第18話 動き出す

 虎政から月花の文を渡された月花の父である行里ゆきさとは、息子が手に入れた己の出生の、そして血縁の秘密について呻くことしか出来ないでいた。彼にとっても、己が神の血族だという実感は皆無であり、知らなかった事実に目を見張っている。


「私たちが、神の子孫? そんな馬鹿な」

「俺も何を言っているんだって笑い飛ばそうとしました。だけど、出来なかった。……あいつの話をきちんと聞いたとして、それでも夢物語のように感じられました。でも、あいつの目は真剣そのものです。参議様、何かお心当たりは?」

「いや、ない。私もそんな話は初めて聞いたよ」


 虎政の問いに苦笑で応じ、行里は丁寧に文を元の通りに折り畳んだ。

 行里と虎政がいるのは、月花の実家の一部屋だ。仕事を終えて帰宅途中だった虎政は、予定を変更して帰る前に行里の元を訪れた。

 そして今、二人は円座わろうだに胡座をかいて向かい合っている。


「……他に、真兎から聞いていることはあるかい?」

「今、後宮で広がっている噂について調べていると言っていました。それに月草の件がかかわっている、と女御様と共に」

「あの一件か。左大臣様、そして帝までもが関わっていると言われている」

「それです」


 行里様はご存知ないのですか。虎政に問われ、行里は首を横に振る。


「噂だけは知っている、という程度かな。真兎は私が今回の件について知っていると勘ぐっているようだが、参議とは名ばかりでね。何も知らないに等しい」

「ならば、清姫の儀式についてもご存知ありませんか?」

「清姫、だと?」


 それまで反応の薄かった行里が、初めて眉を上げた。虎政は月花から聞いたざっくりとした話を行里に話し伝え、彼の反応を窺う。

 すると行里は眉間にしわを寄せて考え込んだ後、長く息を吐いた。


「触れるべきではないものに、真兎は手を伸ばしているんだな」

「そりゃあ、帝と一部の殿上人しか見られないし知らない儀式らしいですからね。俺も詳しくは知らないんですが、行里様は何かご存知なのでしょう?」

「……知っていると言っても、清姫の儀がこの国の命運を握っているということくらいだよ。この国を創り給うた龍神への感謝を込めて、娘の舞を奉納する」

「だけど、その前提となる創造神が本物ではないかもしれない。……真兎の話したことから、そう言うしかなくなります」

「どうしたものか……」


 ううむ、と行里は考え込んでしまった。

 真面目な彼は、息子の友の言葉も真剣に聞いてくれる。それがこの人の美点だな、と虎政はふと思っていた。


「よし、私も調べてみよう。文献に残っているかどうかは謎だが、調べなければ存在しないこともわからない。何かわかれば、必ずきみに伝えよう」

「お願いします。俺も、色々探ってみますから」


 任せて下さい。そう言って、虎政はグッと拳を握る。彼の様子を見て、行里も強く頷いた。


「……というのが、昨日の話だ。ちなみに父君は今朝眠そうな顔で出仕しておられたから、本当にあの後調べ物をしてくださったんだろうな」

「相変わらずだな、父上は」


 肩を竦め、月花は苦笑を禁じえない。

 一夜明けた昼過ぎ、月花と虎政は再び大裏の中で顔を合わせていた。今回は虎政が月花を呼び出し、人目につかない物陰で手短に済ませる。


「だから、また何かわかったらすぐに知らせる」

「お……わたしも、必ず文を送ります」

「ふふっ。では、後宮まで送り届けましょうか?」

「笑うなよ。いいえ、大丈夫です」


 笑いを堪えきれていない虎政と、苦笑いを浮かべる月花。二人は人の気配がないことを確かめた後、それぞれ別の方向へと歩き出した。


 一人後宮に戻った月花は、視線を感じて振り返る。すると、の子の柱に体を寄りかからせた女房がこちらを見詰めていた。


「月花の君、こんな刻限に何処へ?」

「……百合の君」


 冷たい視線を寄越した百合の君は、たおやかな足取りで月花に近付く。前回は横をすり抜ける時に嫌味を言われたが、この度は正面から顔を突き合わせる。


「な、何ですか?」

「悪運の強い子。あの者たちに捕まり、生きていた者はごくわずかなのに」

「……一体、あなた方の目的は何ですか? わたしがどう動こうと、気にしなければ良いだけの話でしょう?」

「言うわね」


 面白くもなさそうに微笑み、百合の君は扇を広げた。扇には香りが仕込まれており、仄かに名の通りの百合の香りが漂う。

 扇で口元を覆えば、最早感情は窺えない。


「あなたは特殊な存在。存在自体が我々の目的を曇らせ、危うくさせかねない。……今後も身辺には気をつけることね」

「申し訳ありませんが、わたしもやるべきことがあります。そのために出来ることなら、何でもやってやる」

「大きく出たわね、参議の長子。やれるものならば、やってみるが良いわ。……それとも、指をくわえてこの国の変わる様を高みから見守るかしら?」

「わたしが何者か、ご存知なのですね」


 嘆息した月花に、百合の君は目もとを和ませる。そこには柔らかさではなく、冷え冷えとした寒さだけがあるが。


「ええ、存じておりますとも。貴方が何をしたいのか、女御と共に我々を探っていることも……ね」


 意味深に笑い、百合の君は月花を小声で「真兎殿」と呼んだ。思わず息を詰める月花に、彼女は追い討ちをかける。


「あなたは間に合わない。……そして、あなたの絶望が我らの、主の願いを達する助けとなる」

「何を言っているのか、わたしにはわかりません」

「いずれ、知ることになりますわ。——身をもってね」


 それでは。百合の君は一言言い置くと、月花の横を通って去って行く。彼女の行く先には数名の女房がいて、月花を感情の見えない目で見詰めていた。

 百合の君と共に、藤壺の更衣や山吹の宮に仕える女たちだ。月花は名を把握していないが、桃の君、早蕨さわらびの君、そして鴉羽くろはの君という。


「――っ。必ず、取り戻す。例え、この国を敵に回しても」


 強く奥歯を噛み締め、月花は呻くようにそう呟いた。

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