第23話 戦う術を掴むために

 やはり。女御の言葉に、月花は一抹の不安を感じて問い返す。


「あの、女御様。『やはり』とは……?」

「ああ、ごめんなさい。不安にさせるような言い方をしましたね。わらわも、あの儀式が怪しいと思っていたのです。以前、宮様が清姫になることを嫌がったから月草が身代わりにされた……そんな話がありましたね」

「はい」

「わらわも信じたくはなかったのですが、周りの動きを見て聞いていると、それが正しかったのだという確信に変わりました。……帝を疑いたくはありませんでしたが、それも限界でしょう」


 ふう、と女御の口元から息が漏れる。そんな様子さえも美しく、月花は見惚れそうになる自分を律した。ここで立ち止まっても、月草は戻らない。


「では、女御様」

「ええ、わらわも帝の正妃です。幸いにも、他の方々よりは内裏の裏に精通していますから」


 寂しそうに微笑むと、女御は目を閉じて語り始める。


「内裏を出て、都を一度出ます。……北側へ回ると、山があります。その山の中、奥深くに大きな滝があるのですが、その滝の裏側には大きな穴があるのです。穴の中を進むと、いつしか巨大な泉の前へと出る」


 瞼の裏に景色を描いているのか、女御はおもむろに指で空をなぞる。指は道筋を示し、一点でぴたりと止まった。

 ゆっくりと瞼を上げた女御の目に映ったのは、目を見開く月花の姿。彼は喉を鳴らし、唇からかすれ声を零す。


「その泉が……」

「あなたが夢で見たという泉は、ここの可能性が高い。高いというよりも、確実にそこでしょう。なにせ、泉は清姫の潔斎に使われる神聖なものですから」

「潔斎に使われる、というのなら間違いありません。女御様、お……わたし」

「落ち着いて。もう一つ、お話ししておかなければならないことがあるのです」

「……何でしょう?」


 身を乗り出しかけた月花は、姿勢を正して女御の話を聞く体勢に入る。

 女御は何を思ったか、わずかに目元を険しくした。月花を手招き、近くに寄らせて扇を広げる。丁度、扇が月花の耳元に寄せられた女御の唇と月花の耳を隠した。


「お話したいことというのは、あの男についてです」

「あの男……」


 後宮において、彼の話を大声ですることは難しい。何故ならば彼の血縁者が帝の更衣に置かれているし、帝の妹宮の傍には彼が送り込んだ女房たちが侍っている。

 月花は女御の配慮を察し、その男の名までは口にしない。その代わり、わかっていることを示すために大きく頷いて見せた。


「彼の傍には何人もの影の者がおり、常に彼の利益を最優先に動いています。こたびの件、影の者たちが裏で動いていることは確実。……こんな言い方しか出来ないのは心苦しいのですが、あなた一人で彼らに立ち向かうのは無謀です」

「彼らは戦事いくさごとが得意なのですね?」

「香にも聞いたことがあります。血なまぐさい話の裏には、必ずと言って良い程彼らの影があると」

「……。つまり、その滝へ行けば彼らと戦うことになると?」

「そういうことです。……わらわは、出来ることならば、あなたにも無茶はして欲しくない。あの子と同じように、あなたはもうわらわの大切な友の一人なのですから」

「友……」


 女御の口から思わぬ言葉を聞き、月花は言葉を失った。言うべき言葉は見付からないが、何とも言い難い温かくてくすぐったい気持ちが湧き上がって来る。

 月花は苦笑し、そっと自分の耳元に触れていた扇を指で押しやった。そして、真っ直ぐに女御を見詰める。


「案じて下さり、とても嬉しいです。女御様。危険なのは百も承知です。ですが、月草はもしかしたら今も辛い目に合っているかもしれません。彼女を救うために、わたしは一歩でも先に進みたいのです」

「月花……」

「ならば、私が稽古をつけましょうか」


 そう言って女御の斜め後ろに音もなく下り立ったのは、影の者の香だ。彼女は驚く月花の前に移動し、膝をついて目線を合わせてくれる。


「清姫の儀が行われるのは、年明けの明け方。おそらく、それが月草の君を救う最後の好機となりましょう。年明けまでは、あとひと月もありません」

「年明け……」

「そうです。いかがですか、月花の君殿。短い期間ではありますが、戦いの術を手ほどき致します」

「是非、お願いします」


 自分には、月草を取り戻す力があるだろうか。それは、月花が抱き続けて来た疑問でもある。天狐は自分の力を最も継承しているのが月花だと言ったが。月花自身は特別な何かを持っているとは思っていない。むしろ非力な男だと悔やんでいたため、香の申し出は渡りに船だ。

 すぐに頭を下げ教えを乞う月花に、香は少し驚いたようだった。しかしすぐさま表情を整えると、トンッと軽く床を蹴って庭へ出た。

 いつの間にやら、日が高くなっている。それでも遠くでしか物音を感じないのは、女御が許しを出さないために静かにしているしかない女房たちのせいだろう。

 朝の光に照らされた香が、月花を誘うように右手を伸ばす。その手を取ろうとした月花だったが、女房装束では動きにくい。


(でも、香殿に戦い方を教わることが出来るなんて、滅多に無いことだ。早く、強くなりたい)


 月花がちらりと隣に座る女御を見ると、彼女はわずかな間だけ寂しそうに目を伏せた。しかしその表情はすぐに消え、月花と目を合わせると確かに頷く。


「女郎花の君には、月花には特別な用を頼んだのでしばらく帰らないと言っておきましょう。……月花、必ず生きて、月草と共に帰って来るのです。良いですね?」

「――はい、女御様」


 頷き、月花は一度局へと戻ろうとした。しかしそれを女御が止め、一着の狩衣かりぎぬを手渡す。闇に溶け込む深い藍色の狩衣に、月花は目を丸くした。


「これは……?」

「我が子が生まれ大きく育った時に贈りたい、と作っていたものです。とうとうわらわの子が生まれることはないでしょうから、あなたに使って欲しい」

「女御様……ありがとうございます」


 狩衣に籠められた深い想いを得て、月花は身を翻す。


「ついて来て下さい」


 そういうが早いか、香は軽々と渡殿の屋根に上り走り出す。月花は彼女を追うため、未だ人通りの少ない後宮の中を駆け出した。

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