第28話 目覚め
「何!?」
「――っ。そいつから離れろ、鏡!」
鞍佐が焦って叫んだが、時既に遅し。衝撃波のような何かに弾き飛ばされ、鏡は悲鳴と共に近くの木に叩きつけられた。
「鏡!」
「だ、大丈夫だよ。兄上。だけど……」
目を見開き、鏡が呻く。目の前で起こっていることが、現実離れし過ぎているせいだ。
妹の肩を支え、鞍佐はチッと舌打ちをした。親分である雷雲に聞いていた話が頭をよぎる。目障りな子どもについての話だ。
「あの子どもは、堕ちた神の末裔だそうだ」
「堕ちた神? 雷雲様、それは一体……」
「ワシにも詳しくはわからん。だがあの御方によれば、その神は龍神様にとって邪魔な存在だという。この度の儀式は、龍神様のお力をより強固にするために不可欠なもの。本来捧げるべき贄でないのは残念だが、あの贄もよき働きをしてくれよう」
「――はっ」
そうして終わった雷雲との会話だが、鞍佐は半信半疑でいた。この世に、堕ちたとはいえ神の末裔が存在しているなどという世迷言があって良いのかと。
しかし、目の前で見てしまえば信じざるを得ない。
「あれは……ただの人ではない」
「さっきまで、こんな力は感じなかった。ただの弱いガキだと思っていたのに」
悔しげに歯噛みする鏡を背に隠し、鞍佐は立ち上がる。棍棒を握る手が震えそうになるのを気力で押し止め、それを睨み付けた。
「我らは、ここを通す訳にいかぬ。例え神の血を引こうと、龍神様の邪魔だては許しはしない!」
「――それは、おれも同じだ。ここを必ず通らせてもらう」
ゆっくりと真兎は立ち上がり、二人を見据える。彼の手には先程まで影も形もなかった大振りの刀が握られ、白い気配をまとっている。更に、焦げ茶色だった瞳は深紅の輝きを放つ。風もないのに舞う髪の先は白く染まり、どう見ても普段の真兎ではなかった。
「――はっ」
真兎が刀を振ると、風が起きた。斬撃と同時に放たれた風は木々を大きく揺らし、枝を斬り落とす。木の葉が舞い、鞍佐と鏡は飛ばされそうになるのを何とか踏ん張った。鞍佐の棍棒を軸にしていなければ、おそらく吹き飛ばされていただろう。
ふらり、と真兎の体が傾ぐ。それを隙と捉えた鏡が飛び出そうとして、鞍佐は咄嗟に妹の腕を掴んで思い留まらせた。
「くそっ。何故止めるの、兄上!?」
「お前がきちんと見もせずに飛び出そうとするからだろう」
「見もしない? 私は……」
腹を立てた鏡がもう一度真兎の方を見ると、明らかに彼の様子がおかしい。強力な波動を体全体からまき散らしながら、ゆらゆらと揺れている。
そして唐突に、真兎はその場に崩れ落ちた。
「何、一体……?」
嵐のような波動が消え、鏡は呆然と呟く。
妹にその場を動かないよう言い、鞍佐は慎重に倒れた真兎へと近付く。すると真兎は、目を閉じて完全に気を失っていた。大振りの刀は、影も形もない。
「……鏡、こいつを雷雲様のもとへ連れて行くぞ」
「兄上、正気ですか? こんな奴、連れて行くなんて」
「ここに放置することも、後宮に戻すことも危険だ。それに神に連なる者だというのならば、先程のように殺そうとすればこちらの身が危うかろう」
「その通り、ね」
兄の棍棒を預かった鏡は、彼が真兎を担いで歩くその背を追った。
鏡に斬りかかられた直後、真兎は死を意識した。確実に殺されると恐怖すると同時に、絶対にこんなところで死ぬことなど自分が許さないと決意した。その瞬間、視界が真っ赤に染まったのだ。
(何だ、この感覚は!)
気付いた時、真兎は自分が自分でない感覚に陥った。自分という意識はあるにもかかわらず、体を動かしているのは全くの別物という感覚。まるで景色を見せられているかのように、己が持ったこともない刀を振るう瞬間を見た。
(あれは、おれなのか……それとも)
別の何かなのか。
判別をつけることが出来ないまま、真兎は突如限界を悟った。視界がぐらつき、均衡を整えることが出来ない。自分の力ではどうにも出来ないもどかしさを抱えたまま、真兎は気を失った。
――来たか。その時が。
何処とも知れない泉の上、幾重にも重なる波紋の上で、一頭の白狐が佇んでいた。何処からか射す光に照らされた毛並みは美しい銀に近い白色で、深紅に濡れた瞳が天を仰ぎ、己の末裔の今を眺めている。
白狐の視線は、大男に担がれて移動して行く真兎に注がれている。ぴくりとも動かない彼を見失うことのない瞳は、感情を読むことは出来ない。
「……目覚めか。死を意識して目覚める等、あって欲しくはなかったのだがな」
目を細め、悲しげに呟く白狐。
彼の脳裏に映るのは、己が命を落とした時に見た最期の景色。その景色には濃霧がかかっているが、やけに強い感情だけがこびりついている。
「真兎、呑まれるなよ」
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