祭祀を巡る

第19話 てんのち

 徐々に季節は巡り、月花は月草へ繋がる手掛かりを得られないまま時を過ごしていた。唯一の手掛かりと言えるのは、山吹の宮に仕える百合の君が意味深に残した言葉たちだけ。冬の近付く足音が聞こえる。


(百合の君は左大臣と繋がっている。だが、後宮にいるだけでは繋がりを確かめることが出来ない)


 最後に百合の君と話したのは、ひと月ほど前のこと。それから月花は女御や香、虎政の手を借りながら合間に走り回っているが、一向にしっぽを掴むことが出来ないでいた。


「月花の君」


 そんなある日、月花のもとに香が現れた。彼女と顔を合わせるのも、十日程ぶりになろうか。

 誰が見ているか、聞いているかわからない。月花は女房としての顔を忘れず、少しだけ声の大きさを抑えた。


「お久し振りですね、香殿。女御様ならば弘徽殿に……」

「この度は、あなたにお話があってまいりました」

「わたしに?」


 首を傾げる月花に頷きを返した香は、そっと月花の耳元で囁いた。


「お父上から、狐とあなたのかかわりについてお話を伺いました。出来るだけ早く知らせるよう承りましたので、今少し宜しいでしょうか?」

「どうして、香殿が父上と? ……いや、今はそんなことはどうでも良いですね」


 行きましょう。香に誘われ、月花はその場を離れた。


 二人がやって来たのは、月花の局。女御には許しを得たと笑う香は、円座を勧める月花の申し出をやんわりと断り本題に入った。勿論声を潜めて。


「結論から申し上げましょう。月花の君、あなたがの血を引いていることは確かだという文献が見付かりました」

? 狐ではなく?」

「天の狐と書いて、てんこと読ませるのです。この国を形創った神……それが天狐だと」

「その文献が我が家にあった、というのですね」


 慎重に念押しをする月花に、香は頷く。


「真偽を明らかにせよ、と言われてしまえば証拠などありはしません。しかし、あなたが夢で天狐に出会って告げられたというのならば、信ぴょう性が増す」

「……わたしを信じて下さると?」

「あなたは、そんなことで嘘をおつきにはならないでしょう」

「ありがとう、ございます」


 突然褒められると、照れが先行する。月花は頬が熱くなるのを自覚しながら、頭を回転させた。


「その文献の内容、簡単にでも教えて頂けますか?」

「そうおっしゃると思い、こちらにお持ちしました」

「……え!?」


 目を丸くする月花の前に、香が当然のような顔をして巻物を一本置いた。古めかしく若干の黄ばみがみられるそれの表紙には、確かに『あめちのこと』と平仮名で書かれている。


「『あめち』? ……あ、天の血と書いて『天血』か?」

「あなたの父君もそうおっしゃっておいででした。天狐の血を引くとは流石に書けず、平仮名で誤魔化したのだろうと」

「まあ、龍神が国の神だと信じられているなら、狐を神だとは書けませんよね」


 もしも龍神ではない神を創造神だと言えば、すぐさま多くの人々に後ろ指差されたことだろう。内裏に出仕するなどもっての外、地域で暮らすことさえ困難になったかもしれない。

 そんな風に想像をたくましくすることをせずとも、先祖は生きるために真実を世間から隠した。しかし隠すだけでは消えてしまうため、文字の形で残すことで未来に託したのかもしれない。

 月花は香の持って来てくれた巻物を解き、最初から文字を追う。


(本当だ、龍神の話は一つも出て来ない。それどころか、龍はこの中じゃ人を惑わす者として描かれている。……天狐が龍に騙された?)


 今まで当たり前のように聞いていた創世神話に、疑問を感じ始めた。龍神が創り上げ、悪者の狐を斃したという話だが、それは本当のことなのだろうか。


「もしかしたら、龍がこの国を自らのモノにするために創り上げた、偽の話なのか……?」


 これは、もう一度あの天狐に会って確かめなければ。

 一人ぼそぼそと呟いていた月花は、ふと顔を上げた瞬間に香と目があって固まった。彼女がじっと自分を見詰めていたことに、その時初めて気付いたのだ。


「す、すみませんっ」

「何故謝るのです? 己が何者なのか、それを知りたいと願うのはおかしなことではありません。それに、きっとあなたが謎の正体に近付く程、月草の君へも近付く。私はそう思います」

「そう、でしょうか」

「はい」

「……」


 疑いもなく即答され、月花はわずかに唇の端を上げた。さっと粗く一読した巻物だが、じっくりと読む必要がありそうだと踏む。


「香殿、これはいつまで借りることが出来るでしょうか?」

「その巻物は、月花の君のご実家から持って来たもの。父君は、月花の君が家に戻るまでの間、必要ならば持っていて良いとおっしゃっていましたよ」

「だとしても、早く読み終えてしまわないといけませんね。早く読んで理解して……あいつに近付きたいですから」


 月花は丁寧に巻物を巻き直し、唐櫃からびつの中に仕舞った。数枚のひとえを上に重ね、蓋を閉める。

 それから香に向き直り、月花は「夢で天狐にもう一度話を聞きます」と伝えた。


「天狐に訊かなければならないことがたくさんあります。わたしとの関係、清姫の儀との関係、そして本来の神話について」

「私も月草の君の行方を探しながら、伝説についても見聞きしています。ですが一般的に知られているのは、龍神が狐を倒してこの国を一つにまとめたという話くらいのものです。裏の歴史へと足を踏み入れるのは、容易なことではありません」

「どんな悪路でも、あいつに繋がるのならば乗り越えて見せます」

「――はい」


 先に弘徽殿の女御のもとへ報告に行くという香を見送った月花は、一人簀の子に出る。幸いにも誰もいない時間帯だった。


(出仕するだけでは、何も得られない。……くそっ)


 歯がゆさを感じながら、月花は弘徽殿を目指して歩き始めた。

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