第40話 独りじゃないから

 真兎の力をまともに受け、左大臣は吹き飛ばされて良くて気を失うはずだった。しかし、彼の前に幾重もの人垣が出来る。


「左大臣様!」

「主様」

「流石だな、お前たち」


 胸を張り、左大臣は微動だにしない。しかし彼の目の前で、彼を慕う者たちが倒れていく。いつの間にか集まっていたのか、後宮にいるはずの百合の君らも含まれている。早蕨の君、鴉羽の君の姿もあった。

 複数の倒れる音に、真兎は顔を強張らせた。そして、キッと左大臣を睨む。


「これは、お前が命じたのか?」

「人徳というやつだよ」


 悪びれず笑う左大臣は、倒れた者たちをそのままに扇を広げた。上品な紫色のそれは、真兎にとって毒々しささえ漂っているように感じられる。


「さあ、まだやるか?」

「……」

「私は幾らでも良いぞ。身代わりなど、幾らでもいるのだからな」


 笑みを浮かべたまま、左大臣は扇を閉じてそれで自分の周りを差す。

 真兎は顔をしかめ、低い声で吐き捨てる。


「……この、下衆が」

「残念ながら、私はこの国の柱の一人だと自負している。国を支え、導くのが私の役割だ」

「その為に、お前はここにいるって言うのか?」

「その通り。国にとっての邪魔者は、即刻排除せねばなるまいて」

「人を贄にして国を保つなんて、そんなやり方を俺は許せない!」

「お前に許される必要はない。帝と、かの祖である龍神様が求められるが故なのだから」


 和歌でも読むように言い、左大臣は再び開いた扇をパチンッと閉じた。彼の傍には、いつの間にか複数の武士たちが集っている。また影らしき人物たちもおり、真兎は刀を持つ手に力を入れた。

 天狐の力が覚醒したことで、真兎の周りには力の具現化とも言える波動が生まれている。人を近付けなかったそれは徐々に落ち着いて、真兎は何処から襲われても良いように警戒範囲を広げた。


「私を害した時点で、この国にお前の居場所はない。大人しく殺されれば、あの世には居ることが出来るだろう」

「残念だけど、しぶとく生きてやる。例え追われたとしても、大切なものを護って戦い続けても、笑っていたいから」

「……行け、お前たち」


 左大臣の命を受けた武士と影たちが、少しずつ真兎との距離を詰めていく。

 真兎は一歩ずつ退きながら、護りたいと願う幼馴染たちを彼らから引き離そうとした。しかし、目を離した隙に二人の姿が視界から消えている。


(えっ)


 軽く目を見張った時、反対側にいた武士が斬りかかって来た。咄嗟に躱すことが出来ず、真兎は万事休すかと目をぎゅっと閉じる。

 金属音が響いた。


「……?」

「真兎、自分だけかっこつけようとするなよ?」

「とら、まさ」

「――おう」


 ニッと笑ってみせて来たのは、襲って来た武士の刀を自分の刀で受け止めた虎政だ。驚く真兎の目の前で、虎政は思い切り相手の刀を弾き返した。


「俺も戦うぞ、真兎」

「虎政、だけど……」

「お前がいなかったら、毎日がつまらないからな」


 お前は違うのか。虎政の真っ直ぐな瞳に問われ、真兎は頷く。


「決まってる。お前がいなかったら、毎日がつまらない」

「だろ」


 ふっと笑った真兎の前に、もう一つの背中が現れる。かつて美しかった黒髪は乾いてしまっているが、その後ろ姿は華奢だが弱々しくはない。


「月草……」

「真兎、わたしのことも忘れないでね?」

「どうして! お前は出来るだけ遠くに……」

「これでも、非力なだけじゃないんだよ?」


 そう言った月草の手には、小柄な彼女でも扱いやすそうな細身の弓矢がある。いつの間に用意したのか、うつぼを背負い、その中にはたくさんの矢が入っていた。

 唖然とした真兎の前に立ち、月草は弓を引き絞る。


「後宮に出仕したいって言った時、橘姉上から教わったの。女であっても、何か身を護る術を持っているべきだって」

「姉上が……」


 かつて後宮で女房をしていた真兎の姉、橘。彼女の気の強い笑みを思い出し、真兎は肩を竦めた。どうやら自分は、まだまだ姉には敵わないらしい。

 月草の放った矢が、こちらに来ようとしてた男の足下に突き刺さる。怯んだ隙に、虎政が斬り込む。鳩尾を石突部分で殴り、昏倒させて立ち上がる。

 もう一本を弓につがえ、月草は微笑んだ。


「だからね。もう、独りじゃないから」

「さっきまで死んだみたいな目をしてた奴の言葉じゃないよな」


 唖然としていた真兎は、月草の言葉に苦笑する。そして、ようやく自分が少し笑えるようになっていたのだと気付く。


「もう大丈夫。だって、二人と一緒だから」

「だってよ、真兎?」


 もう一人を気絶させ、虎政が笑う。それがなんだか悔しくて恥ずかしくて、真兎は顔をしかめて刀を構え直す。


「……知らないからな。ここで、左大臣相手に刃を向けることが意味することを知らない訳じゃないだろ?」

「知っている。これが全てを決めるんだっていうことは。だけど、そんな未来を俺たちは選べない」

「自分に嘘をついてまで、従順でいたくはないよ」

「――決まりだな」


 ふっと真兎の肩の力が抜けた。女房の格好をするために伸ばしていた髪は白へと変わり、瞳も深紅へと変わっている。それにもかかわらず、傍に居ると明言してくれた友がいる。それこそ、何物にも代えがたい。

 三人分の視線を受け止め、左大臣は笑みを深くした。


「最期の話は終わったか?」

「最期になんてしない。必ず、生きてやる」

「消え失せろ」


 真兎たち三人に対し、相手は十人を超える。絶対的不利な状況にあって、真兎は全く怖くないことに驚いていた。振り下ろされた刃を躱し、弾き、組み合う。鉄のにおいが鼻につくが、真兎は一歩前へ出た。

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