢の中で帝は、天狐に会ったとおっしゃっていました」
香の発言に、真兎は目を見開く。
帝は夢の中で天狐と向かい合い、龍弧国の始まりの仔細を聞かされたのだという。
初めは半信半疑だった帝も、龍弧の弧の字が元々は狐であったという話から龍神との命を賭けた戦いの話を聞くことで最後には信じる以外になくなったとか。帝は仔細を言うことはなかったが、御簾の向こう側から何とも言えない雰囲気が醸し出されていたと香は語った。
「そこで、天狐が言ったそうです。——自分がいなくなり、龍神もおそらくは消える。そうなれば、今まで抑えつけられていたあらゆる神が目を覚ますだろう」
「あらゆる神……。あの、滝の傍で見た黒い煙のようなやつのことですね」
ここに来る前、滝壺の前で湧き上がっていた黒いものたち。その正体が確かに龍神の言う通りに押さえつけられていた神々なのだとしたら、これから龍弧国にどんな影響が出るかわかったものではない。
真兎が眉間にしわを寄せ、指でそこを押した。
「それで、天狐の話を聞いた帝が何かを思い付いたということですよね?」
「そういうことです。帝はこの国を根底から揺るがしかねないあなたを都から追い出すと共に、あなたに国に仇なす神々を倒させようとしていられるのです」
「そういうことですか。……なら、帝に乗って差し上げますよ」
「真兎?」
何かが吹っ切れ、真兎は自分を案じてくれる月草の顔を見てふっと笑った。
「なら、おれは都に戻らずにそのまま行った方が良さそうですね。父上母上たちには、虎政たちから挨拶しておいてくれないか? おれはこのまま……」
「――だめ、わたしも一緒に行く」
「俺も行くぞ、真兎。もう、お前ひとりに背負わせたりしてやらないからな」
「月草、虎政……」
虎政の手が真兎の肩に乗り、月草がボロボロになった真兎の服の裾を掴む。二人の瞳が真っ直ぐに真兎を射抜き、断るに断れない状況に陥った。
軽く息をつき、真兎は苦笑を浮かべて二人の親友を見返す。
「……多分、楽な道じゃないぞ?」
「良いんじゃね? 俺は、お前ひとりになる方が心配だ」
「だね。それに、置いて行ったら許さないからね?」
「――ありがとう」
誰一人として、ここから去るつもりはないらしい。真兎は幼馴染二人とこの先も一緒にいられることへの喜びと、巻き込んでしまった申し訳なさで頭の中が混乱した。
それでも、と真兎は思う。ごめんと言う気持ちよりも、ありがとうの気持ちの方が大きい。二人とならば、どんな相手が来ても大丈夫だ。
「決まりだな」
「わかりました。……三人共、一度弘徽殿へお越し下さい。一目会いたい、と私は言い含められましたので。帝にも、その許しは得てあります。明朝までは」
そこに、皆さんのご家族もお呼びしましょう。香の提案を受け入れ、真兎たちは一夜限りの家族と女御たちとの団欒を楽しんだのだった。
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