第33話 対雷雲

 一方、虎政をも送り出した香は、女御のもとでそわそわと落ち着かない気持ちでいた。しかしその浮ついた気持ちを態度に示す訳にもいかず、表面上はきっちりと女御の周辺警護の任についている。

 とはいえ、長い時を彼女と共に過ごしてきた女御が気付かないはずもない。


「……香、気になりますか?」

「何がでしょうか、女御様? 私は別段、何も気にしてはおりませんが」

「嘘おっしゃい。貴女が月花の君を送り出してからというもの、心ここにあらずだということは気付いていましたよ」

「……面目ありません」


 正直に認めた香をくすくすと笑って見ていた女御は、扇を口元にあてて眉根を下げる。


「気にせずとも良いのです。彼らの無事は、わらわにとっても気になるところ。……だからこそ、わらわにしか出来ないことをするのです」

「女御様にしか出来ない? ——まさか」


 女御が何をしようとしているのか。香にはわかってしまった。わかってしまったからこそ、目の色を変えて女御に摘め寄る。反論をしようと口を開いた瞬間、女御が先んじる。


「そのまさかです。ついて来て、くれますか?」

「勿論です。例えあなたが嫌だと言っても、必ずついてまいります」


 きっぱりと言い放ち、香はまんまと女御に乗せられたことに気付いた。しかしもう後の祭りだ、と気持ちを切り替える。

 女御を皆優しくおしとやかで頭の切れる才女と褒め称えるが、本来の魅力はその程度ではないと香は知っている。本当の女御は、時に危険を顧みずに突っ込んで行く無鉄砲で他人思いな人なのだと。

 香の同行を喜んだ女御は、おもむろに立ち上がる。重い色鮮やかな単の波を翻し、女御は弘徽殿を出た。


「――藤壺の更衣様、少し宜しいでしょうか?」


 女御が真っ直ぐに向かったのは、彼女と同じく帝の妃の一人である藤壺の更衣の局だった。女御の傍には、勿論香が控えている。

 先触れもなく現れた女御に、更衣の局にいた者たちは驚き慌てた。中には先程まで女御たちを脅していた者もいて、一気に色めき立つ。


「更衣様。わたくしたちがお相手致しますので、奥でお待ち下さ……」

「女御様御自ら来られたということは、そういうことなのでしょう。あなたたちは控えていて」

「更衣様……」


 桃の君が何か言いたげに口をもごもごさせたが、藤壺に一瞥されて引き下がる。藤壺は口元を扇で隠し、本心を悟られないよう気をつけながら外へ向かって呼び掛けた。


「女御様、お待たせ致しました。どうぞ、お入り下さい」

「ありがとう、更衣様」


 あえて感情の読み取れない抑揚のない声色で、女御は返答を返した。そして女房装束に身を包んだ香と共に、御簾をくぐって行った。




 真兎と虎政はほぼ同時に地を蹴り、真兎は上段から、虎政は袈裟懸けに刀を振り下ろす。


「ぬんっ」

「「!?」」


 しかし一発で仕留められるはずもなく、雷雲は部の厚い刀でそれらを同時に受け止めた。更に力を入れて弾かれ、真兎と虎政は体勢を立て直す必要に駆られる。

 ズサッと地面を滑り、真兎は姿勢を低くした。虎政も同様に傍に着地し、一瞬視線を交わし合う。そして真兎は横薙ぎにされた雷雲の刀を跳んで躱し、勢いそのままに再び襲い掛かる。


「はあっ!」

「何度来ても同じことだ!」

「だと思うなよ!」

「――何っ」


 真兎の刀を防ぐために両腕を挙げた雷雲の腹ががら空きになる。雷雲は真兎の言葉に危機感を覚えたが、彼の力が強く思うように動くことが出来ない。

 それを隙と捉え、虎政がもう一度刀を振っていた。横に光る軌跡が、雷雲を襲う。


「ぐあっ」

「真兎!」

「わかってる」


 腹の部分の皮膚が横一文字に切られ、そこからは赤い血が噴き出す。激痛に膝を折った雷雲から飛び退いた真兎は、虎政と共に目的地へ向かうために背を向ける。

 しかし真兎は、ふと思いついて振り返った。すると、未だ雷雲がこちらに背を向けてうずくまっているのが目に入る。


「……決して命を落とすまでの深手じゃない。さっさと手当てしてここを去れ」

「……」

「俺たちは、例え誰に邪魔をされようと、月草を取り戻す」

「……今のお前を見て、清姫となるべきあの娘が受け入れてくれると良いがな」


 ギラリと光ったのは、こちらを振り返った雷雲の瞳。その射るような視線を受け止め、真兎は大きく息を吸い込んだ。そして、息を吐き出すと同時に言葉も吐く。


「拒絶されたとしても、俺はあいつがここにいて良いとは思わない。もしもあいつに話しかけることさえ拒絶されたとしても、構わない。その時は、静かに永遠にあいつの前から去ってやるさ」


 ただ人ではあり得ない瞳の色をしていることに、真兎はまだ気付いていない。しかし己の力が、握る刀が普通ではないと理解しているからこそ、真兎は月草の隣にいられない可能性も考えていた。

 そんな悲痛な決意を口にする幼馴染を見詰め、虎政は「真兎……」と唇だけを動かして声にならない呟きを漏らす。

 雷雲がこちらに向かって来る気配がないことを確かめ、真兎は虎政を振り返った。


「すまない、虎政。先を急ごう」

「……ああ。行こうぜ」


 それから、真兎と虎政は一度も振り返らなかった。彼らが見据える先には、水のにおいが漂う。そしてはるか上空から、強く重い力が近付いていた。


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