第34話 泉での邂逅

 雷雲を退けた真兎と虎政は、一路洞窟奥の泉を探して駆けていた。途中雷雲の配下らしき者たちから戦いを仕掛けられたが、二人の連携で退けていく。

 ぎりぎり命を奪わない程度に力加減を調節しながら、少年たちは暗がりを駆ける。

 武官の家に生まれた虎政は兎も角、香に稽古をつけられるまでほとんど素人だった真兎が軽々と刀を振って敵と渡り合っている。それが今更ながら驚きで、虎政は隣を駆ける真兎に尋ねた。


「真兎、いつの間にそんなに動けるようになったんだ?」

「香殿に教えてもらったから……だけじゃないと思う」

「というと?」

「何と言うか、天狐の力が目覚めて戦い方を教えてくれた……なんて言い方はおかしいけど」


 少なくとも、今までの自分とは何かが違う。真兎の自覚を聞き、虎政はふぅんと瞬きした。


「俺としては、同じ立場で隣にいられることが嬉しいけどな」

「それはおれも。……きっとあの先だ!」


 真兎が指差したのは、人二人が横並びになって走ることが出来る空間の終着点と思われた。水のにおいの濃さに顔をしかめながら、真兎は懸命に足を動かす。


(このにおい、だ。逃げたい、近付きたくないって気持ちがざわつく)


 胸元を押さえつつ、真兎の足は真っ直ぐにその水のある方向へと向かう。重くなりそうな足を叱咤し、お前の目的はここで引き返すことではないだろうと内心で怒鳴る。


「――っ、どんどん力の気配が強まってる。俺でもわかるんだ、真兎」

「ああ。むせ返りそうなくらい、龍神の力を感じる。……待ち構えている」


 赤い石の嵌まった刀をぐっと握り締め、真兎は虎政と共に泉の前へと躍り出た。どうせ、向こうには見つかってしまっている。隠れる必要などない。


「月草!」

「月草、いるのか!?」

「おやおや、元気なことだね」


 二人が目にしたのは、洞窟の奥深くに広がる広大な泉。地下水が湧き出すそれは、静かでさざ波がほとんどたたない。魚を始めとした目に見える生き物を抱かない泉の中心には、濡れそぼった白い単を身に着けた少女が立ち尽くしている。

 かの少女が誰か、真兎と虎政にはすぐにわかった。だからこそ名を叫んだのだが、二人の前に女が一人立ち塞がる。

 余裕の笑みを浮かべた女は、傍に立てかけていた細身の刀を手にしていた。黒々とした長い髪を頭の後ろで一つにまとめ、垂らしている。膝丈しかない袴に似たものを穿き、水干に似た服を身に着けていた。


「ここまで至るとは。……お前たち、雷雲様はどうなさった?」

「二人で倒した。勿論、命までは取れるはずもない。無事に呻いているはずだ」

「それは何とも。……仇は、私が取ってしんぜようか」


 わたしの名は鏡。女は長い髪をわずかな風に遊ばせて名乗る。すらりとした体躯からは、彼女が強者であることが伝わってきた。

 迂闊に動けずにいた真兎は、隣に立つ虎政の小声に耳を傾ける。


「真兎」

「虎政?」

「俺が必ず活路を開く。だから、月草のもとへ走れ」

「……頼んだ」

「任せろ」


 会話はほんの短い間。しかしそこに、互いへの信頼が確かに横たわる。

 隣の真兎を横目で見て、虎政はニヤッと笑った。そして大振りの刀を構えると、怒号と共に走り出す。


「うおおおぉぉぉぉぉっ」

「無鉄砲だね!」


 クッと喉で笑った鏡が刀を一閃させ、瞬時に飛び退いた虎政の鼻先をかすめていく。

 間一髪で躱した虎政は、すぐに前へ出る。一切逃げず、果敢に挑んで鏡の注意を引き付けるのだ。


「はぁっ!」

「ちょこまかと……。お前だけを相手にしてはいられないんだよ!」

「ぐあっ」


 呻いた鏡が渾身の一撃を放ち、刀を振りかざしていた虎政の上腕を傷付ける。血が舞い、虎政は思わず怯んだ。

 それを鏡が見過ごすはずもない。


「死ね!」

「――っ」


 間近に刃が迫り、虎政は思わず目を閉じた。二度と目を開けられない覚悟を決めた時、聞き慣れた声がこだまする。


「虎政!」

「真兎!?」

「きゃっ」


 三つの声が重なり、鏡が転倒する。真兎が足払いを決め、彼女の均衡を崩したのだ。

 真兎はそのまま横を駆け抜けると、泉の中へと身を躍らせた。腰の高さまである水面に多くの波紋を描きながら、バシャバシャと水を跳ねさせる。


「月草!」

「……」

「くそっ」


 何度も転びそうになりながらも、真兎は懸命に月草の元へと急ぐ。背後では真兎を追おうとする鏡と、それを力づくで阻止しようとする虎政の攻防が続いていた。

 どろりと粘質的な水が真兎の足に絡みつき、進もうとする彼を妨害する。しかし真兎は天狐の力でそれらを跳ね飛ばしつつ、ようやく月草のもとへとたどり着いた。


「月草、月草!」

「……」

「聞こえないのか、月草!」


 何度も何度も名を呼ぶが、月草の君が返事をすることはない。真兎は彼女の前に立ち、両肩に手を置いて揺すった。それでも望む反応は得られず、焦りが募る。


「何故だ、月草……っ」

『その娘は、もう我がものだ』

「誰だ!?」


 聞き覚えのない声が耳朶を叩く。深く大地を揺さぶるような声に、真兎は押し潰されそうな感覚を味わった。

 声の主はと周囲を見渡し、上から気配が降ってくることに気付いて顔を上げる。


「――っ、お前は!」

『初めて会うな、今世の狐よ』


 せせら笑う声が響く。

 真兎たちの目の前に現れたのは、巨大な竜神だった。

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