第16話 血族

 自分が白狐の血を引いている。それが事実としてすぐに受け入れることが出来ず、真兎は目に見えて戸惑いを見せた。


「は? 何を言っているんだ。おれは人で、お前は獣……神だとしても、決して人ではないだろう? それなのに、何故」

『かつて、我は人の姿でこの国に潜み暮らしたことがある。その際、一人の人の女に出会った。怪我をした我を世話してくれたその女と共に過ごすうち、子を成したのだ』

「その子孫が、俺だっていうのか?」

『話が早くて助かるな』


 淡く笑ったらしい白狐の言葉に対し、真兎は言葉もない。


「だ、だけど、おれには何の力もない。創造神話のように何かを生み出せるわけでも、不可思議な力を持っているわけでもない。……もしもそういう力があれば、月草を奪われはしなかったのに」

『確かに、お前はただ人だ。……今はな』

「何か言ったか?」

『いや?』


 いぶかしげに首をひねる真兎に、白狐は微笑むだけで何も言わない。そして、ふと周囲を見渡して嘆息した。


此度こたびはこれくらいにしておこう。もうすぐ、夢が明ける』

「夢?」

『そう。お前は気を失わされ、そのまま眠っているのだ。起きたら己の局のはず、案じずとも良い』

「気を……。確かおれは、左大臣を追って」

『我から答えを聞かせることは出来ないが、必ずお前ならば真実に辿り着こう』


 また会おう。そう言って、白狐はくるんっと一回転すると消えてしまった。

 真兎は「待て!」と手を伸ばしたが、その手は空を切る。気付けば、周囲は白いもやに包まれていた。


「夢、か」


 目覚めると、確かに自分の局で横になっていた。普段と違うのは、寝るための薄着ではないという点。そして、一人ではなかったことくらいか。

 月花の顔を覗き込んでいたのは、先輩女房である女郎花の君。普段冷静で厳しい彼女には珍しく、不安そうな色が濃い。


「目が覚めたのね、月花の君」

「……女郎花の君? お……わたしは」


 思わず本来の一人称を口走りそうになった月花だが、それはギリギリ呑み込んだ。背を支えられながら体を起こした月花に、女郎花の君は嘆息した後キッと鋭い視線を向けた。


「あなた、内裏で倒れていたのを検非違使が見付けたのよ。聞いた時は、本当に驚いたのだから! どうにか私に運べたからよかったものの……。何処か、痛い所は? 怪我はないかしら」

「だ、大丈夫です。というか、女郎花の君がわたしを運んで下さったんですか?」


 女郎花の君の勢いに気圧され、月花は何とか「ありがとうございます」と礼だけは言った。すると女郎花の君はわずかに視線を外し、少しつっけんどんな口調になる。


「私くらいしか、あの時動ける者がいなかったから。それに、あなたくらいの重さならば、抱えることくらい容易い。……兎に角、女御様にはお知らせしました。女御様より、今日は休みなさいとのお達しよ。ゆっくり休んで、明日また女御様のところにお出でなさい」

「……はい」

「よろしい」


 しおらしく頷く月花に、女郎花の君は安堵と呆れを含んだ笑みを向けた。


「何故あなたがあんなところにいたのか、今は詮索しないでいてあげる。私は訊かないから、女御様にはきちんとお話しすること。良いわね?」

「はい。女御様には、わたしからお話します」

「……そう、伝えておきましょう」


 お大事に。女郎花の君はそう言い置くと、衣擦れの音をさせながら局を去って行った。彼女はそのまま弘徽殿へ出仕するのだろう。

 女郎花の君を見送った後、月花は再び仰向けに寝転がった。休めというお達しを有り難く受け入れたいところだが、昨夜のことを思い出すとそうも言っていられなくなる。


(左大臣を追って内裏まで行ったことは覚えている。だけどその後、白狐と夢で会うまでに……誰かに口を塞がれて、気絶させられた)


 男と彼を「兄上」と呼ぶ女が、昨夜月花の前に現れた。月の光では表情まで窺い知ることが出来ず、しかも鳩尾を殴られ気を失わされた。月花はそこまで思い出し、首を捻る。


(もう一人、気配は感じたんだけどな)


 そして記憶は夢へと入り込み、白狐の語る衝撃的な話が月花の心を揺さぶった。


(おれが、白狐の血を引いているとあいつは言った。しかも、元々の創世の神は自分だと。そうだとしたら、おれたちが知る歴史は一体何なんだ?)


 龍神を崇め、国神として祀る龍弧国。帝は神の子孫とされ、誰もそれを事実として疑った者はいなかった。いたのかもしれないが、そう言った考えを持つ者は生きることを許されなかったかもしれない。全ては推測の域を出ず、大昔の出来事故に真実を知ることは出来ないかもしれなかった。


「……自分って何なんだ?」


 手の甲を左右の目の間に乗せ、月花は息を吐く。

 周囲からは普段通りの落ち着いていつつも賑やかな音が聞こえ、遠くからは笛や琴の音色が響く。月花はおもむろに立ち上がると、中途半端な衣服を着直す。かさねを考えるのは面倒だったため、色目はあまり冒険しない。


「……よし」


 気合を入れ直し、月花は文机に向かって筆を手に取った。紙を広げ、虎政への文をしたためる。

 文の内容は、近いうちに会いたいという簡単なもの。それを内裏近くで下男に渡し、取り次いでもらった。

 早めに虎政と話す機会を設け、左大臣の動向と彼の使う影の者のことを知らなければならない。昨日の様子から手練れであることは窺い知れたが、何もわからなかったに等しいのだから。


「あとは、父上と母上か」


 白狐の言葉が嘘か真か、実家の父に訊こうと考えたのだ。一族が白狐の血を引いているというのならば、先祖の誰かがそのことを書き記している可能性もある。そして、白狐が国の神だという証拠も。

 父母への文を書いて託した後、月花は左大臣と会うためにはどうすべきかを真剣に考えていた。殿上人である左大臣と口を利くことすら難しいが、何かの拍子にお目にかかれるのではないかと期待している。


「少し、歩くか」


 午の刻を過ぎ、体はもう休憩を欲してはいない。月花はゆっくりと立ち上がり、局の外を歩くために伸びをした。




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