国の裏側

第27話 滝前での邂逅

 朝暗いうちに目覚めた真兎まさとは、こうに別れを告げて泉をはらんだ滝を見付けるべく歩き始めた。香の姿が見えなくなり、周囲には木や草しかない。


「……やっぱり、ここ最近おかしいよな」


 独り言ち、真兎は立ち止まった。彼の目が向けられたのは、自分自身。昨日の鍛錬で血がにじんでいたはずの腕には、全く傷が見当たらない。更に腹には一昨日出来た青痣があったはずだが、昨日の朝の時点で痛みも違和感も消え失せていた。


(こんなこと、今までなかったはずだ)


 幼い頃から生傷が絶えなかったが、それは人並みに時をかけて癒えていった。元服してからも傷を作ることはあったが、一晩寝て癒えているという経験はない。

 そうであったにもかかわらず、今の真兎は一日鍛錬に費やした翌日だと思えない程に回復している。


「……何かが、変わって来ているのか? 天狐と、おれの先祖と出逢ってから」


 藍が消え、彼女の行方を探して後宮に入り込んだ。女御たちと出会い、やがて自分の先祖だと言う狐と夢で逢う。本来の龍弧国の神だと名乗る狐は、真兎を己の血を受け継ぐ子孫だと言った。

 自分が天狐の末裔なのだと理解した瞬間から、真兎は己の変化を自覚していた。妙に傷の治りが早く、身が軽くなったように思う。


(考えても仕方ない。今は、藍を捜すことだけを考えろ)


 自分が何者なのか。それに対する明確な答えを、真兎は持たない。不安定な中でも、確固たる意志が彼を前へと突き動かす。

 真兎は自分の背丈を超える高さを持つ草や木をかき分けながら、水の音を頼りに進み続ける。確証はないが、こちらだと心が告げている感覚があるのだ。


「……あった」


 歩き始めて、どれくらい経っただろうか。どんどん暗くなる森の中で時を推し量ることは難しいが、うまの刻はとうに過ぎているだろう。

 真兎の目の前に現れたのは、目を見張るような大きな滝。どうどうと流れ落ちる水の勢いは凄まじく、飛沫が滝壺傍に立つ真兎の顔にもかかった。

 周囲には清涼な気が満ち、ここが人々の祈りの場なのだと無言で告げる。しかし同時に、ほんのわずかな違和感を伝えた。


(きっと、おれが天狐の末裔だから感じられる気配だな……)


 龍神を祀るための聖地において、天狐は邪魔者だ。敵だと言っても過言ではない。

 これは後で知ることだが、真兎の先祖に参議以上の役職についた者はいない。それが始祖の存在を周囲が知っていたためにそうであったのか、知る者は生きていないだろう。

 真兎は軽く息をついて気持ちを改めると、ぐるりと滝の裏側へと回ろうとした。見れば、滝の裏へと続く細い道がある。それを慎重に進めば問題ないはずだ。そう思った真兎が一歩踏み出そうとした、丁度その時。


「ここまでたどり着くとはな」

「……誰だ?」


 殺気を感じて振り向けば、爪程の間を開けて足先が目の前にある。不意打ちを喰らったものの、真兎は表面上平静を装うことに成功した。

 真兎が瞬きせずに目の前の足の主を睨み付けていると、その主は「ほぉ」と感心したように頷く。


「我が蹴りから逃げもせんとは……。なかなか見どころがあるな?」

「鞍佐兄上、敵を褒めてどうするの?」


 足をどけた男の隣に、すらりと背の高い女が下り立つ。彼女の獣のような目が真兎を射抜き、ふいっと鞍佐と呼んだ男の方へと向けられる。


「悪かったな、気を悪くしたか? かがみ

「いいえ。ただ、あまり時をかけ過ぎるとあの方に手酷く叱られると思っただけ」


 鏡と呼ばれた女は、鞍佐をいさめるともう一度真兎へと目を移す。その目は冷え冷えとして、感情が読めない。


「お前がここへ来ないよう、百合に頼んだはずだが……。まあ、仕方がない」

「あの御方に叱られないためには、ここでこいつを足止めすれば良いだろう? 二度と、オレたちに歯向かえないくらいに」

「それが良いね」


 くすくすと笑う鏡は、その腰に佩いていた細身の刀を鞘から引き出す。彼女の後ろで、鞍佐も一抱えありそうな棍棒を振りかざした。

 二人の戦闘体勢を見て、真兎も足を踏ん張り体勢を整える。左足を下げ、体勢を低くして拳を握り締めて前を向く。


(ここで立ち止まるわけにはいかない。突破して、必ず藍を取り戻す)


 黙ったまま、真兎は二人の出方を窺う。刀と戦ったことはないが、絶対に真っ直ぐに受け止めてはいけない。


「……っ」

「黙ったまま、な。まあそれでも良いよ。オレらを警戒してくれてるってことだろうからな!」


 そういうが早いか、鞍佐は棍棒を振り下ろした。ひゅんっという風を斬る音がする前に、真兎はその場を飛び退く。

 ドンッという鈍い音がして、同時に鞍佐の「チッ」という舌打ちが真兎の耳に届いた。飛び退いた先で先程まで自分がいた場所を見れば、土煙を上げる中で地面がえぐれている。その中心に大柄な鞍佐が立ち上がった。


「素早い動き……。その身のこなしはただ女房に身をやつしていたわけではないようだな」

「……」

「だんまりか。ならば、口を割らせるまで!」


 大声を上げ、鞍佐がその場から跳び上がる。大柄な男とは思えない跳躍力を前に、真兎は思わず足を止めた。

 勿論、その隙が見過ごされるはずもない。


「――隙あり」

「なっ!?」


 いつの間に近付いていたのか。真兎のすぐ後ろにいた鏡が刀の石突部分で彼の背中を思い切り突いた。嫌な音が真兎の中から響く。


「かはっ」

「さあ、遊びはこれまで」

「――っざけんな!」


 鏡が刀を振り下ろし、体勢を崩した真兎に迫る。


「くっ」


 武器を手に持たない真兎は、万事休すかと目を閉じた。

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