天狐の力

第32話 助太刀

 普段ならば、命じて終わりだ。しかし今、雷雲は配下の鞍佐を抱え起こしていた。


「鞍佐……っ」

「らい、う、んさま……」

「もう良い、喋るな。ここは、ワシが引き受けてやる。お前は、清姫候補を奪われるな」

「――はっ」


 よろよろとしながらも、鞍佐は真っ直ぐに洞窟の奥へと歩みを進めて行く。彼が逃げ切るための時を稼がなくてはならない。

 背中が遠退いていくことを確かめ、雷雲は背に嫌な汗をかいていることを自覚した。それ程までに、己が誰かに対して恐怖を感じたことはない。


「天、狐。いや、お前の本来の名は真兎まさとだったな。……本来、お前のような子どもが持ち得る力を超えたそれを手にして、どんな気分だ?」

「……どんな気分か、と問われたところでおれは言葉に出来ない。妙に高揚感があって、その中でも冷たい感覚も持ち合わせている。ただ一つ確かなことは、天狐の力がおれの背を押してくれることだけだ。——必ずあいつを奪い返すと決めたおれのことを」

「……ならば、こちらも相応の礼をしよう。冥途に土産話として持って行け」


 話しているうちに落ち着きを取り戻し、雷雲が大振りの刀を振りかざして言い放つ。それは、未知のものへの恐怖を上回る高揚感に満ちていた。

 真兎は、自分の視界が赤さを増していることに気付く。血が流れているのかと考えたが、それを確かめるよりも先に体が動いていた。


「はあっ!」

「ちぃっ」


 ギンッギンッとわななくような金属音が響く。洞窟という性質上、その音は反響して増幅していく。

 赤い閃光に身を変えた真兎が刀を突き出せば、岩のような雷雲がそれを弾き返す。弾かれ体を一回転させ、上から叩きつけるように振り下ろした。それは雷雲の頭を割るかと思われたが、素早く後退したことで難を逃れる。

 雷雲の刃が喉元に迫れば、真兎は飛び退き追撃を躱す。しかし諦めずに伸ばされる刀を受け止め、勢いに任せて弾く。

 そんな戦いが繰り返され、もう何度目か数えることすら面倒になる。雷雲は痺れを切らし、力いっぱい刀を振り切った。


「これで……どうだ!」

「くっ……。まだまだぁ!」


 力だけでは雷雲に勝てない。刀で大刀を完全に受け止めることは出来ず、真兎は顔から突っ込みかけたが体を捻ってそれを防ぐ。それでも肩をしたたか打ち、呻く間もなく飛び起きた。

 これまで経験したことのない感覚が、真兎の背中を押す。


「負けない……勝つ!」


 痛みのない右に刀を持つ手を代えると、真兎は上段から斬り掛かってきた雷雲の刃をぎりぎりで躱す。完全に躱すことは出来ず、何度目かの切り傷が頬を撫でた。

 そこで怯んでしまえば、追撃されて次はない。真兎は視界を自分の血が塞ぐのを無視し、感覚を信じて突っ込む。

 ゴクッと雷雲が息を呑む音がした。


(ここだ!)


 一心不乱に刀を伸ばした真兎は、それが誘いであることに気付かない。肉を切らせて骨を断つ作戦に出た雷雲が防御に使う左腕を犠牲に真兎の胸を一突きしようとした時、真兎の背後で聞き慣れた声が響く。


「真兎、斬ってすぐに退しりぞけ!」

「――!?」

「何っ! ――ぐあっ」


 真兎は声に従い、斬り込んで雷雲の左腕に深い傷を負わせると同時にそれを蹴り飛ばして距離を取った。赤い飛沫が上がり、雷雲が悲鳴を上げる。

 雷雲の追撃を警戒しつつ、真兎はその視界にここにいるはずのない人物を映して瞬きをした。思わず力が抜けそうになるのを耐え、泣きそうな顔で彼に呼びかける。


「虎政、お前どうして……」


 はぁはぁと息を切らせて走って来た幼馴染に、真兎は問う。絶対に一人でやり遂げなければと気を急かせていたが、それが少しだけ軽くなった気がした。

 するとようやく息を整えた虎政が、ニヤッと笑った。


「香殿に、頼まれたんだ」

「香殿に……?」

「そう。お前が一人で無茶してるはずだから、助けて欲しい。自分は女御様の傍を離れられないからって」

「そう、か」

「ああ。だから、安心して背中を預けろ。俺だって、漫然とお飾りの刀を振っていたわけじゃない」

「知ってるよ、虎政」


 虎政が毎晩、寝る前に数刻一人稽古に励んでいることは知っていた。間近で見たことはない真兎だが、後宮は女の園。彼女らの噂好きはそんなところにも発揮される。

 真兎が「知ってるよ」と笑うと、虎政は少し驚いた表情を見せた。

 しかし種明かしをする前に、二人の間を部の厚い刀が通過する。


「おっと」

「危ないな?」

「……子どもが二人に増えたか。仕方がない。同時に斬り刻んでやろう」

「お前、俺が真兎よりも弱いとか思ってんじゃないだろうな?」


 みくびるなよ。虎政はそう言うと、腰の鞘から刀を抜いた。見目の良い彼には似合わず、武骨な雰囲気を持つ一振りだ。

 虎政の家は、先祖代々武官をしている。長い歴史の中で、家宝とも呼ぶべき刀があった。それが今、虎政の手にあるものである。

 余計な装飾は一切なく、何かを守ることを第一に考えられた守り戦うための刀。それを扱える者こそが、その時代の当主となる。

 カチリ。真兎と虎政は思い思いに刀を構え、同時に駆け出した。

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