古にありし姿

第15話 狐

 正体不明の男たちに気絶させられた月花は、そのまま夢の世界へと引きずり込まれた。さわさわと何かが頬を撫で、くすぐったくて瞼を上げる。


「ここは……」


 うつ伏せになっていた自分の体を起こし、月花は周囲を見渡した。そこにあるのは、見たこともない鮮やかな風景。青空の下、爽やかな風の吹く草地が広がっている。

 自分以外誰の存在もなく、突然襲って来た不安を胸に閉じ込めた。


「何なんだ、ここは。どうしてこんなところに……おれは、確か殴られて気を失ったはずじゃ?」

『その通りだ、真兎』

「……誰?」


 月花と呼ばれることに慣れ、真兎まさとと呼ばれることは極端に減った。二人だけの時に虎政に呼ばれる程度の名を第三者から言われ、真兎は声のした方向を振り返る。


「お前は……」


 先程まで、何者もいなかった。その草原の上に、一匹の白狐が座っている。大きさは真兎の倍はあろうか。

 息を呑む程の美しい白銀の毛並みが風に揺れ、大きくやわらかそうなしっぽをゆったりと振っていた。透明感のある菫色の瞳がじっと真兎を見詰め、その圧力に気圧されそうになる。


「狐?」

『古くは天狐てんこと呼ばれたこともある。天津狐あまつきつねという名もあったか』

「天狐に、天津狐……。え? 狐が喋ってる!?」


 狐の口元は動いていない。それにもかかわらず、低い大人の男の声が聞こえて来る。その矛盾に目を見張る真兎に、天狐と名乗った狐は軽く目をすがめて見せた。


『気になるのはそこか。……まあ、良い。真兎、お前に話さなければならないことがある』

「話さなければならないこと? 初対面なのに?」

『そうだ。お前と我には、浅からぬ縁があるのでな』


 淡く笑ったらしい天狐は、ふわりとしっぽを振ってみせた。ふいに立ち上がり、音もなく真兎に近付く。思わず身構える真兎に構わず、天狐は彼の目の前に腰を下ろした。


「あ、浅からぬ縁って……」

『その問いに答える前に、お前は龍弧国の成り立ちを知っているか?』

「龍弧国の成り立ち? 勿論、幼い頃から何度も聞いて来た神話ならわかる」

『……では、それを今ここでそらんじてみよ』

「……『龍弧国のその始まりは』」


 ――龍弧国のその始まりは、この世の始まりと同じ。何もかもがなかった土地に、一柱の龍がおられた。

 龍は何もない、ただ混沌としたそれを愁い、一声鳴くと、自らの力で混沌をかき混ぜた。ぐるぐる、ぐるぐると。

 やがて混ぜたことで固まったものが、龍弧国の国土となった。龍は国土を満足げに見回すと、そこに何者も生まれ出でていないことに気が付く。

 龍は身をくねらせ、鱗を二枚落とした。その鱗は龍の力で姿形を変え、我が国始まりの帝と后となる。全ての者はこの二人から生まれ、続いているのだ。

 国土を創り、人や草木、生き物たちを生み出した龍は天へと上る。全てを創り終え、神として見守るためだ。

 しかし、龍の眠りを妨げるものがいた。黒き姿の狐である。

 彼の狐は龍に勝負を申し込む。勝った方がこの国の神としての地位につくという。

 龍は初め断った。この国を創ったのは龍であるのだから。

 しかし、狐も折れない。ならば、我が力を見せようと言い、よこしまなる力で龍を天から落とそうとした。

 流石の龍もそれに怒りを覚え、二つの力がぶつかる。創り上げられた国は嵐の中となり、人々はこの戦いの終息を祈った。

 やがて龍が狐を下し、狐は人々の手によって地下深くへと封じられる。龍がその封印に力を貸し、狐は今までもこれからもその姿を見せることはないだろう。


「――『人々は龍に感謝の意を示すため、毎年清姫の舞を奉納するようになった。』これが、おれの知る創世神話だ」

『……だろうな。神話の中で、狐は創世の神を害した不届き者扱いだ。お前もおそらく、我を怪しんでいるのだろうな』

「それはまあ……。普通の狐なら、野山にいる。だけどお前は、どう見ても普通の狐じゃない」

『ご名答』


 くるり、と白狐が一回転した。美しい毛並みが揺れ、いつの間にか月が出ている森に、月光に照らされた白狐の姿が怪しく存在感を放つ。


『信じられぬだろうが、我は龍弧国における本来の神。……今は、龍神に取って代わられているがな』

「は?」


 呆気にとられる、とはこういう時に使うのだと真兎は思った。思いがけないことを聞き、耳を疑う。


(この狐、今何て言った?)


 少し離れた場所に立つ白狐を見詰め、真兎は狐の言葉を反芻する。正体不明の白狐は今、自分を『本来の神』だと言わなかったか。

 疑いの目を向けられていることに気付き、白狐は薄く微笑んだ。


『……やはり、のだな。龍め、さかしい真似を』

「だって、龍弧国だ。龍が体をくねらせ、世界を形作った。だからその国の名をつけられたのだって教わったぞ」

『そうだろうな。本来、弧の字は『狐』であったはずだ。それを龍が隠し、変えてここまで来たのだ』

「……何だよ、それ」


 真兎は混乱していた。

 龍神を創世の神だと思っていたが、本来は違うのか。それとも狐の話が嘘で、真兎を騙そうとしているだけなのか。判断がつかない。


(でも……)


 白狐の目を真っ直ぐに見詰めると、白狐も真兎をまじまじと見詰めて来る。その瞳は美しい菫色で、嘘がないように思えた。それどころか、悲しみや苦しさまでも映り込んでいるような気がして、わずかに目を伏せる。

 そんな真兎の姿を見てか、白狐が笑う声が聞こえた。


『我が言葉を信じるか信じないか、お前にかかっている……と言いたいところだが、お前はすぐに身をもって知ることになる』

「どういう意味だよ?」


 真兎が首を傾げると、白狐が突然近付いて来た。驚く真兎の鼻先に自分のそれを触れさせる。ひやりとした鼻に触れ、真兎はびくりと肩を震わせた。


「冷たっ」

『ふふ。お前の血、お前たち一族に流れる血に関係することだ。……真兎』

「何、だ」


 思わず一歩引いた真兎の瞳を覗き込む白狐が、言葉を伝えて来る。


『お前は、我が血を引いているんだ。……白狐の血を』

「どう、いうことだ……?」


 白狐の血を引いている。その意味を図りかね、真兎は問うことしか出来なかった。

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