第4章 龍神と天狐
目覚めの時
第35話 涙
「龍神……」
真兎は動かない月草の前に出て、刀を構える。刀は銀色の輝きを強め、目の前の敵への戦意を剥き出しにした。ただし、刀に意志があればの話だが。
龍神はぎろりとその黄金の瞳で舐めるように洞窟の中を見渡すと、他にはそれ以上目もくれずに月草の前へと進もうとした。それを阻もうと真兎が立ち塞がると、
「ぐあっ」
「真兎!」
ドカッという音がして、真兎の体が壁に叩きつけられる。一瞬のうちに爪で切り裂かれ、衣服はずたぼろになった。
虎政は鏡に大きく斬り掛かって相手をひるませると、すぐさま真兎のもとへと走る。幼馴染を助け起こし、「おい」と呼び掛けた。
月草の目はそちらへ向かない。
「しっかりしろ、真兎!」
「大丈夫、まだやれる」
「お前……」
虎政は絶句した。それもそのはず、自分を押しのけようとした真兎の体が白く光を放っていたから。
淡かった光は徐々に明るさを増し、それに応じて真兎の痛々しい傷が塞がっていく。言葉を失った虎政に、真兎は悲しげに苦笑した。
「虎政には見られたくなかったんだけど……。これは、自分の意思じゃどうにもならないらしいな」
「真兎、これは」
「おれは人じゃないらしい」
「は? 何言って……」
お前は人だろう。そう言い切ることが出来ず、虎政は俯く。彼が言いたいのは、そんなことではないのに。うまく言葉が紡げない。
しかし真兎はわかっているとでも言いたげに微笑むと、今度こそ虎政から離れた。
「助けてくれてありがとうな、虎政。そんなことだから、お前は月草を無理矢理にでも連れて逃げてくれ」
「お前は? 真兎はどうすんだよ!?」
「おれは……」
振り返れば、目の前に龍神がいた。黄金の双眸が真兎を睨み付け、すぐにでも噛み殺そうと狙っている。
そんな龍神の視線を真正面から受け止め、真兎はこちらも赤く染まった瞳を向けた。そこにあるのは冷ややかな落ち着きと、自分のものとは思えない程激烈な怒りの感情。
真兎を真っ直ぐに見詰めた龍神は、唸り声に似た笑い声を上げる。真っ赤な口を開く。
『今世の狐、また我に刃向かうか』
「何度だって、お前の前に立ち塞がってやる。何より、月草は絶対に渡さない!」
『……お前は、いつの世も変わらぬ。自分以外のもののために、何故戦う?』
「大切なものがないお前には、
可哀想にな。真兎は目をすがめ、刀に闘気をまとわせる。ようやく気付いたが、真兎の怒りや戦う意志を感じ取った刀が力を発揮するようだ。
刃の先端を龍神の眉間へと向ける真兎に対し、龍神はフンッと鼻息を吐く。
『人であることを辞めたお前が、自分は別だと言えるのか?』
「……確かにおれは、人でいることをやめざるを得なかった。それが宿命だっていうなら、受け入れる覚悟もある」
だけどな、と真兎は龍神の姿を瞳に映す。
「自分のものにしたいからと誰かのものを奪うような
「貴様っ……。許さぬ、神を愚弄するとは!」
「お前は元々、こことは違う世界の神だろう!? それなのに、この国を創った天狐を排したのはどっちだ!」
ほとんど売り言葉に買い言葉だ。それでも黙っていられなかったのは、真兎が天狐として覚醒したからかもしれない。
真兎の言葉を耳にし、それまで事の成り行きを眺めていた鏡が息を詰めるヒュッという音が聞こえた。更に虎政も顔をしかめ、龍神を睨み付ける。
『どちらにしろ、今神として君臨しているのは我だ。それこそが答え』
「いけしゃあしゃあと」
『人の子の姿を捨てられぬお前など、敵ではないわ』
「そうかよ」
軽く息を吐き、真兎は棒立ちのままでいる月草の肩をポンッと叩く。彼女の心を取り戻すために必要なものが何か、彼にはわからない。それでも、誰よりも月草を案じている者がいるのだと思い出して欲しかった。
「――藍。必ず帰るから、虎政と待ってて」
「……まさ……と?」
「そう。真兎」
「来て……くれた……っ」
表情の抜け落ちていた月草の両目の端から、ぽろぽろと雫が流れ落ちる。真兎はその透明な涙を指で拭ってやり、柔らかく微笑んでから彼女の背中を軽く押した。
「ほら、行け。頼むぞ、虎政」
「任せろ」
真兎らと同じく泉に入って来た虎政が月草の腕を掴み、ゆっくりと土の上へ引き上げる。それから真兎と頷き合い、鏡の目の前を歩いて行く。
本来、鏡はどんな状況であれ虎政と月草の前に立ち阻止しなければならない立場だ。しかし彼女は目の前で行われていること自体が信じられず、動くことが出来ないでいた。
ようやく何が起こっているのかを理解し、鏡は震えそうになる喉を叱咤してこの場を離れようとしている虎政の背に呼び掛けた。
「ま、待て。今のは一体どういうことだ」
「今の?」
「龍神様が、本当はこの国の神ではなかったという話だ! わ、私たちは崇めるべき方を間違えていたというのか?」
「俺は真兎を信じてる。あいつが土壇場で嘘を言うような奴じゃないって知っているからな」
鏡の問いに明確な答えは返さず、虎政は彼女に背を向けた。
「……」
今襲い掛かれば、龍神を愚弄した者たちを二人始末することが出来る。出来たはずだった。しかし鏡は動けず、眺め見送るのみ。
「雷雲様、鞍佐兄上。私が……私たちが護り伝えて来た神は、一体何者なのでしょうか?」
彼女の問いに応じる者はいない。ただ鏡は、龍神と天狐の末裔を名乗る少年の戦いを見守ることしか出来なかった。
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