第14話 夜襲
(真夜中の内裏、真っ暗だな)
怪しい影を追い、月花は後宮を抜け出していた。既に内裏の中に役人の人影はなく、ちらほらと住まいしている者たちの灯す明かりがあるくらいのもの。しかしそれも月花のいるところからは遠く、真の暗闇の中を進むに等しい。
「――っ、何処だ?」
相手は明かりを持っている。だから見失いはしないと高をくくっていたが、悔しくも見失った。
女房装束は重く、水干のように走ることは難しい。月花は眉をひそめて周囲を窺い、もう少しだけ捜したら戻ろうと決めた。足音をたてないよう、ゆっくりと裸足で砂地を進む。
その時、突如背後に気配が下りた。それに反応して振り向こうとした月花は、口を塞がれ腕を掴まれる。
「お前、何者だ?」
「――!?」
暴れて振り解こうとしたが、相手はがっちりと月花を拘束している。口を塞ぐ手に噛み付こうかとも思ったが、力強く押し付けられているために口を開けることもままならない。
「……むぅっ!」
「お前……っくそ。女のくせに暴れやがって」
どうやら、背後の人物は男らしい。ならば、と月花はゆっくりと左足を上げていく。勢いよく後ろに蹴り出せば、ある程度怯ませることが出来るだろう。
(おれはごめん被るけどな)
激痛を想像し、月花は内心で震えた。しかし、これも無事にこの場から逃げおおせるためのこと。気合を入れて足を振り下ろそうとした時、今度は正面から違う人物の声がした。
「兄上、こいつは男よ」
「!」
「おお、そうだったな。オレたちに捕まったのが運のツキってな」
「――うぐっ」
容赦ない拳が前から鳩尾に叩き込まれ、月花は気を失った。完全に気を失う直前、月明かりに照らされた二人組の顔を見た気がしたが定かではない。
力なく倒れ込んだ月花を見下ろす二人組は、顔を見合わせる。そして、男が肩をすくめた後に月花を肩に担いだ。
「こいつ、どうする?」
「主様をつけていた、その理由は訊かずとも良いでしょう。こいつについては、
「だな。主様の策を邪魔する不届き者だ。……川にでも流すか?」
「一度恐ろしい目に合わせれば、二度と反抗して来ないのではありませんか?」
妹の提案に、兄はニヤリと白い歯を見せる。名案だと頷こうとした男の頭を、何者かが掴んだ。
ぴたりと動きを止めた兄が目だけで上を見ると、自分よりも頭一つ分以上大きな男がこちらを見下ろしている。思わず血の気が引いた。
「待て、
「……
「どうして、こんなところに」
妹も動揺し、一歩後ろに下がる。
それを一瞥し、雷雲と呼ばれた大柄な男は音もなく息をついた。太い指が気を失った月花を指差す。
「主様より、その子どもを放置しろということだ。ワシらは主様のもとへと急ぐぞ」
「で、ですが……この者は主様をつけて」
「その主様が案じずとも良いとおっしゃっている。女御に気に入られているらしいが、我々に手が届くことなどあり得んとな。……不服か?」
「滅相もございません」
その場に片膝をついた兄妹をちらりと眺め、雷雲は黙って踵を返した。彼の後を追い、鞍佐と彼の妹も姿を消す。
三人が消えた直後、申し合わせたかのように見回りの役人が通りがかった。彼らは暗闇を進むために二人一組で行動し、一人が明かりを持ち、もう一人が刀を持つ。
「……おい、もうそろそろ帰らないか?」
「またお前は。以前も早く戻って、上官に怒られたばかりだろうが」
「だって、そうでもしなければ盗賊などに出会ったらどうすれば良いんだ?」
「そんなの、戦うしか……ん?」
夜の闇が恐ろしく、男たちの会話は尽きない。尽きさせないよう話し続けていた。
しかし、ふと明かりを持っていた方の男が何かに気付く。視界の端に、暗闇の中でお目にかからない鮮やかな色目を見た気がしたのだ。
「お、おい」
「な、何だよ? こんなところに誰かいるとか言うんじゃないだろうな?」
「そのまさかだよ、見ろ」
役人の男が明かりを掲げると、髪の長い女房が一人倒れている。
「ぎゃっ! し、死んでないよな?」
「目覚めが悪過ぎるだろ。……うん、眠ってるな」
「何だよもう、驚かせるなよな」
「お前、後宮に伝えて来いよ。検非違使とはいえ、俺たちも簡単には後宮に入り込むことは出来ないからな」
「わかった。待っててくれ」
相棒が去り、検非違使の男は近くの建物に寄りかかって後宮の者が彼女を迎えに来るのを待つ。ゆらゆらと揺れる明かりに照らし出された女房の横顔は、成熟した女よりも幼い。何となく眠る女房を眺めていた検非違使は、軽く首を傾げた。
(女にしては細い、か? まあ、そんなわけもない)
とりあえず、早く相棒に戻って来て欲しい。夜闇に不安を覚えた男が身を震わせた時、ようやく相棒が後宮の役人を連れて戻って来た。後宮で検非違使のような役割を果たす者のうち、何人かは普段女房として出仕している。
「悪い、遅くなった」
「いや、良い。来て下さり、助かりました」
「いいえ。こちらでお預かりします」
きりりとした女房が、そっと倒れたままの月花の傍に膝をつく。そして彼女を背負い、ゆっくりと後宮へ向かって歩いて行った。
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