第22話 忘れてしまった過去
この洞穴は何処にあるのか。詰め寄る真兎に、天狐は「待て」と肩を竦めたように見えた。
「我とて、わかるものならば早急に教えてやりたい。だが……」
「だが?」
「……覚えていないんだよ、その場所を」
「何で、だよ。一番印象に残っていてもおかしくないのに。——いや、反対か?」
悩ましい表情の天狐を見て、真兎は彼の悩みを察した。
「お前、覚えていないんじゃない。忘れさせられたんじゃないか? その、何て言うか……過酷過ぎる現実に、覚えていることを拒否した」
「そう、かもしれぬな。我が覚えていることを拒否した、か」
水に沈められたところまでは覚えているんだがな。クッと苦く笑った天狐は、遠くを見る目で虚空を見詰めた。
「確かに、我は己が死んだ瞬間を覚えておらぬ。死ぬ瞬間を覚えているいないという議論は無意味だが、今この時ほど、覚えておきたかったと思うことはないな」
「だが、忘れたことがお前を救っているかもしれない。……この洞穴の場所は、おれが必ず自分で見付けるよ」
「そうしてくれ」
悔しげに笑った天狐は、ゆっくりと立ち上がるとゆっくりと後ろを向いた。その方向には動きのない泉が広がり、無限の深淵が覗いているという感覚に陥らせる。
真兎は思わず伸ばしかけた手を中途半端に止め、下ろした手を拳にした。強く握り締めた指を何度か開き閉じ、肩で大きく息をする。
「――天狐。おれは、必ず藍を捜し出す。そして、龍神に一言文句言ってやる」
「ふっ。お前が文句を?」
「ああ、そうだ。……歴史は、常に勝者が作ると父が言っていた。勝った者が自分の都合の良いように書き替え、伝えていくんだって」
「……」
真兎の言葉に、天狐は何も言わない。
歴史は勝者が作り、勝者によって紡がれ続いて行く。そこに存在すべきだった敗者は、よくて存在を許され、悪くすれば存在自体をなかったことにされる。
龍神によって天狐が殺され、天狐は本来の創造神という役割を下ろされ、敵として歴史に名を残した。対する龍神は己の役割であった国の創造を早々に諦め、天狐から奪うことで創造神として龍弧国を維持している。
本来ならば、天狐の血を引くという自分が生きていることはおかしいのかもしれない。ただ龍神が見逃し、偶然生きているだけかもしれない。
「だとしても、おれは生きてるんだ。だったら、後々どう書かれようと知ったことじゃない。護りたいものを護るために、絶対に捜し出す」
「お前はそれで良い。……神が支配する時はとうの昔に終わっている。これからあるのは、お前たちが繋いでいく時だ」
「天狐、見ててくれよ」
ニヤリと笑い、真兎は振り向いた天狐に拳を突き付けた。
「あんたの汚名、晴らすから。俺たちが、清姫の儀なんて止めさせてやる」
「――やってみろ、真兎」
天狐は今度こそ振り返らず、泉の上を渡って去って行った。幾つもの波紋が現れては消え、いつしか全てがなくなってしまう。
「……朝か」
徐々に白み始める周囲の景色。真兎は若干の寂しさを感じつつも、ふうっと吸った息を吐く。
夜が明ければ、おそらくしばらくの間天狐には会えない。何とはなしに、そんな気がしたのだ。
「約束だ、天狐」
いつしか洞穴と泉はかき消え、真兎の姿も白の中へと溶けた。そして現実において月花の意識は急浮上し、飛び起きることになる。
「――女御様」
「どうしたのです、月花。そんなに慌てて?」
簡単に支度を済ませ、月花は夜明け前の弘徽殿へと向かった。既に女御は目を覚まし、支度を完璧に済ませている。
女郎花の君たちが手伝っていることは知っているが、月花は女御が眠そうにしているところを一度も見たことがない。いつ何時であっても、女御は帝の正妃としての姿を崩さないのだ。
そんな女御だが、慌てた様子の月花に驚き目を見開いている。
月花は女御を驚かせたことを詫びながら、腰を下ろして身を乗り出した。今ならば、誰の邪魔もされずに女御と話すことが出来る。
「御無礼をお許し下さい、女御様。女御様に、是非お聞きしたいことがあるのです」
「わらわに答えられることならば」
「ありがとうございます」
「ですが、まずは白湯を飲みなさい。そんなに慌てていたら、伝えたいことも伝えられません」
女御はそう言うと、自ら動いて白湯を持って来た。月花が自分がやると言ったのだが、女御は「わらわも先程飲んでいましたから」と譲らない。
結局月花は女御に入れてもらった一杯の白湯を飲み干し、ようやく話をすることが出来た。
「それで、話と言うのは?」
「夢で、天狐に……わたしの先祖だという存在に会いました。この話は以前したかと思うのですが、香殿の持って来て下さった巻物の通り、その」
「ここでは言いにくいこともあるでしょう。香からは逐一聞いていますから、そのあたりのことは横に置いて。……先祖の話を、わらわは信じます」
「はい」
女御が天狐について知っているのは、当然のことだ。巻物を持って来てくれた香は女御に仕える影の者であり、主をないがしろにするはずがない。
「では、単刀直入に。……女御様、清姫の儀が執り行われる場所について何かご存知ではないですか?」
「清姫の……」
「もしくは、禊ぎ祓の行われる場について。……そこに、月草が連れて行かれた可能性が高いんです」
「――やはり、ですか」
ため息をつき、女御は静かな瞳で月花を見詰めた。
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